大韓民国海兵隊(だいかんみんこくかいへいたい、、)は、大韓民国の海兵隊である。元々は独立した軍種であったが、1973年に海軍隷下となった。人員は27,000人とされる。元々が独立した組織であったため、海軍隷下となった現在でも、海軍とは別組織となっている。1949年4月15日に、慶尚南道昌原郡鎮海邑(現在の昌原市鎮海区)で380人規模の部隊と旧日本軍の九九式軽機関銃などの武装を用いて創設された。初代司令官には満州国軍出身の申鉉俊。翌1950年に勃発した朝鮮戦争より投入、朝鮮人民軍及び中国人民解放軍を相手に一個大隊を一掃したとされ、外国メディアでは無敵の海兵隊として紹介された。この当時から、国内最精鋭部隊の1つとなった。1964年のベトナム戦争時には、アメリカ合衆国の承諾を得て、最精鋭の陸軍首都師団(通称:猛虎部隊)、第9歩兵師団(通称:白馬部隊)の2個師団とともに、(通称:青龍部隊)をベトナムへ派遣し参戦した。アメリカ軍と違い、歩兵を中心とした部隊編成を敷き、敵を捕捉する以外の反撃はしないと言った北ベトナム人民軍 (NVA) 及び南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)同様のゲリラ戦法に撤したが故に、戦闘での損害比は36:1(米軍総数では12:1)と圧倒的な戦果を挙げ、NVAとベトコン両軍を少なからず苦戦させた。彼らの戦功は韓米関係の強化につながった。しかし一方で、フォンニィ・フォンニャットの虐殺やハミの虐殺、強姦などによってもうけられた子供であるライタイハン問題などの戦争犯罪を起こしている。1973年に海軍隷下となり、1987年に、現行の海兵隊本部組織が設立されて現在に至る。任務の性格上、部隊内では厳しい規則が存在するが、時に行き過ぎたいじめ、暴行に発展することも少なくないとされる。2011年7月4日、第2師団海岸部隊の上等兵と二等兵が共謀し、銃乱射事件を起こして4人が死亡する江華島海兵隊銃乱射事件が発生したが、その原因も部隊内のいじめと指摘されている。現行組織では、第一師団、第二師団、第六旅団の2個師団、1個旅団で構成されている。司令官は中将が充てられる。
出典:wikipedia
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