


本項船橋市の町名(ふなばししのちょうめい)では、市制町村制施行以後の千葉県船橋市の町名の変遷について記述する。船橋市域は、1889年(明治22年)の市制町村制施行時には船橋町、葛飾村、八栄村(やさかえむら)、法典村、塚田村(以上、東葛飾郡)、二宮村、豊富村(以上、千葉郡)に属していた。このうち、葛飾村は1931年、二宮村は1928年にそれぞれ町制を施行している。1937年(昭和12年)、船橋町、葛飾町、八栄村、法典村、塚田村の2町3村が合併して船橋市が成立した。旧町村には下記のとおり計28の大字(おおあざ)があったが、これらは船橋市の大字として引き継がれた。これらの大字は、1889年の市制町村制施行以前の旧村に相当する。このうち、九日市、五日市は、現船橋市街地の旧称だが、現行行政地名としては残っていない。原木飛地、二俣飛地、小栗原飛地は近隣の町域に編入。小栗原は本中山等に変更。七熊は東町、後貝塚は旭町に改称された。他の地名はおおむね継承されている。上記の28大字は1940年(昭和15年)に全廃されて、55の「町」に再編された。さらに、1965年(昭和40年)以降、「住居表示に関する法律」に基づく住居表示の実施により、一部の町域は再々編された。2010年現在、船橋市内には、1965年以降の住居表示実施により成立した町と、1940年成立の町とが併存している。1940年に成立した55町(各「丁目」を1町と数える)は以下のとおりである。なお、丁目番号は漢数字で表記するのが正式である。以上の町のうち「*」印を付したものは、2010年現在も全部または一部が存続している。その他の町は1965年以降、「住居表示に関する法律」に基づく住居表示の実施により廃止されている。小栗原町のように、新住居表示実施に伴い消滅した町名もあるが、大部分の地域においては、(旧)藤原町1 - 3丁目→(現)藤原1 - 8丁目のように、旧町名を引き継ぐ形で住居表示が実施されている。船橋市は1953年に二宮町、1954年に豊富村を編入し、現在の市域となった。上記1町1村の計19の大字(下記)は船橋市の大字となった。上記19大字は、1955年、下記の町に再編された。また、二宮町に属していた旧習志野演習地の区域は、同じ1955年、習志野町1 - 5丁目となった。以上の町のうち「*」印を付したものは、2010年現在も全部または一部が存続している。その他の町は1965年以降、「住居表示に関する法律」に基づく住居表示の実施により廃止されているが、「三山」「田喜野井」等の地名は、住居表示実施後の新町名にも引き継がれている。以下に船橋市の現行行政地名(2010年4月現在)を列挙する。地域区分は、船橋市都市計画マスタープラン(参照:)による。このマスタープランでは、市内を湊町地域、本町地域、東葛飾地域、法典地域、夏見地域、前原地域、習志野台地域、新高根・芝山地域、八木が谷地域、豊富地域の10地域に区分している。(大部分が埋立地)(旧船橋町、旧葛飾町西海神、旧八栄村七熊)(旧葛飾町の大部分)(旧法典村、旧塚田村)(旧八栄村の一部)(旧二宮町の一部)(旧二宮町の一部)(旧八栄村・二宮町の各一部)(旧八栄村・豊富村の各一部)(旧豊富村の一部)行田1 - 3丁目(住居表示実施済み地域)と行田町(住居表示未実施)のように、住居表示実施後も新旧町名が併存している例が多くみられる。上の例では、1984年の住居表示実施により、地区の大部分が行田1 - 3丁目となったが、地区北部の一部は住居表示未実施で、従前の町名である行田町(1940年成立)が存続している。旭町、印内、大穴、金杉、古作、滝台、八木が谷なども同様の例で、「丁目」を有する新町名と、「丁目」のない旧町名が併存している。このうち丁目なしの「旭町」は船橋西高等学校敷地の一部に残存するのみである。前原はかつては「まいはら」と読んでいたが、現行地名の前原東・前原西は「まえばら」と読むのが正式である。
出典:wikipedia
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