LINEスタンプ制作代行サービス・LINEスタンプの作り方!

お電話でのお問い合わせ:03-6869-8600

stampfactory大百科事典

レイザーラモンRG

レイザーラモンRG(レイザーラモンアールジー、1974年6月8日 - )は、日本のお笑いタレント。レイザーラモンHG(住谷正樹)とお笑いコンビレイザーラモンを組んでいる。本名、出渕 誠(いずぶち まこと)。熊本県甲佐町で生まれ、小学4年から高校卒業までは愛媛県八幡浜市に住んでいた。吉本興業(よしもとクリエイティブ・エージェンシー)所属。愛媛県立八幡浜高等学校、立命館大学経済学部卒業。身長177cm、体重74kg、血液型O。2003年に結婚、2005年6月に第一子長男誕生。丸顔で武闘派の芸風から、人呼んで「吉本のボブ・サップ」。また、スベリをものともしない芸風から、ダイナマイト関西では「IRON HEART MAN」のキャッチフレーズが付けられている。立命館大学では立命館プロレス同好会(RWF)に所属。リングネームは新崎人生を下ネタ風にオマージュした「チン先真性」。京都統一タッグ選手権の初代チャンピオンに輝いた経験を持つ。しかし出渕本人によれば、同志社大学の同志社プロレス同盟(DWA)に在籍していた住谷が正統派のプロレスをしていたのに対し、自身は「コミックレスラー」だったとも言う。また、試合よりも実況席に座ったときのしゃべりの方が好評であったとの証言もある。体育会アマチュアレスリング部が部員不足であったため、RWFの面々もそちらの練習に週に数回参加しており、実際に大会出場経験もある。因みに、芸人のユリオカ超特Qは大学時代の先輩、後に新日本プロレスのレスラーとなる棚橋弘至は後輩にあたる。大のプロレスファンの博多大吉は「RGが先輩面して棚橋選手を呼び捨てにするのは、正直イラッとする」と語っている。同時に同大学軽音楽部に所属し「A.O.D」というバンドを結成。ベースを務める。その為か洋楽に造詣が深く本人はヘヴィメタルが好き。冠徹弥と親交があり、しばしば対バンすることも。この間、学生プロレスで住谷と出会い、意気投合。1997年10月にお笑いコンビ「レイザーラモン」を結成。卒業記念でエントリーした「今宮子供えびすマンザイ新人コンクール」で福笑い大賞を受賞。その後、2丁目劇場のオーディションライブ「SABIKI」などに出演し、腕を磨いた。大学卒業後はカーディーラー(トヨタ自動車の販売部門)に就職し、営業職などを務めるが、ほどなく脱サラして吉本興業入り。1999年、バッファロー吾郎プロデュースの「爆笑新ネタ逆転満塁ホームラン寄席」に初出演。同年10月、初のレギュラー番組となる毎日放送「クヮンガクッ」がスタート(翌3月までレギュラー)。2000年「ABCお笑い新人グランプリ」で審査員特別賞を受賞。2001年11月、レイザーラモンは揃って吉本新喜劇に入団。出渕はヤクザ、間抜けな男、オタクなど、多彩な役柄を演じるオールラウンドプレイヤーとして活躍。自ら「超音波攻撃」と称する雅楽のモノマネ、一人プロレスなどのギャグを披露していた。HGの大ブレイクに伴って2005年末に退団、二人揃って東京進出を果たす。その後は大ブレイクしたHGの影に隠れつつ、相方HGの類似品キャラ「レイザーラモンRG」を名乗って露出を図り『寄生虫』呼ばわりされながらも、多彩な持ちネタで徐々に存在感を増していき、HGのプロレス活動での負傷による長期休養を経て2009年頃からRG単独での活動を増やしている。近年は市川海老蔵のものまねから派生した「あるあるネタ」を披露することが増え、「一発屋」扱いのHGよりも露出が多くなっている。HGはその体格と見かけに反して繊細で気が弱い面があるが、RGはどんなにスベっても受けなくても一切動じずやりきる「折れない心」を持っており、あるあるネタと相乗効果で評価が高まっていった。「レイザーラモンRG」として、R-1ぐらんぷり2011・2012で準決勝進出。2013年は3回戦で敗退するも、翌2014年は初の決勝進出、準優勝となる。住谷との肉体芸。元々はテレビ朝日「ガチンコ視聴率バトル」で放送された、HGの相方キャラ発掘企画の数ある候補の中の一つ。キャラが未確定な部分が多く、むしろそのあやふやさと、相方人気に便乗した痛々しさを売りにしたキャラクターである。2004年8月、うめだ花月のオープン1周年記念イベント「真夜中祭り」で、「24時間テレビ」をモチーフにしたコントが演じられた。出渕は募金活動を行っているそばを行く通行人の役だったが、この際に「ちょっと! 誰が妻夫木聡なんですか!?」という台詞を噛んでしまい、「ちょっと! 誰がトゥマバルクタカトシなんですか!?」と言ってしまった(ケンドーコバヤシ曰く、「溺れながら出てきた様だった」)。この全く原型をとどめない噛みっぷりが共演者のツボにハマってしまい、特にバッファロー吾郎・木村明浩は暫くの間立ち上がれないほど笑い転げていた。木村はこれがよほどツボだったようで、同年11月開催のイベントのタイトルを「トゥマバルク・フロム・ダードゲイ」と名付けたほどだった。2004年12月11日にインディペンデントシアターセカンドで開催されたレイザーラモンの単独ライブ「奈良フー!!!」で、出渕は凄まじいほどのどもりを持つ女・TOMIKOを演じた。2004年12月21日にZepp Osakaで開催されたお笑いライブ「バッファロー吾郎の23時間半ライブ 〜再入場OKなんです。」では、出渕が自らプロデュースした持ち込み企画を披露。「欽ドン!」のパロディコント(「良い子悪い子普通の子」など)に挑んだものの、余りにもシュール過ぎて理解不能な展開であったため、客席は今までにないほどの沈黙に。当日出演していたケンドーコバヤシが「色のない世界」と形容したほどで、今も尚伝説として語り草になっている。ちなみにこの模様の一部はケンドーコバヤシのDVD『追悼ケンドーコバヤシさん』の中に収録されているが、わざとかどうかは定かでないが通常のDVDメニューからは閲覧できない。パソコン上でファイルを個別にロードすれば最後のパートにほんの1分ほど登場する仕組みであり、そのわずか1分でも「色のない世界」を十分堪能できる。相方のHGに続けとプロレスイベントハッスルに参加するため、2006年に『パワーアップでオー!ディション』に参加、2月10日のドラフトまで生き残る。鈴木浩子第3代GMは「これほどの才能の原石を見たことがございません。何とかとハサミは使いよう。いただいておきましょう」と鈴木家の一員に加えられ、正式にハッスルの参戦が決定し、鈴木第3代GMの退任と彼女の推薦により第4代GMに就任。ハッスルでのニックネームは「孤独の疫病神」「自称・"ハッスルの神の子"」。ハッスルでも「勘違いして調子に乗ったキャラクター」のギミックが与えられている。その後、ハッスルハウスvol.20において行われたGM総選挙において坂田亘に敗れ、GMの座から退任することとなった後、坂田軍団の一員となり、やられ役としてのギミックで活動。ハッスルマニア前の記者会見ではGMWがHGに対して「お前よりもRGの方が面白かった」と言いHGも「はい。私も初めてRGが面白いと思いました」と相方HGもRGの面白さを認め始めてきた。出場当初は寒いギャグを織り交ぜたマイクパフォーマンスなどで観客からのブーイングや「帰れ」コールが日常茶飯事であったが、試合を重ねるに連れ、ハードな受身を取ったり、流血戦にも耐えるなど、レスラーとして成長していった。タイガー・ジェット・シンや天龍源一郎、川田利明、曙、鈴木みのるなどといった国内外の大物レスラーと対戦している。後期ハッスルではその大げさな受身の取り方を始めとしたやられっぷりの良さで人気を博し、ハッスルの裏エース、後楽園ホールの主役とまで呼ばれ、メインを務めることも多かった。ハッスル崩壊後も時折リングに上がることがあり、2010年のDDT・両国大会では、足の重傷から一日限定復帰したHGと組んで男色ディーノとハンデキャップマッチを行っている。また、全日本プロレスでは第3代F-1タッグ選手権を獲得(パートナーは征矢学)。2003年に、レイザーラモンと小籔千豊がパフォーマンスユニット「ビッグポルノ」を結成(2014年解散)。下ネタを積極的に織り込んだコントやラップなど、様々なパフォーマンスを行っていた。ビッグポルノでの出渕(RG)は意外なまでに高い歌唱力を持ち味としており、陰茎と大阪をモチーフにしたナンバー「SUNRISE SUNSET」などを収録した自主制作盤も制作し、人気を博していた。2012年より、RG、椿鬼奴、藤井隆の3人で、好きな洋楽をカラオケで歌うだけのイベント「Like a Record round! round! round!」を随時開催している。2014年には、藤井が主宰する音楽レーベル「SLENDERIE RECORDS」所属のユニットとして(ユニット名はイベント名と同名)、KOJI1200(今田耕司)の「ナウ ロマンティック」のカバーや、オリジナル曲「kappo!」をリリースしている。

出典:wikipedia

LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。