外国人参政権裁判(がいこくじんさんせいけんさいばん)では、日本における外国人参政権請求裁判について概説する。これまでに、国政参政権、地方参政権、国政被選挙権について請求裁判が行われ、いずれも最高裁においてすべて請求棄却された。2013年現在、日本国内法では国政地方ともに外国人参政権は認められていない。1995年(平成7年)2月28日の最高裁判決は、判決において請求棄却とした。また[一般的に[傍論]と述べられる部分]において「憲法は法律をもって居住する区域の地方公共団体と特段に緊密な関係を持つに至った定住外国人に対し地方参政権を付与することを禁止していないが、それは国の立法政策にかかわる事柄であって、そのような立法を行わないからといって違憲の問題は生じない」とした。この「定住外国人に対し地方参政権を付与することを禁止していない」の部分が後に参政権付与運動の根拠とされ、2010年11月29日には菅内閣が、傍論部分を「最大限尊重しなければならない」とする政府答弁書を閣議決定した。しかし、これに対しては傍論作成に関与した元最高裁判事園部逸夫が「ありえない」と批判した。外国人参政権の付与請求運動も、裁判判決も、いずれもなんらかの法曹学説(解釈)を根拠とする。2013年現在、日本の法曹通説および判決においては、外国人参政権は人権のような前国家的権利ではなく、国民主権に反するがゆえ憲政上保証されないとする。ただし、平成7年の最高裁判決のいわゆる「傍論」が部分的許容説を示したものとして、参政権付与を請求する運動や、それを支持する民主党などは参政権付与の根拠としている。しかし、憲政上、これは法曹学説に異論があり、また、認識に混同があるとして批判されている(後述)。憲法学者の芦部信喜は、人権は前国家的権利であるが、参政権は前国家的権利ではないとしている。すなわち、外国人に人権享有主体が認められるとしても、日本国民と日本国との身分上の恒久的結合関係とは異なり、外国人と日本国との関係は、場所的居住関係にすぎない。そのため、外国人は日本国民と異なる扱いを受けるとした。現在、日本の法曹では、とする否定説が存在し、その学説の立場では、外国人参政権付与を認めない。外国人参政権付与請求裁判が開始される以前の1988年、長尾一紘中央大学教授(憲法学)が、論文「外国人の人権-選挙権を中心として」において、ドイツの学説である「部分的許容説」を日本で初めて唱え、日本国憲法下でも外国人に地方参政権を付与できると主張した。この論文は最高裁の平成7年(1995年)判決の「傍論」にも影響を与えた。平成7年の最高裁判決では外国人の地方参政権について、「全ての外国人に国政において参政権は憲法上保障されない」とする"否定説"に立ったものの、傍論と一般によばれる部分で「地方レベルの参政権については法律による付与は憲法上許容される」と記し、"部分的許容説"に立っている。しかし、民主党を中心とする連立政権が誕生し、外国人への地方選挙付与が現実味を帯びたことで、長尾は自説に対し疑義を抱き、2009年12月に「部分的許容説は維持できない。違憲である」とした。長尾はその理由として、「現実の要素が法解釈に影響を与える『立法事実の原則』からも、部分的許容説は誤りである」「国家解体に向かう最大限に危険な法律を制定しようというのは、単なる憲法違反では済まない」と再主張した。自身が学説を紹介したことで外国人参政権付与が勢いづいたことに関しては「私の読みが浅かった。慚愧(ざんき)に堪えない」と謝罪した。2010年2月の論文では、韓国人は、韓国の憲法によって韓国への忠誠が要求されていることや韓国人の半数が対馬は韓国領土と考えていることなどから、参政権が付与された場合、対馬が日韓の外交問題(領有権問題)となることが予期され、日本の安全保障上重大な問題であること、また、在日大韓民国民団は韓国政府の補助金によって運営されているため、民主党の同団体への外国人参政権付与の公約は、外国政府への公約となっており民主党の進める外国人参政権法案は国家意識を欠如させた危険なものであるとした。元来、「部分的許容説」は、ドイツの学会において少数説であったものを長尾教授が輸入した学説である。ドイツでは、1989年にハンブルク(8年以上滞在する「全ての外国人」に対して、7つの行政区における選挙権)とシュレースヴィヒ=ホルシュタイン州(5年以上滞在するデンマーク人・スウェーデン人・ノルウェー人・アイルランド人・オランダ人に対する選挙権)が、それぞれ外国人に地方参政権を付与する法改正をなし、これが憲法訴訟に発展した。ドイツ連邦憲法裁判所は1990年10月にこの法改正を違憲とする判決を出した。こうして、ドイツでは「部分的許容説」は否定された。その後、「ヨーロッパ連合条約の批准」という要請に応じて1990年に憲法を改正。"EU加盟国国民に限って"地方参政権を認めた改憲を行った。これによって現憲法下のドイツにおいて「部分的許容説」は実務上の意味を失っている。これまで外国人参政権付与を求める訴訟がいくつか行われているが、全てが退けられている。最高裁判決は、これまでに平成5年(ヒッグス・アラン裁判)、平成7年(傍論を付された)、平成10年(国政被選挙権)、平成12年 (地方参政権) の計四つ行われた。日本在住でイギリス国籍のヒッグス・アランが、これまでに国政参政権と地方参政権の双方について提訴したが、いずれも請求棄却された。ヒッグス•アランは、参院選で投票できず精神的苦痛を受けたとして、1989年11月17日、国に損害賠償を請求して提訴した。1991年3月29日 大阪地裁で請求が棄却された。そのひと月後の4月22日今度は、地方参政権を求めて提訴した。国政参政権請求裁判はその後、1992年7月31日 大阪高裁で控訴棄却、1993年2月26日に最高裁で上告棄却となった。判決ではマクリーン事件最高裁判決を引用しつつ、外国人の人権には、その性質により保障されるものとされないものがあり、国政参政権は国家を前提とする権利であり、日本国民にのみ保障されているものとした。地方参政権請求裁判についても、1995年4月25日 最高裁は上告棄却した。1990年、特別永住者である在日韓国人が、大阪市の各選挙管理委員会に対して、彼らを選挙名簿に登録することを求めて公職選挙法24条に基づき、異議の申出をした。選挙管理委員会がこれを却下したため、同年11月、在日韓国人らが却下決定取消しを求めて大阪地裁に提訴した。裁判の結果、1993年6月29日 に請求棄却。1995年2月28日には最高裁は上告を棄却した。日本における外国人地方参政権の議論は、この平成7年最高裁判決の内、特に「傍論」と呼ばれる部分に端を発する。現在、日本国内で議論として扱われている「外国人参政権」は、この地方参政権を指す。詳細は後述節。在日朝鮮人3世李英和を代表にした外国人政党「在日党」が1992年の参議院議員選挙に立候補できなかったことを争ったが、1998年(平成10年)最高裁は訴えを退けた。1991年5月2日、永住資格をもつ在日韓国人(特別永住者)ら4人が福井地方裁判所に提訴。最高裁は1995年2月28日と同様に上告棄却。以下、最高裁判所が1995年(平成7年)2月28日に判決した、外国人の地方参政権についての憲法判断が為された裁判の判例について述べる。1990年11月、特別永住者たる在日韓国人らは、自分たちを選挙人名簿に登録するよう大阪市の選挙管理委員会に申し立てた異議が却下されたことを受け、その却下の決定の取消を求め、大阪地方裁判所に提訴した。1993年6月29日、大阪地方裁判所は、と判示し、原告の請求を棄却した。これを受けた原告は、判決を不服とし、公職選挙法25条3項に基づき、最高裁判所に上告した。平成7年(1995年)2月28日、最高裁第三小法廷は、上告を棄却した。これにより、原告敗訴の1審大阪地裁判決が確定した。担当裁判官は、可部恒雄(裁判長)、園部逸夫、大野正男、千種秀夫、尾崎行信の5名である。この判例の判決理由は、との旨を判示した、3つの部分に大きく分かれる。この判例の判決理由の内、特に「憲法は法律をもって居住する区域の地方公共団体と特段に緊密な関係を持つに至った定住外国人に対し地方参政権を付与することを禁止していない」という「部分的許容説」を示した部分すなわち判決理由の第二段落について、これまで一般に「傍論」とされてきたが、元最高裁判事園部逸夫は、判決判断を行ううえでの理由を説明したものにすぎず、「傍論」ではないと発言している(後述)。2005年、在日韓国人が日本国籍を有さないために公務員管理職試験の受験を拒否されたことから争われた、別の裁判の最高裁判決(最判平成17・1・26)では、その調査官解説の中で、この判例の「部分的許容説」部分についても言及され、「この説示は傍論である」とされている。ほか、常本照樹 、宇都宮純一 、門田孝 、相馬達雄 、青柳幸一 、長谷部恭男らの法学者や法曹も、この部分を「傍論」とする。ほかにも読売新聞は2009年10月10日の社説で、「選挙権付与に積極的な論者が根拠とするのは、在日韓国人が地方選挙権を求めた訴訟での95年最高裁判決だ。傍論部分で、憲法上は禁止されておらず、国の立法政策にかかわる問題としている。」と述べ、また産経新聞も2010年1月17日記事で、「この傍論が『最高裁は外国人の地方参政権の付与に対して違憲ではないと判断した』などと強調され、推進する立場の人たちによって外国人参政権付与の根拠として持ち出されてきた経緯がある。」と指摘している。また、2010年3月5日、(弁護士資格を有する)枝野幸男内閣府特命担当大臣(鳩山由紀夫政権の「法令解釈」担当も併任)は、「傍論といえども最高裁の見解」、「行政府で(傍論と)異なる見解をとることは憲法に照らして許されない」と述べている。この判決をした第三小法廷に最高裁判所裁判官として所属し、傍論作成に関与した園部逸夫は、2007年にこの問題に関し以下の発言をしている。園部は、調査官解説へのコメントとして、本判決理由は、解説が要約しているように(1)第一段落、(2)第二段落及び(3)第三段落の三つからなり、本判決の判例部分は(3)第三段落としている。また、2007年には、と述べて、「判決の理由」について述べた部分のみをとりだして「傍論」として重視するのは「主観的な批評」であり「俗論」として痛烈に批判した。しかし、園部によれば、参政権付与運動側の主張する根拠である「傍論」における解釈は要請説的解釈であり、最高裁判所の立場ではなく、そもそも判例と傍論を区別するという法理は日本の制定法主義の中に存在しないということである。この見方からすれば、菅首相の「傍論を最大限尊重する」といった発言や、元弁護士でもある枝野大臣の「傍論といえども最高裁の見解」「行政府で(傍論と)異なる見解をとることは憲法に照らして許されない」といった発言は、そもそも許容説的見解でなく、要請説的立場であるため、主観的な批評または俗論であり、したがってなんら法理的な根拠を持っていないとされる。園部は、「傍論の政治的利用」についても批判している。つまり、一般的に傍論とされる部分において部分的許容説を取っているからと言って、ただちに、立法的解決を要請されるものではないということである。また園部は、第二の判決理由(いわゆる「傍論」)について、そもそも不要であったとし、この判決の将来における見直しについて、最高裁大法廷で判決を見直すことができるし、判決は金科玉条で一切動かせないわけではないとした。また、1999年朝日新聞において自身が「傍論」として論じたことについて、2010年2月、「これは¥言葉が悪かった」とした。さらに、続く記者からの「これでみんなが傍論と言ってるのでは」との問に対して、「“傍論”なんて言った覚えない」とし、「傍論」を「政治的に利用すること」について注意を喚起したうえで批判した。
出典:wikipedia
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