ボヘミア・モラビア共産党(ボヘミア・モラビアきょうさんとう、)は、チェコ共和国の左派政党。現在の党首はヴォイチェフ・フィリプ(2005年-)。なお日本外務省や日本共産党はチェコ・モラビア共産党の日本語訳を使用している。1989年、チェコスロバキア共産党の組織を連邦化するため、ボヘミアおよびモラビアを基盤とする下部組織として結成された。1990年に、チェコスロバキア共産党は正式にボヘミア・モラビア共産党とスロバキア共産党(KSS)に分かれた(後にKSSは、社会民主主義を志向する民主左翼党(SLD)に党名を変更。また1992年にはチェコスロバキアの連邦自体も解体した)。2015年3月時点で党員数4万9千名で、欧州議会内では欧州統一左派・北方緑の左派同盟に属する。ポスト共産主義の東欧諸国において、1989年以降に党綱領を改正したが、党名に共産主義を残している唯一の政党である。年金生活者などの高齢層や地方居住者を主な支持基盤としている。チェコにおける広域自治体は14(首都プラハと13県)あるが、うち9自治体ではチェコ社会民主党と共に与党となっている(2014年6月現在の数字)。長期的目標として、社会主義的システムへの変化を掲げている他、新自由主義政党であるODS(市民民主党)に対する対決姿勢を明確にしている。以下に個別分野におけるKSCMの立場を紹介する。1992年の連邦解体前、最後の選挙に他の左派政党と選挙リストを組んで左翼ブロック(Levý blok)として参加し、得票率14.05%で35議席を獲得した。連邦解体後の初の総選挙となった1996年下院選挙において得票率10.33%で22議席、1998年選挙では11.03%で24議席を獲得し、議会第3党の地位を維持した。続く2002年下院選挙では市民民主党(ODS)やチェコ社会民主党(ČSSD)など諸政党が軒並み支持を減らした中、二大政党のなれ合い批判や新規雇用創出や労働条件向上、福祉水準の向上などを訴え、失業者や年金生活者、労働者を中心に支持を拡大。18.5%の得票で41議席(前回比+17議席)を獲得し、議席率で20%を超える躍進を遂げた。しかし2006年下院選挙では、ODSおよびČSSDに次ぐ第3党の地位を維持したが、12.8%の得票で26議席に減少し、前回選挙と比べた支持の下落は党指導部を失望させた。下院の任期満了に伴って行われた2010年5月の下院選挙では得票率を前回よりやや減らしたものの、前回議席を維持。任期を前倒しする形で行われた2013年10月の選挙では得票率と議席を共に増やすことに成功した。上院は2年毎に3分の1(27議席)を改選する。直近の2012年選挙では1議席を獲得、非改選の1議席を含め2議席となり、選挙前の勢力を維持した。2004年6月、チェコにおける初めての欧州議会選挙で24議席中6議席を獲得し、第2党になった。そして2009年の欧州議会選挙では定員22議席のうち4議席(得票率14.18%)を獲得、第3党となった。3回目となる2014年欧州議会選挙では中道右派系の新党であるANO2011やTOP09が躍進した影響を受け、定員21議席のうち3議席の獲得に留まり第4党に後退した。日本における共産主義政党である日本共産党の第22回(2000年)、第23回(2004年)、第24回(2006年)大会に来賓として参加している。日本共産党も2002年下院選挙でKSCMが躍進した際に、中央委員会名でKSCM中央委員会に躍進したことを祝う祝電を送っている。また、2004年5月に行われたKSČM第6回党大会に日本共産党代表として、西口光常任幹部会委員・国際局長と伊藤知代国際局員の2名が参加、日本共産党中央委員会名のメッセージを手渡している。なお同大会では40余の国からの代表が参加している。
出典:wikipedia
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