小松屋 百亀(こまつや ひゃっき、享保5年〈1720年〉 - 寛政5年12月9日〈1794年1月10日〉)とは、江戸時代中期の戯作者、浮世絵師。姓は小松、通称は三右衛門。小松軒、不知足山人(散人とも)、和気春画(わけのはるえ)、百亀と号す。大田南畝の著『奴凧』によれば元飯田町(現在の東京都千代田区富士見一丁目および九段北一丁目)に住み薬屋を営んでいた人物で、剃髪して百亀と名乗る。若い頃より春画を好み、西川祐信の描いた絵本や春画を集め、自らも春画を描いた。また落し噺の本も多く著し、中でも『聞上手』(安永2年〈1773年〉刊行)という本が大いにはやったという。便秘薬「文武丸」を売り出し、その効能書きの版下を南畝が書いたとも記す。安永3年(1774年)3月には牛込光恵寺で催された「宝合」という会に、和気春画の名で参加している。『蜀山人判取帳』には百亀自筆の文と自画像が収められており、それには「天明三卯七ツの日」(天明3年〈1783年〉4月7日)という日付と「小松百亀六十四才書」の署名がある。絵については師系不明、明和の初め頃に絵暦の摺物を小松軒の名で手がける。鈴木春信らとともに多色の絵暦を製作したことにより、錦絵の誕生に多大な貢献をしている。享年74。墓所は小石川の善仁寺(または大雲寺とも)、戒名は萬暦院円資百亀居士。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。