


『猫は知っていた』(ねこはしっていた)は、仁木悦子による日本の推理小説。第3回(1957年)江戸川乱歩賞受賞作。1958年に映画化、1973年にテレビドラマ化された。この作品は元々、河出書房(現・河出書房新社)の『探偵小説名作全集』の別巻として公募された新人の書き下ろし長編の第一席に入選した作品だった。ところが、その発表前に同社が経営破綻して刊行不可能となった。そこで本作は江戸川乱歩の勧めもあり、公募新人賞の江戸川乱歩賞に回された。江戸川乱歩賞が公募に変更されたのは本作が受賞した第3回からで、第1回は中島河太郎の推理小説評論集、第2回は早川書房に対する実績表彰であったため、小説作品としての受賞は本作が初となる。初の受賞者が女性で、なおかつ胸椎カリエスでほぼ寝たきりの生活を送り、学校教育を受けておらず独学で知識を身に付けたという事実は大いに話題となった。本作の主人公は、音楽大学に通うミステリー好きのお転婆な女学生・仁木悦子と、その兄で植物学を専攻する大学生・雄太郎であるが、この2人は後に「仁木兄妹の事件簿」としてシリーズ化された。シリーズ後半では、悦子は結婚し主婦探偵として活躍し、雄太郎の出番は減少する。大映により映画化され、1958年5月7日に公開された。主演の仁木多鶴子は、本作の主演がきっかけで改名した。円谷プロダクション制作の『恐怖劇場アンバランス』の第8話としてテレビドラマ化された。監督・脚本は満田かずほ。放映は1973年2月26日。『アンバランス』ではそれまではオリジナルのホラー作品を制作していたが、フジテレビ側の要望もあって本作以降原作もののミステリーへと路線変更された。交渉にあたっては監督の満田が仁木のもとへ直接訪れている。元々は市川森一が脚本を担当する予定であったが、なかなか取り掛からなかったため満田が自ら原作のシーンを抜粋しシナリオに仕上げた。セットでの撮影は行われず、箱崎医院のシーンは円谷プロダクションの社屋内で、納戸は怪獣倉庫の一角で撮影された。
出典:wikipedia
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