ジーン・ケリー(Gene Kelly,1912年8月23日 - 1996年2月2日)は、アメリカ合衆国ペンシルベニア州生まれの俳優、ダンサー、振り付け師。アイルランド系の両親の元、ピッツバーグに生まれ、兄と一緒に8歳からダンス教室に通う。近所の子供に女々しいとからかわれて辞めてしまうが、15歳の時に再開。ペンシルベニア州立大学でジャーナリズムを学ぶつもりだったが経済的な理由で中断。1931年にピッツバーグ大学経済学部に入りなおし、1933年に卒業。大学在学中もダンスコンテストなどに出場していた。また、1930年に家族がダンススタジオをはじめていたので、そこで教えてもいた。1938年からブロードウェイでダンサーをしていたが、1941年にメトロ・ゴールドウィン・メイヤー入りをし、1942年に映画デビュー。デビュー作は『フォーミー・アンド・マイ・ギャル』でジュディ・ガーランドと共演した。この後、たくさんのMGMの作品に主演し、ハリウッドの黄金時代を築いた。更に、監督・脚本・振り付けもこなすマルチな才能も見せ、まさにMGMの万能選手であった。代表作品には『雨に唄えば』、『踊る大紐育』、『巴里のアメリカ人』などがある。また、『錨を上げて』でMGMのカートゥーン「トムとジェリー」のジェリーと競演するシーンがある。名ダンサーフレッド・アステアと共にMGMの二枚看板として活躍したが、実は2人の共演は少なく、1946年の『ジーグフェルド・フォリーズ』と、1976年の『ザッツ・エンタテインメント PART2』の2作にとどまる。とはいえ1作目の『ザッツ・エンタテインメント』では互いの名シーンを紹介しあうなど、終生お互いへの尊敬は欠かさなかった。ケリーのダンスはアステアの華麗で洗練されたダンスとはまた違い、躍動感に溢れ、アクロバティックな中にも緻密な計算があった。また、スタントマンを使わない事で知られ、映画が出来上がってからその事実を会社が知るといった事もあった。曰く「フレッド・アステアがダンス界のケーリー・グラントだとしたら、私はマーロン・ブランドだ」。
出典:wikipedia
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