播但線(ばんたんせん)は、兵庫県姫路市の姫路駅から兵庫県朝来市の和田山駅に至る西日本旅客鉄道(JR西日本)の鉄道路線(地方交通線)である。兵庫県の中央部を流れる市川・円山川に沿って山陽本線と山陰本線を結ぶ陰陽連絡路線である。平坦線区間である寺前駅以南が1998年(平成10年)に電化されて以降、この路線の直通列車は特急「はまかぜ」のみとなり、それ以外では地域輸送が主体となっている。播但線沿いに国道312号および播但連絡道路が並行する。播但線の前身である播但鉄道が開業するまで、生野銀山と姫路市の飾磨港とを連絡していた生野鉱山寮馬車道という道路も存在していた。関西では代表的な非電化路線であったため、1972年(昭和47年)の蒸気機関車廃止時と1992年(平成4年)3月14日の客車列車全廃時には、それぞれ多くの鉄道ファンが沿線に詰めかけた。近畿統括本部が管轄する姫路駅構内をのぞき福知山支社が管轄している。なお、国鉄時代は仁豊野駅以南は大阪鉄道管理局、以北は福知山鉄道管理局の管轄だった(仁豊野駅 - 香呂駅間に境界があった)。ラインカラーは電化時に投入された103系電車の車体の色に合わせたワインレッド()であり、路線記号は J 。2016年3月26日ダイヤ改正より、線内の駅名標、運賃表や時刻表でラインカラーや路線記号の使用を開始した。2016年3月26日から、ICカード「ICOCA」が姫路駅 - 寺前駅間で使用可能になった。大阪駅 - 香住駅・浜坂駅・鳥取駅間に特急「はまかぜ」が播但線を経由して運行されている。普通列車は電化区間の姫路駅 - 寺前駅間と、非電化区間の寺前駅 - 和田山駅間で運行系統が分かれており、1998年3月14日以降は全線を通して運行される列車はない。また、朝晩を中心に姫路駅 - 福崎駅間の区間運転を行う列車もある。1時間あたりの本数は姫路駅 - 寺前駅間は1 - 2本、寺前駅 - 和田山駅間は1本程度である。以前は和田山発寺前行きで夜間に1時間50分ほど列車がない時間帯があったが、2009年3月14日のダイヤ改正で1本増発したことにより改善している。1998年3月14日の電化時から、主に2両のワンマン運転となったため混雑が慢性化しており、特に姫路駅 - 寺前駅間の沿線には高校が多数散在するため、朝夕の登下校時は常に満員状態である。電化と同時に夕方に姫路発快速寺前行きが3本設定されていたが、2002年3月23日のダイヤ改正で廃止された。途中、香呂駅・福崎駅に停車していた。この改正までは非電化区間の最終が22時台であった。2012年3月17日のダイヤ改正により、寺前駅 - 和田山駅間の一部普通列車が長谷駅を通過するようになったが、翌2013年3月16日のダイヤ改正より通過列車は種別が快速に変更された。2014年4月26日より、当線で運用されているキハ40のうち1両(キハ40 2007)に竹田城跡が描かれたラッピングを施し、臨時普通列車「天空の城 竹田城跡号」として運転を開始した。2015年3月20日からは、車内を暖かみのある木目調の床や窓向きの座席にし、観光素材を映し出すモニターを配置するリニューアルを行い、臨時普通列車に加えて、和田山駅 - 寺前駅間を走る定期快速列車でも運用されている。1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災では、東海道本線・山陽本線(JR神戸線)が寸断され、加古川線(当時は非電化)と共に、迂回路線として非常に重要な役割を果たした。1月20日から姫路駅 - 和田山駅間ノンストップ快速がキハ65形の4両編成で1日2往復運転され、21日・22日はキハ181系による5両編成で3往復の運転を行った。23日からは姫路駅 - 和田山駅 - 福知山駅 - 新大阪駅間でキハ181系による直通快速が1往復設定され、27日からはノンストップ快速に智頭急行HOT7000系も投入して最大6往復、キハ181系は7両編成で、HOT7000系は5両編成で東海道・山陽本線が開通する3月31日まで運転された。寝台特急も地震発生により運転が取りやめられていたが、「あかつき」「なは」は、1月30日から播但線を経由して迂回運転が行われ、新製車両の甲種鉄道車両輸送も、3月14日甲種鉄道車両8本、特大貨物2本が迂回運転された。また、定期列車ではJR西日本管内の気動車はもとより、五能線で運用されていた東日本旅客鉄道(JR東日本)南秋田運転所(現在の秋田車両センター)に所属するキハ58系6両までもが応援運用されていた。震災の復旧作業の進捗によって、JR神戸線の不通区間が徐々に短縮されていったが、不通区間の東西でそれぞれで封じ込められた車両で運用を行わなければならず、特に不通区間の東側にあたるJR京都線・琵琶湖線では車両が不足していた。しかし、回送ルートとして使用できる播但線は非電化で、明治時代に建造された古いトンネルが多く、開口面積が小さかったので、パンタグラフなどの付属機器を網干電車区(当時)で一旦撤去し、ディーゼル機関車の牽引により回送した後に、福知山運転所(当時)で取り外した機器類を取り付けて自力で宮原電車区(当時)などに回送された。なお、生野駅 - 新井駅間の生野トンネルは特に開口面積が小さく、トンネル内に敷設されたケーブルなどの付帯設備などに当たらないよう15km/hで通り抜けた。網干電車区からは、震災による損傷が復旧して出場し、所属区所に回送された車両とあわせて149両が、また不通区間の西側での輸送力増強のため、広島運転所と日根野電車区の103系8両が吹田工場(当時)から網干電車区に回送された。このほか、4月20日のダイヤ改正にあわせて新装された681系・207系も同様に播但線経由で回送された。電車は姫路駅 - 寺前駅間の電化区間で使用されている。この区間で使用されている車両は221系・223系(代走のみ)を含め、扉横のボタンを押して扉を開閉するようになっている。気動車は特急「はまかぜ」用のキハ189系をのぞいて寺前駅 - 和田山駅間の非電化区間で使用されている。1972年(昭和47年)10月の蒸気機関車全廃時までは、C57形・C55形・C11形が牽引する旧形客車主体の列車編成であった。昭和初期から戦時中には9600形・D50形といった貨物型機関車のほかにC51形・C54形も配置されていたようであるが、昭和30年代には客車用の2形式による牽引体制が確立していた。播但線でも貨物扱いがあったが、線路規格が低く、貨物牽引の代表形式であるD51形が配備されていなかったため、旅客機であるC57形牽引の定期貨物という珍しい取り合わせが話題であった。勾配がきつい生野峠越えのため補機を設けていたほか、C57形の回送運用を兼ねて三重連牽引もしばしば見られた。生野峠での補機には、1960年(昭和35年)よりDF50形ディーゼル機関車が、また1969年(昭和44年)からはDD54形ディーゼル機関車が用いられた。1972年(昭和47年)の無煙化後は、山陰本線より転属してきたDD54形が旧形客車を牽引していたが、故障が多発していたため1979年(昭和54年)までに順次DD51形ディーゼル機関車(福知山運転所所属)やDE10形ディーゼル機関車(姫路第一機関区→姫路運転区所属)に置き換えられた。牽引される客車については旧形客車から、1978年(昭和53年)ごろより50系客車(姫路客貨車区所属)への置き換えが進められ、1992年(平成4年)3月14日の客車列車全廃時までDD51形またはDE10形牽引による50系客車のスタイルが見られた。1990年(平成2年)には冷房化を目的として山陰本線(嵯峨野線)の京都駅 - 園部駅間の電化によって余剰となった12系1000番台(近郊改造型)客車が投入された。非冷房時代が長かったため、導入時には、「冷房車両が登場」と沿線に新聞折込広告が配布された。しかし、車両数が少なかったため朝夕のラッシュ時のみの運用にとどまり、50系客車と同じく1992年(平成4年)3月13日までの運用となった。客車を牽引する機関車は、前述のDD51形ディーゼル機関車とDE10形ディーゼル機関車があてられたが、姫路駅 - 和田山駅間の直通列車がDD51形、姫路 - 寺前間の列車がDE10形と分けられていた。気動車については、1977年(昭和52年)ごろよりキハ10系の置き換えとしてキハ40系が投入された。昼間の閑散時にはキハ47形による2両編成もあったが、ラッシュ時には6両編成と気動車にしては長編成を組まれる場合もあった。1992年(平成4年)3月14日以降は、客車置き換え用として北陸地区より転属したキハ58系初期型を改造したキハ58系5500番台車(オールロングシート改造車)が投入された。5500番車のロングシートは1本が両端デッキ部を除く約17mにもおよぶ長さが特徴であった。導入当初は、元線区仕様のカラーリングのままであったため注目を集めていたが、順次播但線カラーに変更された。このほかに、特急「はまかぜ」はキハ80系(1982年6月30日まで)、キハ181系(1982年7月1日から2010年11月6日まで)を使用し、1996年3月15日まで運行されていた急行「但馬」用にキハ58系も運用されていた。電化以前は優等列車を除いて基本的に姫新線と共通の運用であり、車両についても同じ運用であった。また、姫路駅で山陽本線(JR神戸線)に接続しているが、機関車などは福知山機関区の所属機を使用することが多かった。電化後も113系電車が2006年11月3日から2007年3月17日まで使用されていた。このとき両端先頭車のドアは押しボタン式の半自動、それ以外の車両のドアは手動扱いであった。姫路駅 - 新井駅間は播但鉄道、新井駅 - 和田山駅間は播但鉄道を買収した山陽鉄道により開業した。播但鉄道時代に開業した飾磨港駅 - 姫路駅間は飾磨港線と呼ばれていた(「日本国有鉄道線路名称」においては、播但線は「飾磨港 - 和田山」であり、この区間は戸籍上は姫路駅 - 和田山駅間と一体の扱いであった。この点は、戸籍上も福知山線の枝線だった尼崎港線とは異なる)。貨物輸送主体で旅客列車が1日2往復しかなかった飾磨港線は、1986年(昭和61年)に廃止された。飾磨港線の姫路駅付近の一部区間の跡地は、山陽電鉄本線に転用されている。山陽本線と山陰本線を連絡する路線であることから輸送力増強および東海道本線・山陽本線(JR神戸線)不通時の代替路線として以前から電化計画があった。阪神・淡路大震災の教訓から非常時の代替路線の必要性が高まり、播但線についても候補として検討されているが、ともに代替(電化対象)路線とされ播但線よりも東に位置する加古川線(谷川駅 - 加古川駅間)が先に全線電化が完了している。播但線は1998年(平成10年)に姫路駅 - 寺前駅間が電化されたが、寺前駅 - 和田山駅間は断面の狭いトンネルが数多く存在しており、この区間の電化には大規模な改良を必要とすることから、電化対象路線としては加古川線に先を越された形となっている。下記以外の駅は無人駅である。全駅兵庫県姫路市内に所在。接続路線の事業者名は当区間廃止時。
出典:wikipedia
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