長崎自動車(ながさきじどうしゃ)は長崎県長崎市に本社を置く路線バス事業者である。営業エリアの広さの割に保有車両数が多く、約600台(子会社保有車両を除く)を保有する。本社所在地は長崎市新地町3番17号(長崎新地ターミナル内)。通称は長崎バス、または長バス。西海市は一部を除き子会社のさいかい交通が、貸切バスについては、子会社の長崎バス観光が運行している。長崎自動車は長崎市内で競合していた小規模なバス事業者を統合して誕生した。大正末期から昭和初期にかけて多数の個人事業者が弱小資本で路線バス事業者を乱立する流れがあり、1933年(昭和8年)時点で全国のバス事業者数4311社、1業者あたりの平均営業キロ数30.1キロ、平均保有台数5台という状況であった。1936年(昭和11年)、雲仙地区で雲仙小浜自動車を運営していた鹿児島出身の豪商上野喜左衛門は長崎市で乱立されていたバス事業に目を付け、長崎市内で競合していた崎陽(きよう)自動車商会、金子自動車商会を買収・合併して茂木乗合自動車を設立した。その後、上野のバス会社は長崎自動車と名を変え、乱立された長崎県西部 - 南部の小規模事業者を10年ほどかけて次々に買収・統合して規模を拡大した。第二次世界大戦末期までに主な事業者の統合が終わり、終戦の頃には長崎市から長崎半島と西彼杵半島に渡る路線権を持つ、規模の大きな事業者となっていた。なお、長崎自動車の買収・合併と同時期となる1944年(昭和19年)に政府鉄道省より「バス事業の統合による総力の集結を求める通達」が出され、長崎県内では他にもバス事業者の統合が行われている。戦後復興期の頃は茂木線を茂木営業所、時津線を時津営業所、その他を大波止営業所の管轄としていた。しかし事業拡大に伴い路線数が増大し、大波止営業所の運行管理が煩雑化したため、市内や郊外の各地に設置した営業所に機能を分散した。1956年(昭和31年)に飽の浦と戸町と瀬戸、1956年(昭和32年)には田上と崎戸と、2年で5営業所が開設された。これ以降は多数の営業所に担当路線を分散させて運行を行う体制となっている。社史資料などで一般公開されている情報によると1950年代後半(昭和30年代)の頃から先端技術の積極的な導入を行なうという経営方針が確立されており、現在もその体制は維持されている。1957年(昭和32年)9月には全国二例目となる自動ドアを取り付けた車両を導入した。自動ドア付きの新型車両ではドアの位置が変更され、従来は前乗り前降りとなっていたものを中乗り中降り方式に変更している。1959年(昭和34年)6月29日には九州初となる完全冷房バスを導入し、1982年(昭和57年)7月には全国で最も早く、全車の冷房化を完了している。長崎バスが冷房化率100%を達成した時点で全国のバス事業者の冷房化率は30%未満であったとされる。1987年には本社ターミナルの老朽化した発車案内設備を交換する際、全自動化されたシステムへの交換が行われた。新しいシステムは沖電気工業と長崎バスが共同開発したもので、行き先や発車時刻、発車合図や遅延案内が全て自動化された。完全に自動化されたシステムの導入事例は長崎新地ターミナルの設備が全国初の事例となる。運賃箱は1990年より全国に先駆けて自動精算式の運賃箱を採用している。バーコード式整理券を運賃箱に投入すると運賃が表示され、硬貨や共通回数券(2004年9月30日で発売中止・2005年3月31日で利用停止)を運賃箱に挿入すると、投入額が表示される。運賃と投入額が合えば精算完了音が鳴り、運賃に過不足があると警告ブザーが鳴る。1990年頃に運用を開始した旧型運賃箱では、当時実用化が開始された磁気式バスカードに対応しており、運輸省からより「昭和63年度バス交通活性化補助」が交付されていたが、バスカード導入で補助対象になったのは日本で初めてである。整理券にはバーコードが印刷され、運賃精算の際にはバーコードで運賃を読み取り、読み取られた運賃をカードから差し引く方法であった。カードは1,000円券(利用額1,100円)・2,000円券(同2,200円)・3,000円券(同3,300円)・5,000円券(同5,500円)の4種類が存在した。カードに整理券を代用する機能はない。2002年に長崎県内の事業者共通で使用できるICカード式の長崎スマートカードが導入されることになったため、ICカードに対応した新型運賃箱(後述)に置き換えられることになり、磁気式バスカードは2002年12月31日で発売中止となり、旧型運賃箱も空港線以外は2004年3月までに、空港線も2005年頃までに撤去された。現在運用されている運賃箱は長崎スマートカードと同時に導入されたタイプである。カードリーダーは外付けでなく運賃箱に組み込み済みのものを使用している。運賃と投入額の表示が斜め横向きになり、運転者・乗客双方が同じ画面で確認できるようになった。旧型で対応していた磁気式バスカードは使用できない。2000年以降、事業所やバスターミナルの整備が何度か行われている。2002年には常盤町営業所の廃止とバスターミナルを併設した桜の里営業所を新設、2006年には茂里町、稲佐橋の営業所を廃止し柳、ダイヤランドの営業所を新設、2008年には茂里町営業所跡地にバスターミナル併設型の大型商業施設みらい長崎ココウォークを新設、2015年には時津営業所を移転してバスターミナルを併設した。2001年よりLED式行先表示器の導入を開始。現在は一般路線バスを運行する全て(さいかい交通を除く)の大型車両にLEDが装備されている。臨時便や短縮運行などで普段は使われない行き先や経由地を表示したり、短期間しか使わない行き先を表示したり、柔軟な行き先表示を行う手段としても用いられる。2011年からは液晶式の運賃表表示器を導入。モニターに運賃表を表示するもので、表示項目数の多寡に合わせて画面内に表示するマス目の数や大きさを変更することができる。また、2013年頃からはドライブレコーダーの設置も進められているほか、長崎スマートカードのシステム改良なども中期経営計画として発表されている。グループ全体長崎バス(長崎・長与・時津周辺の路線バス事業)さいかい交通(西海市の路線バス事業)長崎バス観光(観光バス事業)廃止された営業所長崎市内を中心に長崎半島・西彼杵半島一帯を主な営業エリアとして事業を展開しているほか、長崎市内から長崎空港への空港連絡バスも運行している(長崎県営バスと共同運行)。民間バス事業者としては運賃が安い(1キロ当たり24円50銭 全国平均は39円台)で知られている 。しかしながら、長崎市中心部で競合する長崎電気軌道が全区間一律120円(2009年9月30日までは全区間一律100円)という、これまた日本一の安さのため、長崎市民の間には割高感をもたれている。国体など市内での大きなイベント等が開催される際には路線バス車両を利用したシャトルバスの運行なども行っている。高速バス・さいかい交通のみ運行の市町村を除く。長崎市は東西を山に囲まれ、中心部の西には浦上川とJRの長崎本線があるため、幹線道路が川と線路に並行するような形で南北をほぼ一直線に走り、その周囲に市街地が展開する構造となっている。このため路線は基本的に北部方面が宝町交差点、南部方面が中央橋交差点から枝分かれして各方面へ展開する形になっており、中央橋発着の東長崎線以外は殆どが宝町・長崎駅・中央橋を経由する形になる。そのため宝町 - 中央橋間は日中でもバスの本数が極めて多い。長崎駅から中央橋の間は経路が二分され、中央橋方面へ向かう全ての路線が大波止経由か市役所経由のどちらかで運行される。大波止経由は船着場や商業施設ゆめタウン夢彩都のある大波止を通り、市役所経由は長崎市役所を初めとしたオフィスビルの建ち並ぶ地区を通る。また、郊外では大型車のすれ違いが難しい道路を通る路線が多いが、中型以下のバスで運行される路線は少なく、狭い道でも大型の車体が通行可能な道路は大型バスで運行される。大型バスを運行出来ない山間部の住宅密集地のみ、全長7メートル弱の小型バス(通称ミニバス)で運行される。1973年(昭和48年)より主な経由地別で路線に番号を設定しており、経由番号は中心部を基準点にどこへ行くかを大まかに示している。行き先の表示が同じでも経由番号が異なれば経路は大きく変わり、所要時間・運賃なども異なる場合がある。中心部を通らない路線や経由番号で示す経路に該当しない路線は経由番号が付与されず、経由地のみの掲示で運行される。行き先表示に方向幕を使用していた頃は、大波止経由を青や黒、市役所経由を赤の経由番号で示しており、大波止と市役所の表示を省略することもあったが、LEDの行き先表示では色分けが出来ないため、大波止と市役所は必ず経由地に明記される。LED移行後の色分け表示はバスターミナル内の案内表示など、ごく一部でのみ継続して使用されている。なお、経由番号については見直しを行うと言う方針があるとされるが、実施には至っていない。長崎市中心部では再開発事業(新幹線、県庁舎や市庁舎の移転など)が計画されているため、番号のみならず大波止経由と市役所経由と言う区分けも含めた再検討が必要であると考えられている。また、経由番号の見直しにあたって行き先ごとに番号を割り振ることも検討されている。番号なし時間帯限定の路線廃止路線以下の路線がある。〈〉内は共同運行会社。担当営業所は、県外向け路線(グラバー号・オランダ号・サンライト号)が松ヶ枝営業所(共同運行会社車両の車庫管理なども担当)、空港リムジンが大橋営業所。夜行便昼行便空港リムジンバス廃止路線子会社の長崎バス観光が運営を行なっている。かつては貸切営業所として運営されていたが、2004年に子会社化された。車両は主に50人強が乗れるハイデッカーと25人乗り小型バスが使い分けられるが、シャトルバス専用に路線バスから転用されたものも少数ある。1953年(昭和28年)運行開始。1955年(昭和30年)頃には通りかかった観光名所にちなんだ曲を流すミュージックバスを運行していた。また、観光客出迎えの際に女子吹奏楽団が活躍した時期もあったが、競走過熱となったため九州地区バス事業者間で申し合わせが行われ、1965年(昭和40年)に廃止された。現在は長崎市内を巡るコースと、期間限定ながら外海方面の教会などを巡るコースの2種類がある。このほか、長崎市内から雲仙・島原を観光しながら熊本フェリーにバスごと乗船して熊本県熊本市とを結ぶ「雲仙・長崎オーシャン観光バス」を九州産交観光と共同運行においておこなっている(完全予約制)。長崎市内や雲仙温泉へのツアーを中心に、九州各地へのバスツアーを運営している。また、長崎バスやさいかい交通の一般路線バスに便乗して移動し、長崎市周辺の観光地への日帰り旅行を行うツアーも企画されている。長崎市が運行する長崎市コミュニティバスの伊王島線、三和線、香焼三和線、野母崎線を担当している。なお、都市循環線として運営されていたコミュニティバス(愛称 「らんらん」)は2011年(平成23年)3月31日の運行を最後に廃止された。1992年(平成4年)10月より自動車の車検サービスを請け負っている。当初は普通乗用車と軽自動車のみを受注の対象としていたが、現在は大型車や特殊車の整備も行っている。モーターサービス部の管理下にあり、業務は神の島営業所近くの整備工場で行われる。ツーステップバスは銀バスとも呼ばれている。戦前は深緑に赤帯、戦後初期は深緑に薄緑帯のデザインであったが、戦後復興期に創業者上野喜左衛門によって明るいイメージというコンセプトで銀地に朱と紺のデザインが考案された。新デザインは全車両に適用され、新車は全て銀バス、既存車は車検の際に塗り直しが行われた。この頃より車両側面には「長崎バス」と「NAGASAKI BUS」の文字が書かれている。1984年導入のいすゞキュービック以降新車の塗り分けが変更され、それまで紺色だった車体下部の色が青・朱だった帯がディープピンクに近い赤となり、全体に直線的なカラーリングで明るめのデザインとなった(写真参照)。前面・側面方向幕も大型化し、色もこの代より青地に白文字となった。現在ワンステップバスおよびノンステップバスで採用されているカラーは白をベースに朱と紺のトリコロールで車体側面にNの字があしらわれたもので、1999年に導入されたワンステップバスより採用された。。2001年以降は交通バリアフリー法により新車導入がワンステップバスおよびノンステップバスのみに限定されたため、事実上の標準色となっている。なお、かつては急行用車両として銀バスとは別のデザインの車両が導入されたこともある。白を基調とした赤帯と青帯のトリコロールカラーで、1980年代に導入された旧デザイン(車両中央で帯が√を描くように曲がっている)と2000年に佐世保急行線用として導入された現存車両(写真参照)の新デザインがある。しかし急行路線はその後全て廃止され、現在は急行用車両は一般車両と全く同じ運用に就いている。観光バスや高速バスなどの車両も、原則としてトリコロールを採用している。貸切バスは1979年(昭和54年)導入車両より一般路線バスカラー(当時)のマイナーチェンジ版を採用。現在まで使用されている。高速バスは現行と異なるデザインや、貸切兼用車両を使用した時期もあるが、1989年(平成元年)導入車より現行デザインが採用されている。空港バスのみ当初は紺色をベースカラーとしたデザインを採用していたが、2011年(平成23年)導入車より白をベースとしたデザインとなり、既存車も新デザインに変更された。ミニバスは運行開始当初、路線ごとに異なるデザインを採用していたが、ココウォークがオープンした2008年の8月以降、みかんバス(滑石・長与・時津方面)を除く殆どの路線でデザインをココウォークカラーに統一している。長崎自動車の車両はナンバープレートに依存しない形で車両を管理するため、子会社であるさいかい交通、長崎バス観光所属分の車両も含めて1963年より4桁の車両番号が付与されている。その意味は以下のとおりである。例として、2006年の1番目に導入されたいすゞ製車両は「2601」となる。ただし番号は20年で一巡するため、1966年・1986年・2006年…の1番目に導入されたいすゞの車両も「2601」となる。なお、番号振りには例外を生じるケースも存在する。基本的に通し番号には欠番などのルールがなく、一部事業者で忌み番号とされる「XX42」や「XX49」の番号を持つ車両も在籍している。用途別およびコーチビルダー別の区分ルールなどもない。このため路線バスと高速バス、あるいは純正車と西工架装車が連番になることや、番号が一巡した際に同じ番号が別用途・別ボディの車両に割り振られることもある。長崎バスの車両は、草創期を除いて基本的にいすゞ・日野・三菱ふそうを採用している。かつて長崎いすゞ自動車(現在いすゞ自動車九州に統合)をグループに持っていた関係上、路線用ではいすゞが中心に導入され、高速・貸切用は日野・三菱が中心である。例外として1984年(昭和59年)に導入された佐世保線用の二階建車両(現在は廃車)のみドイツドレクメーラー製が採用されている。運行に使用する車両は大型車(車体長10〜11m級)でほぼ統一され、狭隘路線でも基本的には大型車で運行される。ボディは各メーカーの純正車体が主流であり、九州の事業者では採用例の多い西日本車体工業も一部の採用にとどまっている。また、UDトラックス製の車両・富士重工業ボディの車両はこれまで在籍していない。ワンステップバスは1999年から導入開始され、2001年からはスロープ板を装備した車椅子対応型を導入し、これと同時に行先表示器もLED標準装備となった。2005年12月には国土交通省標準仕様のノンステップバスが試験導入され、翌2006年12月より全営業所で運行開始された。なお、沿線に坂が多い道路事情から、2006年以降導入のノンステップ車は床高さを標準仕様から20cm上げる独自の仕様を採用している。一般路線バス車両の外見的特徴として、大型車両は1990年より行先表示器が中央で2分割された車両を導入している点を特徴とする。左側に終着地を掲げ、右側に経由地を列挙する。またセーフティウインドを装備した車両も多く、車種によっては事実上長崎バス向けのみの仕様の場合もある。また特殊装備として左側路肩に向けたコーナリングランプが標準装備されており、必要に応じて点灯させている。現役車両のうち新車は2001年からLED表示の大型行先表示器を標準装備、それ以前の導入車も行先表示を方向幕からLEDに交換する改造が行われ、現在は(子会社であるさいかい交通を除けば)中型バスの一部を除く全車両が改造を終了し、改造前に引き続いて左右分割式の行き先表示が採用された。またLED標準装備の車両は当初非分割の表示を採用していたが、現在は改造車と同じく全車左右分割式の表示を採用している。一般路線バスの冷房化は早期に実施されており、冷房は1973年導入分から標準装備され、1982年7月から全車が冷房車となっている(一般路線バス事業者では全車冷房化達成第1号)。ワンステップバスの導入以前は前後扉を基本としており、九州の事業者で採用例の多い中扉4枚折戸はワンステップバスの導入まで採用されなかった。高速・貸切車両は1997年導入分よりスイングドアが採用された。かつては塗装を使って車両に広告を施していたが、2005年よりラッピングバスを採用。車体に収まらない写真は車窓にまで広げて貼ってある。この他、長崎国際テレビに対しても出資をしている(株式持分割合が低いため関連会社扱いにはならない)。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。