資本主義(、)とは、経済の仕組みの一種で、資本の運動が社会のあらゆる基本原理となり、利潤や余剰価値を生む体制である。「資本制」とも言う。社会に貨幣を投下し、投下された貨幣が社会を運動してより大きな貨幣となって回収される場合、この貨幣が「資本」とよばれる(資本を参照)。カール・マルクスは著書『資本論』の中で「生産手段が少数の資本家に集中し、一方で自分の労働力を売るしか生活手段がない多数の労働者が存在する生産様式」として「資本主義」と定義した。なお、あくまで経済面から見たもので、イデオロギーにおける自由主義・民主主義とは関係ない。資本主義が成立するためには、商品生産と商品交換が一般化しており、自己の労働力を商品化する賃金労働者の存在が必要である。ひとくちに「資本主義」といっても時代や国によって体制には差があるが、一般的に以下のような特徴を持つものであるとされる。但し、以上のうち、どの特徴が資本主義にとって本質的なものであるか、どの特徴が偶有的なものであるか、については必ずしも意見が一致しない。基本原理としては生産手段を持つ資本家が、生産手段を持たない賃金労働者を使用して利潤を追求する社会システムである。ただし資本家や労働者という地位は象徴的なものであり、特権的な地位として資本市場が開放されていない状況(ギルド、座、etc)を別にすれば、賃金労働者であっても自己資本を出資することで資本システムからの果実(配当)を獲得することは可能である。また企業オーナーが社長や従業員として、当該企業から賃金を受けることも可能である。また実質的な生産手段(技術)をもつのが賃金労働者であり、出資者は経営陣(取締役)を派遣することで技術者(賃金労働者)をマネージメントすることで収益・果実を期待する組織形態も多く、現実の資本主義がもつ様相は多元的で多種多様である。経済学者の原田泰は「封建社会では人々は生まれたときからすべて決められてしまうが、資本主義社会では人々は自ら運命を開拓することができる」と指摘している。フランス革命前後から活発となった社会経済に対する思索の深まりと、産業革命の進展、18~19世紀にわたって定着した近代的な量産化システムと新たな貧困(旱魃・飢饉や疫病などといった天災によらない、社会的な悲惨)に対する考究から、次第に解明されてきた社会の実相に対する説明のひとつで、19世紀中ごろからイギリスで言葉が用いられ始めた。日本の資本主義社会は、明治維新以後であるとの考えが一般的である。近代期の日本資本主義の特殊的性格として封建的性格(半封建的)と軍事的性格が強調される。日本商人の中に封建的倫理観の名残があることは、マックス・ヴェーバーの『世界宗教の経済倫理』第二部『ヒンドゥー教と仏教』においても語られている。レギュラシオン学派は、基本的に資本主義が矛盾しているという立場に立つ。にもかかわらずマルクスが予言したように資本主義が崩壊しなかった理由として暗黙的な調整(レギュレーション)を認識する。政治学、経済学、社会学を横断的に資本主義諸国を分析し、類型化する。どのタイプの資本主義が優れているか、という論は採らない。製品市場競争、賃労働関係、金融部門、社会保障、教育の各セクションの相互作用をクラスター分析することを基本的な手法とする。アングロサクソンモデルとも言われる。金融部門の発達による民間保険メニューの充実が、福祉国家を不要とする。北欧モデルとも言われる。金融部門の未発達が福祉国家の必要性を促進する。また賃労働関係における同一労働同一賃金と福祉国家による積極的労働市場政策とが、雇用の流動性を促進する。製品市場競争における貿易依存度の高さは、安易な賃金上昇を回避するための同一労働同一賃金へと繋がった。大陸ヨーロッパモデルとも言われる。金融部門の未発達に対して、中程度の福祉国家と中程度の雇用保障で対応する。地中海モデルとも言われる。金融部門の未発達が強い雇用保障を促進する。強い雇用保障が大企業における雇用拡大を阻害するため、自営業者の増加を促進する。アジアモデルとも言われる。金融部門の未発達に対して大企業が終身雇用の提供と福祉国家の代行(企業福祉)を促進する。株式市場が非活性なことは、株主が企業経営から排除されることを推進し、これが上場企業の長期戦略(終身雇用等)を可能にした。また、社会保障の未発達は個人貯蓄の増大を促し、これが間接金融による株式市場の不活性を促進する。"詳しくは「反資本主義」を参照"19世紀における、レッセフェールが最高潮に達した時点で資本主義は様々な問題を抱えていた。これらに対する反動として大企業や資本家を打倒し労働者が主体の社会を目指すことで、資本主義の抱える様々な問題点を解決する動き(共産主義・社会主義)が生まれた。1917年のロシア革命を皮切りに、20世紀には多くの共産主義国家が生まれ資本主義と対決したが、現実には労働者が政権を握れば社会の変革が成功するという程甘くはなく、1980年代後半には共産主義体制のぐらつきが顕在化し、1989年の東欧革命および1991年のソヴィエト連邦の崩壊によって共産主義世界は事実上崩壊し、20世紀の終わりには資本主義の勝利が声高に宣伝されるに至った。しかし資本主義のシステムそのものが数々の矛盾・問題点を内包していることに変わりは無く、20世紀半ばには資本主義国の多くが社会保障や計画的な経済政策を採用し混合経済(修正資本主義)へ移行した。混合経済における経済運営では、国民経済計算や産業連環分析などにより、各生産セクターにおける需要量を測定・予測し、それに充当すべき資源を国家が配分するという考えに立つ(計画経済)。現代的には需要が常に飽和する状態に維持しておくべき分野において、政府による独占経営がされている場合が多い。たとえば健康保険など国民皆保険を政策目標とする場合は、需要がつねに飽和する(供給が十二分に達成されている)状態で維持されるのが望ましい。この場合には国営化はベストチョイスであると主張されている。資本主義は商品化の機能を背景に、拡張する傾向がある。従来家庭や地域社会によって提供されていた様々なサービスが商品化されるようになった。商品化は時に企業倫理観などと衝突し社会問題となる。マルクスは「資本論」の中で、資本主義体制の下では、生産手段の私的所有と、生産の社会的性格との矛盾から、過剰生産恐慌が不可避的かつ定期的に生じ、これが資本主義を苦しめると論じた(恐慌論)。ケインズは、「有効需要によって供給が決定される」という有効需要の原理を提唱した。これはリカードらが主唱していたミクロ的な経済観(古典派経済学)への批判であり、セイの法則に見られる「供給によって需要が決定されるのであり、供給が増大すれば需要(購買力)も増大する」という考え方の否定であった。ケインズのマクロ的な経済観では、国民所得が、経済全体でみた総需要によって決定されると考えられる(有効需要の原理)。もしも総需要が十分でなければ、結局のところ、国家全体の生産力も減少させてしまうことになる。そのため、経済全体でみた総需要の不足は、これを政府の実施する金融財政政策によって解消することが必要であるとした。ただし、産業の国有化は否定し、また個々の全ての経済活動が管理され、統制されるべきとする考え方には与しなかった。ケインズは、流動性選好(流動性の罠)、あるいは利子率の下限の存在や企業の期待利潤率の変動などの影響から、金融政策の有効性が失われた場合には、財政政策によって総需要の不足を克服できるという主張を展開した。今ではアメリカを含めた全ての資本主義国家で、財政出動による景気対策(軍事ケインズ主義などもこれに含まれる)が行われていることも周知の事実である。ケインズは資本主義社会を構成する階級として、資金を供給する投資者階級、労働力と資金を需要する企業者階級、労働力を供給する労働者階級の三つのクラスが存在するとした独特の階級観を有していた。ケインズは企業者階級を代表した自由党の支持者として、「金利生活者の安楽死」という表現に見られるように、投資者階級から企業者階級への支配権の交替を求めていたが、しかし労働者階級と企業者階級との格差については、これを単なる能力の格差による必然的な格差と捉えていた(ビジネス・デモクラシー)。中野剛志はトーマス・フリードマン、ジョセフ・ナイ、イマヌエル・カントによる「グローバル化で経済的な相互依存が強まると、経済的に損と思うため戦争はしなくなる」という「資本主義の平和」という議論については、国家は必ずしも合理的に行動しないことや、合理的に行動したとしても戦争が起きる可能性があるため、疑問を呈している。なお、この議論は平和主義が強く、グローバル化に最も警戒が少ない日本で特に強く信じられているとしている。ソ連崩壊以降、21世紀を迎えた現在に至るまでグローバリゼーションという名で新自由主義が世界中で推し進められている。しかし、これは経済格差や貧困を拡大させているという批判は根強く、また、資本主義そのものの耐用年数が既に尽きているのではないかとも指摘されており、資本主義に代わる新しい経済体制への議論も高まっている。しかし、まだこれらの議論が政治を動かすレベルには達していない。
出典:wikipedia
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