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芋煮会

芋煮会(いもにかい)とは、日本の主に東北地方で行われる季節行事で、秋に河川敷などの野外にグループで集まり、サトイモを使った鍋料理などを作って食べる行事である。呼称には地域差があるが、ここでは総称として「芋煮」「芋煮会」という呼称を用いる。芋煮会は、親睦を深める行事として、家族・友人・地域・学校・職場などのグループで行われている。青森県を除く東北地方各地では特に盛んに行われ、秋の風物詩となっている。また、新潟県や関東地方では、地域イベントを中心に芋煮会が行われている。芋煮会を開催する人々にとっては野外での宴会(またはお楽しみ会)のひとつであり、春の花見・秋の芋煮会として双璧をなす。在来種の種芋苗を用いた東北地方でのサトイモ栽培では、収穫時期が例年10月頃になるため、一般的な芋煮会も大抵10月初旬から徐々に行われ始める。その後、大体10月下旬から11月初旬にかけてがピーク期となり、紅葉シーズンの終了、または、初雪が降ると共に終息する。平成に入る頃からは、「町おこし」や「食のイベント」として大規模な芋煮イベントも行われるようになった。これらのイベントの内いくつかは、一般的な芋煮会のシーズンである秋とは異なる開催時期のものもあり、東北では盛夏や晩夏の開催例が見られ、関東では、春の開催例や東北では寒さのために既に下火となっている11月末の開催例も見られる。サトイモが日本に伝わったのは縄文時代とされるが、里芋は煮て食べるよりは茹でるか焼くか蒸すかが主な調理法であったと考えられるため、「芋煮」の成立は更に後世と考えられる。江戸時代、米の不作に備えてサトイモも作られており、「芋煮」自体は家庭料理としても食べられていたが、サトイモの収穫時期に合わせて「芋煮会」の原型とみられることが農村部で行われていた。ただし、江戸時代には豚肉や牛肉などの肉類は一般に食べられていなかったため、現代のように芋煮に肉は入っていなかったと考えられる。「芋煮会」の原型は、野外で集団で鍋料理を囲む収穫祭的な意味合いの行事だったが、村をあげてのものだったという記載はないため少人数で行ったとされる。また、現代のように「河原」で行うとは限らなかった。なお、中秋の名月(芋名月)に団子ではなくサトイモなどを供えていたかつての風習との関係も不明。サトイモの種芋は穴を掘って地中での保存が可能だが、食用のものは7℃ - 12℃に保たないと腐敗する(温度が低すぎても保存できない)ため、寒冷地の東北地方で越冬させるには囲炉裏や屋根裏などの温度が高いところでの保温が必要だった。その保存の難しさから、厳冬期前に消費する意味合いもあって「芋煮会」の原型が行われたと考えられる。また、青森県に「芋煮会」がないのは当時のサトイモの栽培限界より北にあったこと、東海地方以西で行われないのは、サトイモの保存が容易だったことなどが考えられる。近畿大学の野本寛一教授(民俗学)は、「芋煮会」はこのようなサトイモの収穫祭が発展したものではないかと述べている。1980年代には、旅館やアウトドア施設が花見などと同様に「芋煮会プラン」を商品化し始め、シーズンに入るとタウン情報誌や新聞折込チラシなどで多数の広告を見るようになった。また、アウトドア施設(フィールドアスレチック)、遊園地、温泉旅館の他、紅葉スポット(紅葉狩り)、渓流(釣り、カヌー)、海岸の砂浜(釣り)など、何か別のアミューズメントとの組み合わせで芋煮会が行われるようになった。対して、以前の中心地である「河原」での芋煮会は、今も主流であるものの、往時と比べて少なくなってきた。現在では、地域のイベントとして定着しているところもある。近年は、ホテルのレストランを中心に芋煮を含め、様々な秋の味覚を取り揃えた季節限定コース料理も供されるようになり、収穫祭的な芋煮会の楽しみ方は多様化が進んでいる。「芋煮」にあたる呼称には地域差があり、同じ名称でも作られる料理が異なる例が見られる。すなわち、呼称と料理は必ずしも一致しない。呼称以外に、地域によって材料・味付けが異なる。また、同一呼称地域内でも、それぞれの集団でアレンジされ、地域的に特徴的な具材の他に、白菜・ゴボウ・油揚げ・大根・ニンジン・豆腐・きのこ類などさまざまな具材が投入される。サトイモの代わりにジャガイモを入れる場合もある。細分すると正月料理の雑煮並みに種類があるが、ここでは、1.使用する肉、2.味付けの2点を基準に分類する。小分類は、a.呼称、b.使用するイモ類。「豚汁」とは具材が異なるが、ここでは便宜的に、豚肉・味噌味の芋煮を「豚汁風」芋煮と記す。「とりすき」とは異なるが、ここでは便宜的に、鶏肉・醤油味の芋煮を「とりすき風」芋煮と記す。「すき焼き」とは具材や食べ方も異なるが、牛肉・醤油味の芋煮を「すき焼き風」芋煮と記す。魚のみを入れる場合、魚と豚肉を入れる場合など様々ある。味付けも醤油味の他、味噌味もある。イモ類を入れる。山形県や宮城県では、秋になるとコンビニエンスストアの前にまで堆く薪が積まれ、店内では着火材も販売されている。当地の人間にとっては秋の日常風景で何ら違和感を抱かないが、他地方から来た人々には、「冬に備えて暖房用に売られている」と誤解されることもある。一般のスーパーマーケットや大学生協などでは、具材の販売はもちろん、芋煮に必要な鍋の貸し出しなども行われている。一部では、指定した場所まで宅配サービスを行う業者もいる。一般的に芋煮会は、河川敷やキャンプ場、海岸のような屋外で行われるが、この時期に屋内で集団で台所で作った芋煮を食べる場合にも、長時間屋外に出られない老人や病人のための季節行事の1つとして、広い意味で「芋煮会」と呼ばれる。また、地域色を出した観光客向けメニューとして、飲食店で「芋煮」が供されることもある。「芋煮会」の風習のある地域の学校では、昭和30年代あたりから課外授業の一つとして芋煮会を取り入れている所が多い。子供達が一班5,6人程度の小グループに分かれ、それぞれが予算内で買い物をしたり里芋などの食材の一部を分担して持ち寄ったりして、調理まで分担して行う。学校で行われる場合は、校庭の一角・河原や沼や湖の岸辺・アウトドア施設など、地域の実情によって開催地は異なる。現在ほどモータリゼーションが進んでいなかった時代には、リヤカーや手押し車に必要機材や具材を載せて河原まで行き芋煮をする「リヤカー芋煮」が行われていた地域もある。栃木県の以下のイベントはいずれも豚汁風芋煮である。2012年の第5回からは、山形の「日本一の芋煮会」の姉妹芋煮会第1号の公認を受け、山形から芋煮大使の派遣、山形の地元企業各社からの協賛も得て、山形名物の「玉こん」や山形そばでの「芋煮そば」「流しそば」も振る舞われている。2015年には、山形のゆるキャラ「ペロリン」の初海外出張として、ドイツでの当、「ライン川・欧州一の芋煮会」に参加している。会場では、山形風「すき焼き風」芋煮が作られる。「オランダ一の芋煮会」2014年(平成26年)以来、毎年9月第2日曜日に、アムステルダム市のボス公園の湖畔の広場で現地の日本食品宅配店「三五八屋(Sagohachi-ya)」の主催にて、山形風すき焼き風での「オランダ一の芋煮会」が開催されている。「欧州一のお花見DE芋煮会」2015年より毎年4月第2日曜日には、欧州一の桜の名所でもあるアムステルフェーン市のBloemsePark(俗称:桜公園)にて、三五八屋の主催にて「欧州一のお花見DE芋煮会」が400本のソメイヨシノの桜の下で、お花見を兼ねた春の芋煮会が開催されている。東北地方以外において、地域イベント(1000食以下)として「豚汁風」芋煮が振舞われている芋煮会の例を以下に示す。ただし、東北地方出身者の県人会や同窓会などでは、各出身地の芋煮を用いた内輪のイベントも見られる。「千人鍋」と呼ばれる直径1m程の大鍋を用いた芋煮イベントとしては、大阪府泉南市の「芋煮鍋」や鹿児島県出水市高尾野町の「たかおのいも煮会」の例がある。小さな鍋を用いた芋煮イベントとしては、東京都の港区、清瀬市、調布市、神奈川県の川崎市多摩区、同麻生区、横浜市都筑区、千葉県の佐倉市など南関東に例が見られる。現在の青森県内の稲作地域は、県西部の津軽地方が主で、その他の地域では畑作が中心である。米作とサトイモの関連する「芋煮会」分布域から若干外れるため、青森県では「芋煮会」はあまり見られない。青森県で野外で鍋料理をするのは、地域イベントの時である。愛媛県でも、芋煮会と同様な「いも炊き」という行事がある。中秋の名月の頃の月見行事であり、300年の伝統があるとも言われるが、現在は昼間から行われている。行事の時のみならず、「いも炊き」自体が秋の季節料理となり、家庭やレストランでも供されている。肉は鶏肉が一般的。東予地方・西条市の加茂川や、松山平野・重信川の4ヶ所の河川敷などで、各地域の商工会の主催でいも炊き会場が設営され、毎年数万人の人出がある。

出典:wikipedia

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