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越美北線

越美北線(えつみほくせん)は、福井県福井市の越前花堂駅から福井県大野市の九頭竜湖駅に至る西日本旅客鉄道(JR西日本)の鉄道路線(地方交通線)である。「九頭竜線」(くずりゅうせん)の愛称が付けられており、福井駅をはじめとする旅客案内上はこの愛称が用いられている。越美北線は福井駅と岐阜県の美濃太田駅の間を岐阜県郡上市白鳥町石徹白(旧福井県大野郡石徹白村)を経由して結ぶ鉄道(越美線)の一部として建設された。福井県側はJRの路線として残っているが、岐阜県側は長良川鉄道越美南線となった。両県を結ぶ計画は果たせず、日本国有鉄道(国鉄)時代は、国鉄バスが大野市の大野三番から越美南線の美濃白鳥駅間で先行路線として大野線を運行し(ただし石徹白は経由せず国道158号経由)、国鉄分割民営化後はジェイアール東海バスが九頭竜湖駅から先を引継ぎ美濃白鳥駅との間で季節運行を行っていた(名金急行線#大野線を参照)が、2002年に廃止された。現在は福井市と大野市間の都市間輸送や九頭竜湖方面への行楽路線となっている。大野市へは1974年まで京福電気鉄道越前本線(現在のえちぜん鉄道勝山永平寺線)が大野三番の京福大野駅まで通じていたが、以後は越美北線が唯一の鉄道路線となっている。なお、国鉄時代は北陸本線福井駅 - 越前花堂駅間にある貨物駅の南福井駅を起点とし、南福井駅 - 越前花堂駅間は北陸本線との重複区間だった。これは越美北線の部分開業後に、越前花堂駅の北陸本線ホームができたことに加え、南福井駅構内で越美北線の線路が分岐していることに由来していた。国鉄分割民営化後は越前花堂駅が起点とされ重複区間は解消されたが、現在でも越美北線の越前花堂駅は北陸本線から分岐したところに位置しており、その分岐部分が南福井駅構内扱いであることも変わっていない。1960年に最初の区間が開業した際、すでに同名となる駅が存在していたために福井県北部の旧国名である「越前」を冠した駅が多い。全区間を金沢支社の福井地域鉄道部が管轄している。福井県内の旅客線で唯一の非電化路線である。臨時列車をのぞいて普通列車のみ運転されている。越前花堂駅を始発・終着とする列車はなく、越前大野駅 - 九頭竜湖駅間の1往復をのぞいて全列車が福井駅まで乗り入れている。1日あたり福井駅 - 越前大野駅間は9往復、越前大野駅 - 九頭竜湖駅間は5往復の運転で、後者の区間では4時間以上間隔が開く時間帯がある。原則としてワンマン運転が実施されているが、ラッシュ時やイベント時は車掌も乗務している。月に一度、水曜日に昼間時間帯の列車が運休となる月もあり、2011年度以降は振替輸送(越前花堂駅などの一部駅を除いてバス代行)が実施されるようになった。2001年3月3日のダイヤ改正までは福井駅 - 越前大野駅間で快速運転を行う列車があったが、定期列車としては廃止された。廃止前日時点での福井駅 - 越前大野駅間の途中停車駅は越前東郷駅・市波駅・美山駅・越前大宮駅・北大野駅であった。なお、九頭竜新緑まつりが開かれる5月中旬の土曜日・日曜日と九頭竜紅葉まつりが開かれる10月の最終土曜日・日曜日には快速列車が運転される場合があり、運転本数や区間、停車駅は年によって異なる。福井市 - 大野市間の公共交通機関は、この越美北線以外に京福バスがあり、京福バスのほうが本数が多い。越美北線は福井発の最終が21時48分であるが、京福バスは福井駅前バス停が22時32分発である。越前大野駅の始発は5時10分で、京福バス「大野駅前」発福井駅前行きは5時58分である。1980年10月から1997年1月まで、ゴールデンウイークや九頭竜新緑まつりが開かれる5月中旬の土曜日・日曜日、お盆休み、九頭竜紅葉まつりが開かれる10月の最終土曜日・日曜日、年末年始を中心に臨時快速列車「おくえつ」が運行された。快速列車として最後の運転となった日時点の停車駅は次のとおりであった。2007年6月30日と7月1日には全線での運転再開を記念して、臨時普通列車「おくえつ」がそれぞれ福井駅 - 越前大野駅間で1往復運転された。現在は全列車がキハ120形で運転されている。基本的に単行の1両編成で運転されるが、福井駅 - 越前大野駅間ではラッシュ時の一部列車は2両編成、平日朝の上り1本は3両編成で運転されている。そのため越前大野駅で分割・併合する列車がある。車体塗装はもともと白地に緑のグラデーションのブロックパターンであったが、2010年に5両のうち3両が開業50周年を記念したラッピング車両となり、それ以外の車両は2011年に朱色5号に塗装変更された。ラッピング車両の運行は約4年間を予定している。2011年4月1日から、冬季以外も正式に年間を通じて客用ドアの開閉は手動による半自動ドア扱いとなった。過去には専用カラーのキハ52形が使用されていた時期もあり、本路線からの撤退後に大糸線に転じて使用された。越美北線が分岐する越前花堂駅には大阪・名古屋・米原方面の特急列車が停車しないため、越前花堂駅を通過する列車と同線の六条駅以遠との間を途中下車せずに福井駅で乗り継ぐ場合に限り、越前花堂駅 - 福井駅間の往復の運賃は不要とする特例がある。敦賀・武生方面の普通列車と同線六条駅以遠とを乗り換えるときは、双方の列車とも越前花堂駅に停車するのでこの特例は適用されない(運賃#分岐駅通過の特例を参照)。越前花堂駅 - 勝原駅間では開業時に擬制キロを採用し割増運賃が適用されたが、翌年国鉄新線建設に対し補助金が出ることになったため擬制キロによる割増運賃は廃止された。1972年に勝原駅 - 九頭竜湖駅間が延伸開業したが、土木技術の進歩で長大トンネルの掘削が可能になったことを受けた当時の国鉄は、路線をなるべく直線化して建設費を軽減したため、川沿いを走る線路から一変して、荒島トンネル(勝原駅 - 越前下山駅間)・下山トンネル(越前下山駅 - 九頭竜湖駅間)が直線的に山を貫いている。これは1975年に開業した三江線の浜原駅 - 口羽駅間でも同じ手法がとられている。2004年7月18日の福井豪雨で、九頭竜川水系足羽川に架かる7つのうち5つの橋梁(第1・3・4・5・7足羽川橋梁)が流失し、越前花堂駅 - 越前大野駅間が不通となった。全線の復旧には数年を要し、新線建設と同程度の費用がかかるとされ、路線存続が危ぶまれた。福井県とJR西日本は、復旧に向けて2005年6月27日に工事協定を締結した。総工費は40億円にものぼり、橋梁復旧にはそのうち34億円を占めた。10億円は国、20億円は県、JR西日本は10億円をそれぞれ負担した。2005年10月17日に復旧工事に着手し、2006年9月頃に橋脚が完成、2007年1月には橋桁の設置が完了した。2007年3月6日、JR西日本金沢支社は同年6月30日に一乗谷駅 - 美山駅間の運転を再開すると発表した。同年6月24日から25日にかけて線路切替工事を行って、営業運転の合間に試運転が行われ、同年6月30日、豪雨災害発生以来3年ぶりに全線復旧した。橋脚は従来4 - 5本あったものを最低で1本に減らすなどして、橋桁への負担を減らしている。架け替えた橋のうち、第1・4・5・7橋梁はトラス橋になった。流失しなかった第2・6橋梁は色が塗り替えられている。水害から丸一年となる2005年7月18日には、当時の美山町獺ケ口(現在の福井市獺ケ口町)地係の「ごっつぉさん亭」入口に、崩壊した第7足羽川橋梁の橋脚と橋桁を基に作られたモニュメント「福井豪雨の記憶」が完成し、除幕された。また福井県立歴史博物館では、メモリアル展示「水害の記憶」として、被災したレールが被災した自動車と共に展示された。不通区間のうち橋梁流失のあった区間を除く、越前花堂駅 - 一乗谷駅間、美山駅 - 越前大野駅間は2004年9月11日に運行再開した。代行バスは一乗谷駅にバスの乗り入れができないため、越前東郷駅 - 美山駅間で運行されていた。代行バスについては、不通となった当初は京福バスで運行されていたが、不通期間が長期化することや京福バスとしても要員の都合もあり、2005年6月13日から子会社である西日本ジェイアールバスへ変更された。変更に当たって西日本ジェイアールバスは、美山駅構内に金沢営業所美山派出所を開設し、車両を7台配置した。配置された7台の内、6台はいすゞ・キュービックで、残る1台はいすゞ・ジャーニーKであった。内6台は2005年3月に閉所となった水口営業所の車両であった。同時にバスポールも西日本ジェイアールバス仕様に変更された。また、2005年にNHKBShi・BS2で放送された『列島縦断 鉄道乗りつくしの旅〜JR20000km全線走破〜』春編では、関口知宏が2005年4月30日のゴールである九頭竜湖駅を目指して列車代行バスに乗車し、番組で豪雨災害のことが簡単に紹介された。越美北線はキハ120形を使用し、通常5両が運用されているが、豪雨当日は福井発の始発列車のみ運転されたため、大野側(越前大野鉄道部)には車両が3両 (201,202,205) が残ったものの、福井側(福井地域鉄道部)には2両 (203,204) しか残らなかった。そのため、鳥取鉄道部から急遽廃車前提で後藤総合車両所に留置中であったキハ58形2両 (1042,1047) とキハ28形1両 (2466) が福井側の応援に入り、平日朝の通勤時間帯において運用された(夜の時間帯でも運行はしている)。2005年4月からはワンマン改造されている高岡鉄道部のキハ58-1114とキハ28-2360(高岡の前は小浜鉄道部の配置)に変更した。これは加古川線電化で高岡鉄道部に気動車が転属したことによる玉突きの転属である。塗装はエンジ色のままで変更はない。先頭車の方向幕には「福井⇔一乗谷」と書かれた紙を貼った。さらに、2007年4月からは、「リバイバル能登路」に使用した金沢総合車両所のキハ28-2119とキハ58-596(いずれもワンマン非改造)に変更した。3か月程度の運用であることから、先頭の方向幕は「普通」のみを掲出し、サボには「急行 EXPRESS」「能登路 NOTOJI」のシールが貼られたままであった。この車両は、試運転開始の同年6月25日から運用を外れ、同年6月30日と7月1日に運転された越美北線全線復旧記念臨時列車「おくえつ」に運用後返却された。2006年5月19日、全般検査と便所設置工事を実施するために福井側で運用されているキハ120-203をトレーラーで越前大野駅に搬入し、6月20日に大野側で運用されていたキハ120-205を搬出して金沢総合車両所に回送した。クレーンで搬入出をする様子は滅多にないことであり、地元の新聞やテレビでも大きく取り上げられた。順次トレーラーでの搬入出を行い、2006年末には福井側にキハ120-201と203、大野側にキハ120-202、204、205(すべて検査・便所施工済)という構成になった。便宜上、越前花堂側の全列車が直通する福井駅からの区間を記載する。越美北線内での直営駅は越前大野駅のみで、簡易委託駅も九頭竜湖駅のみである。それ以外の20駅はすべて無人駅である。

出典:wikipedia

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