加悦鉄道(かやてつどう)は京都府与謝郡野田川町(現・与謝野町)の丹後山田駅(現・京都丹後鉄道宮津線与謝野駅)から、同郡加悦町(現・与謝野町)の加悦駅までを結んでいた私鉄である。1985年(昭和60年)5月1日に全線が廃止された。日本冶金工業のグループ企業である。鉄道路線の廃止後も運営会社はカヤ興産と改称して存続していたが、2011年(平成23年)4月1日に宮津港運と合併し、宮津海陸運輸となっている。丹後山田駅と南西部の加悦町を結んでいた路線で、当初は沿線の特産品である丹後ちりめんを京阪神地区に輸送することを主目的として開業し、旅客営業も行った。その後、加悦駅の南西にある大江山でニッケルの採掘が開始されたため、1940年(昭和15年)に大江山ニッケル鉱山への貨物専用線 が開業し、1942年(昭和17年)には丹後山田駅から北東の岩滝町にある精錬所(日本冶金工業大江山製造所)への専用線 も開通した。戦後、大江山でのニッケル採掘が中止されたため加悦 - 大江山間の専用線は撤去(ただし、法的には加悦鉄道廃止まで廃止手続きは取られていない)されたが、岩滝工場への専用線は同工場で精錬する輸入ニッケル鉱を輸送するため存続した。モータリゼーションの進行により旅客輸送量が減少する一方、明治・大正時代に製造された古典蒸気機関車をはじめ、「マッチ箱」と呼ばれる木造2軸客車、国鉄から購入した客車改造のキハ08形気動車など希少車・珍車の宝庫として知られ、多くのファンを集めた。会社側もやがて観光鉄道を目指すようになり、グッズ類の販売等にも力を入れるようになった。しかし、1985年(昭和60年)3月14日の国鉄ダイヤ改正で宮津線の貨物輸送が廃止され、同線でのニッケル鉱輸送が不可能となったため、丹後山田 - 大江工場間の専用線も廃止を余儀なくされた。これにより、鉄道収入の6割を占めていた専用線の輸送業務委託料が失われ、赤字額の大幅な増大が見込まれたため、同年5月1日に全線が廃止された。なお、運営会社の加悦鉄道株式会社は鉄道廃止以前から路線バスの運行のみならず、鉄道会社の事業展開としては異色の自動車整備業、建設業を営んでいた。廃止後にはカヤ興産株式会社と社名を変更し、前述の建設業・自動車整備業に加え、株式会社YAKIN大江山(当時)構内におけるニッケル運搬・構内機器整備等のほか、鉄道保存展示施設「加悦SL広場」の運営なども行っているが、1999年(平成11年)にバス部門を加悦フェローラインに分社している(2009年(平成21年)に路線廃止・法人解散、特定貸切バスについてはカヤ興産が引き継ぐ)。ニッケル鉱輸送の関連から日本冶金工業のグループ会社であり、社紋についても共通である。その後、2011年(平成23年)4月1日に宮津港運株式会社とカヤ興産株式会社の合併により宮津海陸運輸株式会社が設立され、「加悦SL広場」の運営などはひきつづき宮津海陸運輸株式会社にて実施されている。丹後山田駅は、加悦鉄道廃止後の1990年(平成2年)4月1日に野田川駅、2015年(平成27年)4月1日に与謝野駅と改称。(工場駅)- 丹後山田駅 - 水戸谷駅 - 丹後四辻駅 - 加悦谷高校前駅 - 三河内口駅 - 三河内駅 - 加悦駅 -(鉱山駅)工場駅 - 丹後山田駅間、加悦駅 - 鉱山駅間は日本冶金工業の貨物専用線。1934年時点で加悦町-丹後山田駅間7.4キロを運行していたが1941年8月にバス事業は休止にのち廃止。再開したのは1952年5月になってからであった。1954年になり宮津駅まで延長した。廃線後、軌道敷跡はカヤ興産が請負いサイクリングロード「加悦岩滝自転車道線」として整備されている。加悦駅は鉄道廃止前から「加悦SL広場」として整備され、加悦鉄道で使用されていた気動車やイギリス製2号蒸気機関車などの鉄道車両が展示されていた。加悦SL広場は1996年(平成8年)に加悦駅跡から鉱山駅跡に移転した。加悦駅のあった場所(京都府与謝郡与謝野町加悦庁舎)の近くには、特定非営利活動法人加悦鐵道保存会が与謝野町から管理運営業務を受託し、加悦鉄道資料館(旧加悦駅舎)を運営している。2005年(平成17年)6月、2号蒸気機関車(旧鉄道院123号機関車)が重要文化財に指定された。加悦SL広場以外では、C-160蒸気機関車が京都市北区の大宮交通公園に保存されている。
出典:wikipedia
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