塩谷 和彦(しおたに かずひこ、1974年5月27日 - )は、兵庫県高砂市出身の元プロ野球選手(内野手、外野手、捕手)。愛称は「シオ」など。現在は詐欺事件を起こしたため刑務所で服役中(後述)。、神港学園高校時代に捕手として第74回全国高等学校野球選手権大会に出場。同年秋のプロ野球ドラフト会議にて阪神タイガースから6位指名を受け、入団。入団時に「契約金で母の墓を建てる」と発言した。当時の阪神の捕手には山田勝彦、木戸克彦、関川浩一らが在籍しており、塩谷は捕手としては出場機会に恵まれず二軍暮らしが続いていた。10月9日のシーズン最終戦となる中日ドラゴンズ戦で塩谷が1回裏に中西清起への代打で起用され、プロ初本塁打となる満塁本塁打を打ったことで阪神は日本プロ野球史上初となる「1イニング満塁本塁打2本」を記録した(同じ回に1本目となる満塁本塁打を打ったのは新庄剛志)。塩谷の入団後にも同じ捕手の矢野輝弘や吉本亮が阪神へ移籍してきた。翌年に出場機会を増やすべく内野手(主に三塁手)に転向すると打撃が安定して、たびたび公式戦に出場するようになり、14試合に出場した。は44試合に出場し、3本塁打をマークし、打率も.282を記録した。は48試合に出場したが、これが阪神でのシーズン最多出場であった。打率は前年より下がった。は29試合の出場に終わった。オフに斉藤秀光との交換トレードでオリックス・ブルーウェーブへ移籍。移籍時の記者会見で「(阪神に)放出して惜しかったと思わせたい」「見返したい」などと発言している。移籍1年目のは監督が仰木彬から石毛宏典に変わった。石毛オリックスの1年目のシーズンで99試合に出場した。しかし谷佳知は3割超えを記録したものの4番を打ったフェルナンド・セギノールが序盤は打ちまくるも徐々に低迷し23本塁打を放つも打率は2割をかすかに超える程度の打率しか残せないなど、この年のオリックス打線は貧打に喘いだ。塩谷も打率2割代前半とチーム打率.235と足並みを揃えてしまう打率となった。に自身初の規定打席到達を果たす。7月下旬から9月上旬にかけて24試合連続安打を記録するなど、本塁打8、打点46、盗塁7、打率.307の成績を残し、オールスターゲームへの初出場も果たした。、7月16日、17日の対西武戦(ヤフーBB)では2試合続けてのサヨナラ勝ち(16日は満塁でサヨナラ押し出し死球、17日はサヨナラ本塁打)に貢献している。同年は101試合の出場で規定打席到達はならなかったものの本塁打は自己最多の9本で、打点48、盗塁2、打率.269の成績を残す。同年末の分配ドラフトにより引き続きオリックスの選手となる。だが、翌年は合併によって近鉄の選手が入団したことでライバルが増えてしまい、16試合の出場に留まった。オフに戦力外通告を受け、韓国野球委員会(KBO)のSKワイバーンズへ移籍。KBOでは入来智らに続いて3人目、野手としては初の「日本人選手」(韓国名での登録名でない選手)だった。移籍したSKでは2006年5月初旬に左手甲に死球を受けて骨折し、戦線離脱。復帰に時間がかかるために戦力にならないと6月中旬にはウェーバーにかけられ、その後帰国とともに現役を引退。、福井ミラクルエレファンツ(ベースボール・チャレンジ・リーグ)の打撃・守備コーチに就任したが、シーズン開幕の前日である4月2日、一身上の都合を理由に突然辞任を表明した。辞任後は兵庫県高砂市で不動産会社を経営していた。ところが2012年11月16日、2010年に兵庫県の会社役員から現金550万円をだまし取ったとして詐欺の容疑で逮捕、同年12月に起訴された。翌2013年1月7日、2012年8月に架空の公共工事への投資話を知人に持ちかけ280万円をだまし取ったとして再逮捕された。その際に元大阪近鉄バファローズ監督の佐々木恭介直筆の申込書を見せて話を信じ込ませるなど勧誘に悪用していた。さらに同年2月4日、2012年5月にオリックスの元チームメイトである本柳和也に2012年8月の事件同様、架空の公共投資を持ちかけ285万円をだまし取ったとして再逮捕された。2013年4月、佐々木から約200万円をだまし取ったとして追送検された。同年8月29日、神戸地方裁判所尼崎支部により懲役4年6ヶ月の実刑判決が言い渡された。塩谷側は控訴しなかったため刑が確定したが、後に岡山県警察の元警部が業務上横領で逮捕・起訴された事件でも塩谷がこの元警部に架空の飲食店共同経営の投資話を持ち掛け、約450万円をだまし取っていた事が判明した。2016年現在、受刑者である。元々は長打力が自慢のパワーヒッターであったが、阪神時代は安定した打撃成績は残せずレギュラーとして定着できなかった。オリックスに移籍後は、右方向のバッティングなどの巧打のセンスが開花し、内角の球は長打狙い、外角は流し打ちのスタイルに変わっていった。足は特別速くはないが、2003年に7盗塁を記録するなど標準的な走力はあった。なお、塩谷は日本プロ野球で13年間プレーしたが、その間自身の所属球団は1回もAクラス(3位以上)になれなかった。からまでの10年間で、7年連続(阪神・1998 - 2001年、オリックス・2002 - 2004年)を含む9回の最下位を経験している。阪神は塩谷が退団した2002年に最下位を脱し、2003年には18年振りとなるセントラル・リーグ優勝を達成した。一方のオリックスは2001年まで前身の阪急時代を含めてもの1回しか最下位を経験していなかったが、塩谷が入団した2002年から3年連続最下位となってしまった。また、塩谷は2006年にはSKに所属したが、2005年に3位、2007年と2008年に優勝(2007年は初優勝)であったSKは、2006年は主力選手の相次ぐ負傷や不調によりシーズン6位(8球団中)に終わっている。
出典:wikipedia
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