BGM(ビー・ジー・エム)は、日本の音楽グループであるイエロー・マジック・オーケストラ (YMO) の5作目のアルバム。1981年3月21日にアルファレコードからリリースされた。坂本のアルバム『B-2ユニット』に影響されて出来たアルバムである。アルバムのタイトルは細野晴臣が決めた。これは「危険なので距離を置いてBGMのように聴いてくれ」という意図があったという。また、高橋幸宏としては「YMOの曲はまるで(≒BGM)のようだ」と批評した海外の音楽評論家への意趣返しの意図があったという。坂本龍一は心身ともに不調であったことと細野の進め方に対する反発から、レコーディング日にスタジオに行かないなど、意識的にサボることがあったことを。また、既にシングル用に作ってあった「ハッピー・エンド」を換骨奪胎したようなアレンジにして提供したりした。純粋な新曲は「音楽の計画」わずか1曲の提供だった。YMO結成当初は覆面バンドとして進めたかったが、前作であまりにも売れすぎ、世間からは個人のキャラクターをさらに求められた。そのため、このアルバム以降、個人の顔と音楽性を前面に出すこととなった。細野はYMOのベストと思われるアルバムとして、古くならない音と歌詞の内容の良さから『BGM』を挙げている。また高橋も、他のアルバムの中で自分たちが言いたいことを初めて歌詞で表現したこと、歌詞に一番こだわったこと、言葉とサウンドがうまく合体していることから『BGM』をベストアルバムと評価している。レコーディング開始は1981年1月15日。リリースが同年3月21日なので非常に短期間かつギリギリまで録音されたため、歌詞が印刷に間に合わなかった。初めて歌詞が明らかになったのは写真集「OMIYAGE」で、アルファによるCD化の際にも歌詞は省略されていた。初期の『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』などに比較すると、収録曲全体がおとなしく暗めのイメージを持つため、爆発的セールスこそなかったが、リーダーの細野晴臣をして「たくさん売れた後だからこそやりたいことができたアルバム」と言わしめた作品。10曲中、8曲が約4分30秒、残り2曲が5分20秒と、演奏時間が統一されている。この演奏時間はジョン・ケージの有名な4分33秒と符合するが、細野自身は「すべて無意識でやっていた」と発言している。前作まで歌詞はクリス・モスデルによるものであったが、このアルバムからは各メンバーが作詞するようになった。ピーター・バラカンが翻訳するようになり、YMO散開(解散)まで協力することとなる。なお、発音指導もバラカンが担当し、3人共かなりしごかれたと回想している。ピーター曰く、高橋が発音、作詞共に最も優れていたとのこと。また、歌詞を英語にしたのは、日本語だと内容がストレートすぎるため、英語でワンクッション置きたかったためである。このアルバムには歌詞カードが付属しておらず、代わりにアルバム発売前に出版された「YMO写真集/YMO BOOK OMIYAGE」(小学館:雑誌「GORO」特別編集)に英語詞と訳詞が掲載された。このアルバムのために制作費500万円でテレビCMが作成された。細野が老人、高橋が警察官、坂本が看護師の姿で、ニュースキャスターとしてスネークマンショーの伊武雅刀が出演している。放送当時、音楽アルバムのためにテレビCMが作成されることは非常に珍しいことであった。特典ポスターもこのCMと同様の扮装で撮影されている。ジャケットデザインは奥村靫正である。裏ジャケットは1980年のワールドツアーにおける機材リストである(手書きで「'80 World Tour」と書かれている)。このアルバムから「YMO」の文字を温泉の地図記号風にかたどった、通称「温泉マーク」が使用されている。これはアルバム作成の前に行われたワールドツアーで、メンバーが疲れきり、「帰って温泉に行きたい」と思っていたことからきたマークである。本作リリース後にはツアーは行われず、次作『テクノデリック』リリース後に『YMO-WINTER-LIVE-1981』が行われる事となる。
出典:wikipedia
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