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カムイエクウチカウシ山

カムイエクウチカウシ山(カムイエクウチカウシやま)は、北海道日高山脈に属する山である。日本二百名山の一つに数えられる。名称はアイヌ語の「熊(神)の転げ落ちる山」に由来する。登山家の間ではしばしばカムエクと略して呼ばれる。幌尻岳に次ぐ日高山脈第二の高峰であり、標高1,979mである。日高山脈襟裳国定公園内にあり、山頂には1900年に陸地測量部の正木照信により一等三角点(点名「札内岳」)が選点されている。日高山脈主稜線上に悠然と聳える男性的な山容を誇り、主脈の盟主として山脈中央部に鎮座する。南東側にはピラミッド峰 (1,853m) と呼ばれる四角錐型のピーク(支峰)が間近に望まれ、本峰を望見する絶好の展望台となる(ただし本峰以上に這松が生い茂る)。アイヌ語の名称の通り峻険な山容であり、日高山脈の高峰に特徴的な圏谷地形が見られ、十勝側山腹に八ノ沢カールと日高側山腹にコイボクカールを抱き、カールの下流側ではモレーンも確認されている。幌尻岳、カムイエクウチカウシ山およびエサオマントッタベツ岳など日高山脈の山々は圏谷が見られるが、北アルプスの薬師岳や穂高岳に比べると小規模である。これは2万年前の氷河期に日本列島が大陸と陸続きとなり対馬暖流が日本海へ流入しなくなり、降雪が現在よりも少なかったことが原因であると考えられている。そもそも山名となる「カムイエクウチカウシ」(ヒグマの転げ落ちる所)は、ヒグマを神と崇めるアイヌ人によって命名されたものではない。黎明期には「札内岳」と呼称されていた。1929年に北海道大学の伊藤秀五郎らが戸蔦別川上流の「カムイエクウチカウ」という場所で小屋を建設して幌尻岳に登頂する際に、案内人の勘違いでこの地名を誤って山名として伝えたために定着したのが真相であるという。いまさら山名を「札内岳」に戻すことなどできないが、ヒグマすら転げ落ちそうな急峻な斜面を持つことだけは確かである。整備された登山道はなく、途中、長い沢を渡渉しなければならない。中札内村から札内川(札内川ダム)沿いに建設が中断された北海道道111号静内中札内線(通称:日高横断道)の未舗装区間6kmを遡り、終点の札内川・七ノ沢から八ノ沢を川上に向かって渡渉し、八ノ沢カールを登って稜線に出て山頂に至る。1965年(昭和40年)3月14日未明、日高山脈縦走中の北海道大学山岳部の登山隊6人が十ノ沢での露営中に大規模な雪崩に巻き込まれ、全員が死亡する事件が発生した。6人は決して危険な場所に雪洞を掘っていたわけではなかったが、走行約3km、デブリの長さ1km、幅30-100m、量約40万トン(いずれも推定)という、国内最大級の雪崩に巻き込まれたのである。初期捜索は困難を極め、雪融けを待って再開された捜索でようやく全員の遺体を発見、奇跡的に即死を免れていたリーダー澤田義一が雪の中で地図の裏にしたためた遺書がポケットから発見され、大きな話題を呼んだ。1970年(昭和45年)7月、日高山脈を縦走中だった福岡大学ワンダーフォーゲル同好会(当時)のパーティー5人が、九ノ沢カールでヒグマに遭遇、後に追跡・襲われ、5人中3人の男子大学生が死亡する事件が起こった。結局2人は無事下山し、討伐隊が問題のクマを射殺。北海道の山岳史上で最も悲惨な事件の一つとされる。

出典:wikipedia

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