平田 勝男(ひらた かつお、1959年7月31日 - )は、長崎県松浦市出身の元プロ野球選手(内野手)。現在は、阪神タイガースの一軍チーフ兼守備走塁コーチを務める。野球解説者時代の2012年から、芦屋大学の客員教授を務めている。長崎・海星高校時代には2年生で遊撃手のレギュラーとなり、1年先輩の好投手酒井圭一を擁して夏の甲子園大会に出場。準決勝に進むがPL学園に延長11回の熱戦の末に敗れる。翌にも主将として春の選抜に出場。このとき、くじを引き当てて開会式の選手宣誓を行っている。2回戦(初戦)で中村高の山沖之彦投手に抑えられ敗退。卒業後は明治大学に進み、当時の野球部監督・島岡吉郎の指導を受ける。東京六大学リーグでは在学中4回優勝。全日本大学野球選手権大会で3回、明治神宮野球大会でもに優勝を飾る。リーグ通算83試合に出場し307打数96安打、打率.313、2本塁打、39打点。ベストナイン4回。大学時代から犠牲バントの技術があり、から2年連続出場した日米大学野球では、解説者に「平田のバントは百発百中」と紹介されていた。大学同期にはエースの森岡真一(日産自動車)らがいる。のドラフト2位で阪神タイガースに入団。当時の平田は守備は一級品であったが打撃に関しては非力で、島岡監督は「プロに入っても成功しない」と考えていた。平田も島岡の考えに従い社会人野球へ進むことを決めており、入団交渉の際も別室で控え島岡に交渉を任せていた。島岡は阪神側に「平田はプロには行かせない」と断りを入れる。しかし阪神の安藤統男新監督(慶大OB)が「六大学時代は島岡さんによくやられました」などとしきりに持ち上げたことに機嫌を良くした島岡は、別室に控えさせていた平田を呼び、「お前、阪神に行け」とその場で命令したと平田本人が後に語っている。当時、阪神には好守の遊撃手として真弓明信がいたが、チーム事情もあって真弓を二塁(のちに外野)にまわす形で後半から正遊撃手に定着し、からまでダイヤモンドグラブ賞・ゴールデングラブ賞を獲得する名手として活躍した。同じく阪神の名遊撃手として活躍した吉田義男に付けられた「蝶が舞い蜂が刺す」を受け継ぐほどであった。 阪神が21年ぶりのセ・リーグ制覇、そして初の日本一に輝いたには打撃も好調で、一時的ながら打率トップにも躍り出て、最終的には7番打者ながら50打点以上をマークした。また、この年の10月10日に甲子園でのヤクルトスワローズ戦でプロ初・野球人生初の満塁ホームランを放っている。若手選手への切り替えのためショートのレギュラーを和田豊に奪われたからは出番が減ったが、守備力とバントの技術で貴重な控えとして貢献した。に現役引退。現役最終打席は中村勝広監督から「振って来い」と送り出されるも、平田自身の判断による送りバントであった。現役時は、中西清起・平田・木戸克彦の3人で「NHKトリオ」と呼ばれていた。引退後は毎日放送・スポーツニッポンにて評論家活動をしていたが、よりコーチとして阪神に復帰。、大学の先輩である星野仙一監督就任を機に、監督専属広報及び専属運転手に就任。その際、送迎車のナンバープレートの数字を「1001」(仙一)などいろいろ考えた末に「731」にして、星野監督に「何で731なんだ?」と聞かれ、「僕の誕生日です」と答えて星野監督に怒られかけた。星野監督が勇退したからヘッドコーチとして岡田彰布監督を支える。9月7日の対中日ドラゴンズ戦では、9回裏本塁のクロスプレーでの微妙な判定に対し、球審の橘高淳を突き飛ばして退場処分を受けた。10月、二軍監督に就任した。には4年ぶりのウエスタン・リーグ優勝を果たしたが、10月中旬に更迭。2011年シーズンより毎日放送解説者、スポーツニッポン評論家に復帰。復帰後の初仕事は、楽天の監督に就任した星野へのインタビューだった。2012年には、野球解説・評論活動と並行しながら、「芦屋学園スポーツモダニズムプロジェクト」のメンバーに招聘。同年4月からは、同学園が運営する芦屋大学の客員教授に就任した。しかし、阪神球団は同年10月12日に、から平田を二軍監督へ復帰させることを発表した。平田にとっては、2シーズン振りの現場復帰になる。は一軍ヘッドコーチ、2016年シーズンより一軍チーフ兼守備走塁コーチ。学生時代は、試験勉強やレポートの提出はおろそかにしていたが、当時、明大教授であった栗本慎一郎が後に「レポートの文章に、一字一句参考書を楷書で書き写してきたのは平田だけだ。本来はこういう参考書をそのまま書き写したり模写しただけの学生には単位はやらないが、平田の几帳面さに免じて単位を出した」と語るほど繊細な一面もある。この話は試験期間が近づくと毎年のように栗本が講義で話していた。ミッキーマウスに似ていることと、明るく外交的な性格からミッキーの愛称を取り、常に阪神ベンチのムードメーカーだった。同僚であったランディ・バースをはじめチームメイトにおもちゃのように扱われていた。引退後もファンに非常に人気が高く、広報時代も星野仙一監督よりも歓声が大きかったため、星野が嫉妬したこともあった。2005年のセ・リーグ優勝時のビールかけの時には、金本知憲の誘いに乗り、壇上に挨拶に上がった岡田監督(東京六大学の先輩)に対し、「よっ! 岡田!」と威勢良く呼び捨てにするということもあった。このビールかけの際には「日本一になったら俺を胴上げしてくれ!」と高らかに叫んだが、その後の日本シリーズで千葉ロッテマリーンズに敗退したため、叶うことはなかった。MBSラジオの野球解説者に復帰した後も、同局のプロ野球中継で阪神戦の解説を務める場合には、「帰って来たお祭り男」(2012年以降は「トラのお祭り男」)というキャッチフレーズが付けられている。
出典:wikipedia
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