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保江邦夫

保江 邦夫(やすえ くにお、1951年9月27日 - )は、日本の理学博士。専門は数理物理学・量子力学・脳科学。岡山県生まれ。ノートルダム清心女子大学 大学院人間生活学研究科人間複合科学専攻教授。同情報理学研究所所長。量子脳理論の治部・保江アプローチ(英:Quantum Brain Dynamics)の開拓者。少林寺拳法武道専門学校講師。冠光寺眞法・冠光寺流柔術創始・主宰。大東流合気武術宗範佐川幸義直門。特徴的な文体を持ち、45冊以上の著書を上梓。日本科学技術ジャーナリスト会議会員。アメリカ数学会会員。身体運動文化学会会員。日本サイマティクス・セラピー研究会顧問。1970年 岡山朝日高校を卒業。1974年 東北大学理学部天文学科を卒業。1976年 京都大学大学院理学研究科博士課程前期課程を修了。名誉教授だった湯川秀樹が提唱していた「素領域理論」を題材として修士論文を提出し、当時日本唯一の理論物理専門の欧文学術雑誌『Progress of Theoreical Physics』に掲載された(Vol.57,pp.318-328 1977)。1978年 名古屋大学大学院理学研究科博士課程後期課程を修了。高林武彦教授に師事。その2年で8編の論文を欧米の数理物理学専門誌に発表。「量子摩擦を含む開放系の量子力学理論」の論文を提出し、理学博士号を取得。1978年 スイス連邦共和国へ渡欧。ジュネーヴ大学理学部理論物理学科講師。1982年 東芝総合研究所の研究員。その後、岡山のノートルダム清心女子大学大学院に教授として勤務し、現在に至る。研究テーマは、2016年7月、第24回参議院議員通常選挙に日本のこころを大切にする党から比例区で出馬するも落選。高校時代から武道に憧れを抱いていた保江は東北大学時代、合気道部に所属。先輩である橋本敬三がたびたび合気道部に訪れ、彼から操体法を学ぶ。ある理由により保江は2年次に退部を申し出る。それでも合気道部の仲間は保江を気遣い籍を残したままとし、4年次には副将の肩書を与えて復部するのを待ってくれていた。名古屋大学大学院時代には合気道を再開する。また、同大学院にて木村達雄と邂逅。木村の合気道に対する純粋な思いに感銘を受ける。そして木村と共に名古屋大学の合気道部創設に関わり、山口清吾師範に学ぶ。スイス滞在時において現地の合気道道場へ通う。ところがドイツ山岳地帯出身の大男には保江の合気道の技は通用しなかった。そうした折、たまたまスイスを訪れていた木村達雄から鍛練方法の一つである四股を学んだ。木村からは一日に2000回四股踏みを行えと言われたが、保江は一日300回四股を鍛練した。すると、そのドイツ人の大男を難なく投げれるようになる。「秘伝日本柔術」(新人物往来社 松田隆智編)大東流篇佐川宗範の項を何度も読み返し、佐川宗範の自然で崇高な姿に魅せられた保江は木村に佐川道場の入門を取り次いでもらうよう懇願する。いったん断られるが「まあ、入門のためにスイスから帰国するくらい覇気のある奴なら許可してもいいだろう」との返事を得て、ようやく手に入れた職を辞し、帰国する決意をする。1982年、佐川道場に入門するためにスイスから帰国。木村達雄の紹介により佐川道場に入門。佐川幸義直門となり大東流合気武術を学ぶようになる。後に佐門会への参加を許され、100回を越える稽古に参加する。ある時に妻の持病のため岡山へ帰らざるを得ない旨を佐川宗範に告げたところ、特別に10日間にわたる一対一の直伝講習を受けることを許された。これを最後に佐川宗範の直伝講習はなくなる。その後しばらくたって、岡山から東京へ行く機会を得るようになり、また佐川道場の稽古に参加できるようになる。地元岡山にて戦前天才少女と言われた畠瀬幸枝に薙刀・天道流剣術を学ぶ。加えて、エスタニスラウ・マリア・ヨパルト神父から修道師に伝わる護身技法を学ぶ。その技法が後の冠光寺流柔術の基礎となる。現在は、合気道星辰館道場(岡山市:責任者 北村 好孝 合気会所属)において、合気道の指導も行っている。ジュネーヴ大学では教授のチャールス・P・エンツに師事。エンツはスイスの天才物理学者ウォルフガング・パウリの最後の助手であった。保江は、スイスにて主に確率制御問題に没頭する。ジュネーブでは4年間モレゾン通りに居をかまえる。ここで、確率変分学の基本となったヤスエ(保江)方程式を不思議な体験のもとに発見する。以下、ヤスエ方程式を発見した当時の記述の要約。「スイスに来て2度目のクリスマス時期。セミナー講師招聘のためイタリアに向かった。ドイツの国境を越えた辺りに、アウトバーンが広がりアクセルを踏み込んでいった。ランチャー特有の甲高いエンジン音が鳴り響き、スピードメータの時速190キロ近くになったとき、あれほど激しいエンジン音や風切り音が鳴り響いていた車内が、一瞬のうちにそれこそ何の音もしない完全な静寂の世界に変貌した。振動も消えた。まるで雲の絨毯の上を滑らかにすべっていくかのように車窓の外の景色だけがゆっくりと穏やかに流れていくのが見える。時間が止まったような感じもあったが、不安とか怖さは全くなかった。むしろ、何か非常に大きな存在に暖かく見守られているという確信も生まれた。このまましばらく様子を見ようという気持ちになった。そして、時速190キロで突如出現してきたこの静寂の世界の中で、自分の額の裏側としか表現できないところにフッと何か数式のようなものが浮かびあがってきた。(中略)あの状況はなんだったのだろう、あの数式は?どうやら自分の頭は一時おかしくなっていたのかもと考えた。あるいは疲労のため脳が混乱していたに違いないとも思った。しかし、その晩ホテルの部屋に入って便せんにその数式の詳細を書き込んでみた。しばらく紙の上の方程式を眺めて考えていくうち、ふと方程式に現れる関数の中に具体的な形を入れてみたらどうなるだろうかと思い、いくつか計算してみた。1964年にプリンストン大の数学者エドワードネルソンが発見していた方程式が導けてしまった。ということは、目の前にある不可思議な方程式は、既に知られていた重要な方程式をひとつの特殊ケースとして含む、より一般的で普遍的な基礎方程式に違いない」「再度計算をチェックしてみたが、どこにもミスはない。その突然脳裏に浮かんだのは、原子分子のスケールはもちろん、日常的スケールから宇宙的スケールに至るまで成り立つ、最も普遍的な最小作用の法則そのものを表す具体的な数式だった。この数式は日常的スケールや宇宙的スケールの場合には既に物理学の基本原理として確立している最小作用の法則の数式そのものと一致することがわかった。では、原子や分子のスケールではどうなったかというと、いささか面倒な数式展開の果てに、あの方程式が出てきたのだ!僕はついに大学院のときからの希望を達成した。これまで世界中の物理学者達によって基本方程式と考えられてきたシュレーディンガー方程式は単に最小作用の法則が成り立つことから派生的に導かれた浅いレベルの基本原理にすぎない」(「路傍の奇跡」から抜粋)Stochastic calculus of variations Kunio Yasuehttp://www.sciencedirect.com/science/article/pii/0022123681900793梅沢博臣の1978年,79年の論文に起源を持つアプローチ。量子脳理論とも呼称する。量子脳理論とは、脳のマクロスケールでの振舞い、または意識の問題に、系の持つ量子力学的な性質が深く関わっているとする考え方の総称。心または意識に関する量子力学的アプローチ(Quantum approach to mind/consciousness)、クオンタム・マインド(Quantum mind)、量子意識(Quantum consciousness)などとも言われる。具体的な理論にはいくつかの流派が存在する。宇宙が創成されたとき、何もない無の状態、すなわち宇宙をひとつの量子力学系と考えたときのその真空状態(最低エネルギー固有状態)からトンネル効果による相転移で疑似真空状態としての比較的平坦な宇宙が出現したとされる。そして、その宇宙の上での踊る素粒子もまた、場の量子論により記述される。スケールこそ違え、これと同じ現象が人間の脳の中で生じているという、この考え方を量子脳力学(Quantum Brain Dynamics)と呼ぶ。心とは、記憶を蓄えた脳組織から絶え間なく生み出される光量子(フォトン)凝集体であり、場の量子論によって記述されるその物理的運動が意識である。脳をひとつの量子力学系と考えたとき、外部からの刺激を受けてその無の状態、すなわち真空状態からトンネル効果による相転移で準安定な疑似真空状態が出現する。これがその刺激の記憶に他ならない。新たなる刺激は再びトンネル効果の引き金となり、脳の量子力学系は別の真空状態と転移する。これは以前の刺激の記憶を加味した新たな刺激の記憶であり、したがって単なる新たな刺激のみの記憶ではない。つまり、脳の量子力学系の疑似真空状態はつねに過去は記憶の総体を表している。宇宙の上で踊る素粒子の運動に対応するものは、脳の場合は、過去の記憶上での人間の意識そのものと考える。意識とは、過去の記憶総体である脳の量子力学系における疑似真空状態の上に生成と消滅を繰り返す励起エネルギー量子の運動にほかならないとする。これを量子脳力学という。1999年5月25日から28日まで、我が国ではじめてツーソン会議が東京青山の国際連合大学にて開催された。その内容は意識科学を中心とし、会議の幹事が保江であった。保江は、この国際会議を手作り国際研究集会と呼称し協力を各方面に仰いだ。開催が極めて難しい状況であったが、保江の熱意が国連大学高等研究所のデラ・センタ所長に通じて国連大学を開催場所として確保できた。保江によれば、後になって考えるとこれも合気(愛魂)の効果だったのかもしれないと回顧している。50歳を目前に「数理物理学方法序説」を記す。対象は高校2年生以上とあるが実際には大学理学部で理解できるような内容である。(1) 複素関数論複素平面上にルベーグ測度を簡潔に導入するところから出発し、その上で定義される解析関数の基本的な性質を解説する。実数直線上の関数に比べて圧倒的な美しさを持つ複素関数の世界が広がる。ページ数の制約から等角写像、保型関数、射影変換、超幾何微分方程式やそのモノドロミー表現といった魅力的な話題を割愛してある。最初の3分の1は測度論、2変数ルベーグ積分、超関数の入門書となり後半の3分の2がごく標準的な複素関数論への入門書となっている。一般的には見られないルベーグ積分入門に紙数を割いているのが特徴である。保江らしい記述は最終章の「可換多元体への誘い」にある。天文学の恩師である菊池定衛門先生が書いた「高階複素数論」を紹介している。標準的な複素関数論では見ることができない高度な内容である。(2) ヒルベルト空間論東北大学理学部2年次に在学中、数学の講義にて鶴丸孝司からヒルベルト空間上の完全作用素のスペクトル分解の解説を受ける。保江いわく「長引く大学紛争にうつつをぬかす自分たち学生の頭にガツーンと衝撃を与えるような内容だった」、そして学問を通じて学生運動で貴重な時間を浪費すべきでないことを身をもって伝えたという。この気魄に満ちた空間論に多いに感銘を受け、一生ヒルベルト空間に浸っていたいとまで思うようになる。ヒルベルト空間は複素関数を要素とする無限次元のベクトル空間なので実在する空間ではない。ヒルベルト空間のおかげで量子力学は数学的な正当性を与えられる。距離空間、ノルム空間、バナッハ空間そしてヒルベルト空間など関数解析の基礎を最短のルートで学ぶことができる。2巻ヒルベルト空間論は、実は東北大学在学中に習った鶴丸教授の講義ノートそのものだという。学部に上がり、京大院や名大院に進学してからも、そしてスイスのジュネーブ大に就職してからも、常にこのノートを大事に携帯していたと後日供述している。(3) 量子力学量子力学はシュレディンガー流とハイゼンベルク流の定式化がある。1つは超準数学の無限小解析を確率力学および確率過程に組み込む方法、そしてもう1つは確率力学とニュートン力学を組み合わせる方法である。前者は1960年代に、後者は1980年代になって発見された。どちらの方法からでも量子力学の基礎方程式が見事に導かれる。(4) 確率論最初の3分の1は確率測度を使った確率論の導出、後半の3分の2は確率過程論である。確率過程というのは時間とともに変化する確率変数のことであり、ブラウン運動などの粒子のランダムな運動を数学的に記述するモデルとして利用されている。定理や証明の存在はいつもルベーグ測度やヒルベルト空間論によって裏付けられている。確率論にしても同様。確率空間をはじめ確率変数やその期待値、分散、確率分布関数など基本的なことがらの存在が証明されていく。8章でブラウン運動など不確定な物理量で示される現象を時間を変数とする確率微分方程式を使って導く説明があるこの段階での理論は時間パラメーターについて対称的で、分子運動論でいえば粒子と粒子の間の相互作用はないという状況となる。(5) 変分学理論物理学の基礎方程式は、メタ理論としての変分学の枠組みに乗せることで数学的に整備され、見通しのよい議論が可能になる。この変分学の基本を、ヒルベルト空間上の解析学として数学的に解説してある。全体的な流れとしては、多変数実関数の微分、バナッハ空間上で定義されるフフレッシェ微分など解析学系の話題からはじまり、微分形式やその微分と積分、ストークスの定理など幾何学的な話、そしてソボレフ空間を定義してからソボレフ空間上の汎関数の変分、フーリエ級数、フーリエ変換などが紹介される。種々雑多な分野の寄せ集めに見えるが、バナッハ空間やヒルベルト空間での微分や汎関数の変分問題として一意解が存在するという主張が全体を貫いている。(6) 解析力学通常の解析力学の本では一般化座標の座標変換あたりから始めるが、本書ではいきなり多様体が導入される。一般化座標は多様体上の点の位置で表され一般化運動量はそれを微分した多様体上の接ベクトルに対応する。接ベクトルは接ベクトル空間を張りる。多様体上に定義される接ベクトルバンドル(接ベクトル束)、ベクトル場、ベクトル場のフローなどはそれぞれ解析力学上の概念と対応付けながら説明が進んでいく。解析力学としての展開はラグランジュ力学系からハミルトン力学系、正準変換と母関数、ポワッソン括弧積という通常の順番で行われる。式展開上の微分は面倒だが丹念に追えば理解できる。本書のユニークさはその応用例にある。著者は学部生ときに天文学を専攻していたことが強く反映されている。制限付き多体問題や多粒子の基準振動、衝突散乱問題、天体力学で行われる摂動法などは入門書では滅多にお目にかかれない例である。天体力学での摂動法とは、天王星の軌道の乱れから海王星を発見できたという歴史が示すように、理想的な楕円軌道からのずれを近似法で求めることを言う。このような近似計算をハミルトン力学系という理想化された理論でどのように行えばよいかが説明されている。特筆すべきは第15章「リー環とリー微分」の部分。解析力学の本でリー環やリー微分の記述は少ない。ハミルトン系力学では正準方程式がポワッソン括弧で表されるというのが解析力学だが、それが多様体上で代数学のリー環の定義を満たし、さらにHフロー(ハミルトニアンのフロー)に沿うリー微分として定義される。多様体上にリー環があれば、それは(リー環の)構造定数によって完全に決定されるし、ハミルトニアンのフローも決定されることになる。ハミルトニアンのフローによって物体の運動が決定される。このように代数学と幾何学と力学が美しく結びついていることがこの章で示されている。本書は解析力学の範疇を超えて現代数学との関係を明確に示すことに成功している。(7) 連続群論連続群は別名「リー群」とも呼ばれる。物理学で扱う対象はなんらかの自由度についての連続的な変換からなる連続変換群がほとんどなので、この群が特に重要視される。最初の6章は群論とは全く関係ないヒルベルト空間の簡潔な復習、有界線形作用素、スペクトル分解、解析ベクトルなど関数解析系の話が続く。7章以降はじまる群論の解説を読み、やっとその理由がわかるような構成である。すべてが関連を持っているためである。ニュートン力学における3次元ユークリッド空間、アインシュタインの4次元時空間、量子場の理論のゲージ場にそれぞれ対応するガリレイ群、ローレンツ群、ゲージ群はそれぞれ対応するリー群(連続群)の構造定数に対応し、リー群はリー環という代数構造に対応し、リー環はヒルベルト空間のユニタリー作用素によって表現される。またリー環に微分可能多様体が付随しているため、多様体上のベクトル、接ベクトル空間、ベクトル場のフローなどが関連している。最初の6章がヒルベルト空間論のユニタリー作用素など関数解析系の説明に割かれていたのはそのような理由による。量子場の理論と作用素環論という代数学の結びつきが順を追ってはっきりと示されている。(8) 微分幾何学曲った空間を数学的に取り扱うためのいくつかの概念(測地線、接続、共変微分、曲率など)を導入することから出発し、それをもとにして、一般相対性理論の基礎方程式とその簡単な解まで一気に論ずることを目指している。数式付きで解説される他の中級者向けの一般相対性理論入門とは異なり、多様体についての説明を導入部分に置き、現代微分幾何学との関わりを強く意識している。4次元の擬リーマン時空多様体は一般相対論では「曲がっている」わけだが、一般的なリーマン多様体ではこの「曲率」だけでなく「ねじれ」も定量化されること。そしてこの「ねじれ」が現代において最先端の多次元空間の非可換幾何学に結びついていること。保江は近年提唱されている「コンヌ博士の非可換幾何学」や「超ひも理論」などについて「人為的過ぎる」と懐疑的な考えを持っている。重力場の微分方程式を導くために変分法を使って説明している。ここでは全宇宙のエネルギー積分を表す汎関数に対して最小作用原理を使う。また作用積分に含まれている質点の質量は時空の4次元空間の計量から導かれる無限小の質点測度として与えること、この無限小の量の積分がディラックのデルタ関数として計算されていること、幾何学的な計量が質量という実在的な量に結びついていることも示している。また、第3章と第18章で大数学者リーマンが1854年にゲッティンゲン大学で行った講演の内容を紹介している。スイスから帰国後、義兄の世話により東芝総合研究所の研究員となる。同社の提携先でコンピュータ研修を受けていた。その後、スイス渡欧時に世話になったローマカトリック教会の神父が保江の知らぬ間にバチカンへ推薦状を書いてくれた。その結果、ローマカトリック法王庁からノートルダム清心女子大に直接依頼が届き、同大学院に勤務する。木村達雄から紹介をうけ佐川道場に入門する。はじめて会った佐川からは優しさがにじみ出るような雰囲気があり、とても武道の達人の様相ではなかったという。その際「きみのような優しい人間は、うちに来ても強くなれないよ。それでもよかったら通っておいで」との言葉をもらう。佐川道場での教えはすこぶる厳格なものであり、佐川いわく「武を志して入門したからには、たとえ門人となって二日目だからといって逃げるわけにはいかないのだ。また何も教わっていなくても、武門の恥とならないよう、たった二日間で見てきた全てを工夫して敵を倒す。その心構えがないようでは、そもそも入門は許されない」(「Excelで学ぶ金融市場の予測の科学」(講談社 142頁)など、保江の書籍のいたるところに佐川道場で得た佐川語録が引用されている。一方、合気道を基礎として武道の心得があった保江は佐川道場で異様な光景を目にする。鍛えた先輩方や他武道経験者が、90歳を超える高齢の佐川にいとも簡単に投げられ潰され倒されるのである。それも単に崩れるとか、よろめく程度ではなく、数メートル吹き飛ばされるような光景も何度も目にした。そこで、人間の底力、整然と秩序だった力の妙技、合気の技の数々を知ることになる(出典:「量子の道草」(日本評論社))。しかしそれは常識ではありえない光景であった。道場の先輩である木村達雄でさえ、「自分は無意識に(佐川)先生に遠慮して倒されているのだろうか」と自問自答するくらいの技の威力であった。理学博士である保江は、佐川が使う大東流の技を、物理学的な面、心理学的な面、そして生理学的な面を含め多数から考察した。その最終的な結論は「佐川の合気は、そのいずれも超越した存在である」というものであった。佐川の考察可能な技法については、DVD「保江教授の合気テクニカル」でその一部を紹介している。内容は以下の通り。保江は仕事の時間の都合上、昼間の稽古に出ることが多かった。そこには木村をはじめ、少数の門人の参加しかなかった。強くなりたいという欲求よりも、むしろ達人である佐川の技を見たい、そして合気の技をかけてもらうことだけで幸せを感じていた保江は、直伝講習において、ある驚愕の事実に気づく。以下、「合気開眼」(海鳴社)95頁からの記述を転記。「僕の直伝講習を最後に、佐川先生とだけ一対一で教えていただく昔ながらの形はなくなり、他の先輩からの面前で先生が技をかけてみせて下さる形に変わったし、(中略)そして、思い出すのはその直伝で受けた合気の技のどれもが、(中略)柔らかく暖かく心地よく包み込まれたかのように自分の体がフワフワになり、(中略)こんな不思議な体験を続けていくうちに、さらに不思議なこともわかってきた。それは、先生が僕の腕をつかんで技をかけとき、確かにつかんだかのような手の形にはなっているのだが、つかまれていた僕の腕の皮膚感覚では何もつかまれていないということ。つまり、佐川先生の手の内の皮膚が僕の腕の皮膚と接触して何らかの力を伝えてきて倒されるわけでないということだ」佐川宗範の直伝を受けたものだけが知る、にわかに信じられない事実が語られている。保江の父である保江輝義(1998年4月1日没)は、陸軍二式単座戦闘機 鍾馗(しょうき)そして三式戦闘機 飛燕(ひえん)のパイロットであった。保江は、この父を連れ二人で1996年9月1日から9月17日の16日間世界一周親孝行旅行に出かけた。ファーストクラスを使用した旅行であったが、何と航空運賃の全額は40万円弱であるという信じ難いものであった。チケットを外貨建てにし韓国をスタートとするなどの当時のやり方が紹介されている。詳細については、「戦闘機乗りジイさんの世界一周」(講談社)の後書きを参照。この書籍では、高齢の輝義が戦闘機乗りであったという事実だけで、複数の異国の航空機パイロットが輝義に敬意を示し機長室に招き写真を特別に許可したなど、興味深い事実が語られている。「数理物理学方法序説」を書き終えた直後から、片方の耳の聴力を失う。1年半以上にわたる睡眠時間4時間および体を酷使した過酷なスケジュールの結果、立つことさえできなくなるという多発性脳神経症と診断される。退院したあとも聴力を失ったままとなり、またそのころから腹部が膨れてくる症状が生じた。総合病院の救急受付にて検査を受けたところ、腸閉塞が進行したことによる大腸ガンを宣告される。保江本人はガンであっても隠遁者様(エスタニスラウ神父)にお願いし祈っていただければ、何とかなると考えた。1990年前後より聖賢エスタニスラウ・マリア・ヨパルト(三原市羽倉のカトリック修業場「四方庵」の隠遁者)に師事し、聖母マリアを祀る修道騎士団寺院に伝わるイエス・キリスト伝来の秘技を伝授される。これは、もとは、イエス・キリストが直接使用した活人術である。大脳由来の心象をイエスの説く「愛」そのものに変化させ思考を停止し凡そ人間全てに備わるその心の心の成立前提である生命現象を司る「魂」間の行動制御法である。その効果は日本武術の最高極意「合気」と酷似する。また、イエスが説いた「愛」により己を迫害する者をも受け入れ決して敵意を抱かないという原理故に、そもそも悪用は原理的に成り立たない。これを世に広めるため、光り輝く冠をつけることを許された唯一の存在である聖母マリア=冠光、キリスト教寺院=寺ということから、「冠光寺眞法」(コムニタ、コミュニタ Comunitat)と保江が命名した。平成26年6月現在、4名に冠光寺眞法免許皆伝が授与されている。そのうち一人は、空手道真義館館長麻山慎吾。元々は、如何なる場合にも敵意を抱かず相手を受け入れることで発現する冠光寺眞法を修得するために考えだされた、カトリックの聖地モンセラート山中において隠遁を選択した神父達によって密やかに行われてきた一見柔道や相撲に似た組み技系の荒行である。自分を殺傷せんと加えられる相手の攻撃を受けてなお、相手を愛し受け入れることが可能になるように修練する目的を持つが、襲いくる敵を目の前に己の防御・反撃を完全に放棄しなければならないため、眞法共々至難の業といえる。保江は、冠光寺眞法と併せて、物理法則に裏付けられた力学技法を加味した「冠光寺流柔術」を活人術と位置づけた。そのため、ロシア正教に伝わった同様の技法を基本とする旧ソビエト陸軍の格闘技として発展したロシア武術システマと類似点もあるとされる。最も大きな特徴は「汝の敵を愛せよ」というキリストの教えを柔術技法に活かして合気に似た効果を生み出すことで、筋力や運動能力に劣る者が優る者を制することができることにあるという。冠光寺流柔術は、現在岡山市野山武道館、関西、名古屋、東京、およびハワイ(ホノルル)にて伝授している。合気(愛魂)を取得するための方法として柔術形式の形をとっている。一例として、「秘伝」平成23年6月号に以下の記載がある。合気の仮説として、「合気とは敵の筋肉が無意識下で働くことで敵があたかも倒されたような動作を誘導する技法である」と定義。また、合気挙げの方法として意識による相手の変化を実例をあげて解説している。ケース1 「相手を母親と思い、幸せを祈る」ケース2 「ケース1に加え、全人類の幸せを祈る」ケース3 「ケース1に加え、全人類と全天使の幸せを祈る」ケース4 「ケース1に加え、全人類と全天使と神様の幸せを祈る」合気挙げを行う場合の注意点として、抑えこんでくる相手が足の筋肉を鍛えている場合はよく挙がるが、反対に、鍛えてない相手の場合は挙がりにくいことが多いと指摘している。保江は、「秘伝」平成23月3月号で自らの合気へのアプローチを以下のように3つに総括している。A 物理学者としてのアプローチB 特異体験をした一個人としての形而上学的なアプローチC 脳科学者としてのアプローチそのアプローチの目的は、世に出ている合気技法が定義なく使用されている現状を憂い、将来において武道界等において「合気」という意味不明な用語が一人歩きしてしまい、もはや何人たりともその真の意味や実像を求めることはおろか、言葉としての存在すら失われてしまいかねない懸念を払拭したいと語っている。これらのアプローチにて合気を解読しようとし複数の書籍にてその成果を発表したことから、ある意味で誤解され、かつ混乱させたことを「身から出た錆」と自ら認め語っている。そして人間・保江邦夫の本音として、合気の原理とか作用機序というものは、形而上学的な色合いの濃いものであると考えていると告白。一方で、塩坂からは一番誤解を受けたと思われる形而上学的なアプローチについて、「道家や日本古来の神仙道・密教・修験道の中にも形而上学的な合気が確かに存在する」というコメントを引き出した。この点で両者の意見は一致する。これら3つのアプローチを用いて既存の合気技法を篩にかけることにより、真の合気技法が存在するのか否かを問うていきたいと述べている。現時点(平成21年)で、保江は合気の作用順序を以下のように定義づけている。(「脳と刀」194頁)これら合気発動の作用順序の公開理由については、広大無辺な合気実相のほんの入り口にすぎないと断った上で、これらの技法は、魂に導かれた調和に溢れる生き様を歩むことができる活人術技法にも繋がるためと称している。一方で、こうした合気を武術技法まで昇華させるには細かい方法で補完する必要がある。大東流に見られる門外不出の扱いは、悪用しない厳選した人物を選ぶためでもあるという。脳科学や神経科学については理論的考察が先行するため、机上の空論に陥りやすい危険性を有している。こうした点を厳に踏まえつつ実証実験や考察を継続している。現在社会におけるコミュニケーションの延長上の一つとして、ボディバランスコミュニケーション(BBC)を山崎博通(少林寺拳法武道専門学校校長)とともに提唱している。BBCは、日本武道や少林寺拳法などの精神技法の昇華として位置づけられるという。保江は、ノートルダム清心女子大において、身体科学の授業(1年から4年まで受講可能)として担当指導している。第1講 歩き方 第2講 呼吸法 第3講 転び方 第4講 遊び 第5講 受け入れる 第6講 委ねるこの講座では、武道における身体運動をスタートとし、力学と精神の理解をこえて自者と他者との融合である自他融合まで説いている。自他融合は愛魂に通じる内容でもあるが、保江は、いずれ母親となる女子大生へ、賢く優しい母親になって欲しいとの願いを込めて全てを伝えている。2012年2月18日、NPOコムニタ活人塾を設立し塾長に就任。理事長は冠光寺流柔術の弟子でもある服部徹。目的は愛の心に満たされた社会の実現を目指すコムニタの心を、多くの方々に伝えることであった。そして、2013年3月に目的を達成したため閉会した。ここで、保江は武術を介することなく愛魂を伝える術をすべて伝授した。活人術の具体的な手法として、10の例を示した。活人術のエッセンスとしては「愛し、愛され、在るがまま」と伝えている。1 損なクジをひく 2 しもべになる 3 自分の気持ちの中に何も留めおかない4 朝、目が覚めたら手を合わせる 5 物を活かす 6 人を神様と思う7 人に寄りそう 8 愛する 9 愛されていると思い込む 10 在るがまま京都大学大学院時代からの盟友中込照明の提唱する量子モナド理論により、万物すべて物理学のみならず合気の存在でさえ説明可能としている。物理学の精華として兵器が存在することから、保江はかなり兵器について研究、精通している。また、ダグラス A-4C スカイホーク、ハリアー GR3 、陸軍二式単座戦闘機 鍾馗、超軽量偵察機、そしてエアストリーム CCD-24 などの機体の一部を自宅庭に保持している。保江はUFOと宇宙人について深く研究している。もともとこうした興味から天文学科を目指した経緯がある。「合気の道」及び「愛の宇宙方程式」にて、合気の技がUFOの操縦技術につながるものであるのとの見解を示した。また、小惑星の一つに、保江の名前を冠したものがある。名前は「(8101) 保江 (Yasue)」 仮符号「1993 XK1」発見日「 1993年12月15日」発見者「小林隆男」観測所「Oizumi」MPC「46681」彼は岡山県美星天文台に依頼してこの小惑星を写真撮影してもらい、自分の名刺の裏面に印刷している。すべて合気・冠光寺眞法・冠光寺流柔術の技術教伝ビデオである。この1~8巻を1年半ですべて書き下ろした。別巻については、各巻の例題について補完する意味で出版。(上記を除く)以下、すべて治部眞里らとの共訳。(BEST PAPER AWARD,in the 11th European Meeting on Cybemetics and Systems Research)1992  科学と非科学のバウンダリーをさまよえば-- 物理学者の見たUFO   ペンネームを竹久おさむ (ファーム・イースト・リサーチセンター)として執筆している。   1 不明   2 不明   3 不明   4 不明   5 エリア51探検記  6 不明  7 UFO墜落現場探訪記(1) 8 UFO墜落現場探訪記(2)   9 番外特別編「エリア51・グラフィティー」(前編)1998年08月 10 番外特別編「エリア51・グラフィティー」(後編)1998年09月 11 UFO墜落現場探訪記(3)  12 UFO墜落現場探訪記(4) 13 UFO墜落現場探訪記(5)空想科学私小説家顛末記という名のブログも存在する。

出典:wikipedia

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