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伊勢弥二郎

伊勢 弥二郎(いせ やじろう)は、戦国時代の武将。実名は不明。伊勢宗瑞(北条早雲)の弟。宗瑞の関東における初期勢力拡大時に右腕として活躍した。明応5年(1496年)7月、山内上杉顕定が小田原城を攻撃した際、宗瑞から扇ヶ谷上杉氏への対して援軍として派遣された。『勝山記』は、この時弥二郎は討死したと記しているが、実際には明応6年(1497年)12月に伊豆大見三人衆への取次を務めており、生存が確認出来る。しかしそれ以後全く史料には見えず、後年の軍記物などにも一切登場しない。近年、黒田基樹は北条氏照の旧臣で宝蔵寺(埼玉県朝霞市)の開基となった高橋家の過去帳に旧主北条氏の一族として、「伊勢丹波守盛興石雲 古又伊勢弥次郎」という人物が記載されていることを紹介している。同記事によれば、伊勢弥次郎盛興は早雲寺殿(伊勢宗瑞)の伊豆平定中に負傷して出家し、大永2年(1522年)7月28日に59歳で死去したと記されている。現存の過去帳は1950年代に書写されたものであるが、信頼性が高い高野山高室院「北条氏系図」と比較して同系図に記述のある部分については内容が一致している事、弥二郎の終見文書が伊豆平定の鍵を握る存在であった大見三人衆への取次に関する文書であるから、黒田はこの過去帳の後北条氏と弥二郎の経歴に関する記述の信頼性が高いと判断している。また、この説を採れば、弥二郎の生誕は寛正5年(1464年)となり、通説で伊勢盛時の生年とされる永享4年(1432年)とは30年近くの差となる。新説である康正2年(1456年)生まれの場合は年齢差は8歳となり、兄弟としては自然な年齢である(兄弟の年齢差が激しい例もあるが、伊勢盛時の片腕として活躍したのであれば年齢的には新説のほうが整合性が取れる)。

出典:wikipedia

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