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シカソ

シカソ(Sikasso)は、マリ共和国のシカソ州の州都。2009年の人口は22万5753人。近年の人口増加により、セグーを抜いてマリ第2の都市となった。シカソは首都バマコの375km南東に位置し、100km南にコートジボワールとの国境が、45km東にブルキナファソとの国境がある。シカソはギニア湾沿岸諸国、特にコートジボワールと、内陸国であるマリ及びブルキナファソとの道路の接点であり、交通の要衝である。特にマリ連邦崩壊後、それまでの主な輸出ルートであったセネガルのダカール港へのルートを失ったマリは、新たな輸出ルートをシカソを経由してコートジボワールのアビジャン港へと向かうルートに求めた。そのため、シカソはマリの輸出入を一手に担うこととなり、交易都市として栄えることとなった。また、シカソはマリ最南部に位置し、マリでは最も降水量が多く農耕に適した気候条件を持っているため、綿花などマリの輸出作物の集散地ともなっている。果物や野菜、茶などの栽培も盛んである。シカソの観光資源としては、大きな市場やティエバ・トラオレの遺跡、近郊のミシリコロ洞窟などがある。毎年6月にはトライアングル・デュ・バラフォンと呼ばれるバラフォン(伝統的なマリの楽器)の祭りが行われる。シカソの住民はバンバラ人、セヌフォ人、ボボ人、ミニアンカ人などが多い。シカソは19世紀にマンサ・ドゥアラによって建設された。しばらくは小さな村だったが、1876年にケネドゥグ王国の国王となったティエバ・トラオレが、母親の出身地であったシカソに首都を移し、以後発展した。彼は街中の丘に宮殿を建設し、城壁を築いての征服者サモリ・トゥーレやフランス軍と戦った。街は1887年から1888年にかけて長期の包囲に耐えたが、1898年にフランス軍によって占領された。シカソの街が降伏した時、王であったティエバの兄バベンバ・トラオレはバンバラ語で「Saya ka fisa ni maloya ye」(恥辱よりも死を)との言葉を残し自害した。

出典:wikipedia

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