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竹山隆範

竹山 隆範(たけやま たかのり、1971年4月2日 - )は、日本のマルチタレント。カンニングのボケ担当。別名、カンニング竹山(カンニングたけやま)、カブトムシさいとう。福岡県福岡市城南区出身。福岡県立早良高等学校卒業。上京して大学卒業後芸人になるつもりだったが大学を不合格になり、予備校に通う。1990年、浪人中だった小学校の同級生であるケン坊田中と、二人の予備校名から取ったお笑いコンビ「代々木くんと河合くん」を結成。予備校側からのNGにより「ター坊ケン坊」と改名した後、同年4月に開催されたTNCのオーディション番組「第1回激辛!? お笑いめんたい子」で優勝。同年5月、コンビとして福岡吉本第1期生として所属契約を結ぶ。福岡吉本では博多華丸・大吉やコンバット満らが同期に当たる。しかし、竹山は「福岡で売れても意味がない」と、わずか1年で福岡吉本を辞めて上京。東京で、小学校の同級生中島忠幸と再会。1992年、中島と「カンニング」を結成し、渡辺プロダクション所属となる。その後はフリーフォークス(MANZAI-Cの個人事務所)を経て、ぶっちゃあ(ブッチャーブラザーズ)の勧誘でサンミュージックプロダクションに所属。2004年6月、日本テレビ系列のお笑い番組『エンタの神様』に初出演。いきなり「ウ◯コ」発言を繰り返す。同年7月の2度目の出演では、いきなりステージ上でズボンを脱いで脱糞しかけ、スタッフに強制退場させられる。その放送終了後、日本テレビに苦情やクレームの電話が殺到。同年8月、3度目の出演で相方の中島に説教され、ステージ上で土下座し謝罪した。(10年後の2014年7月28日、一回だけの約束で同番組に出演し、当時の模様を語っている。)同年12月、中島が白血病のため入院。コンビ活動はできなくなったが、中島が元気に復帰したときにポジションがなくなっていないよう、ピンで芸能活動を続けた。2006年12月20日、療養中の中島が死去。中島の死後も、芸名に「カンニング」をつけて活動を行っている。2005年、山崎邦正(現:月亭方正)とコンビを組み、「竹山崎」として第5回M-1グランプリに参加し、3回戦に進出した。2007年3月30日、21歳の頃から付き合っていた2歳年上の彼女と結婚。竹山は本当は3月30日が誕生日であり、同学年より一年多く過ごせるという理由により、親に4月2日を誕生日にされたのだという。2008年、役者として初の役名(藤井哲男役)付き映画となる『イエスタデイズ』に出演。単独ライブ『放送禁止』スタート。額縁メガネをかけていて、誰とかまわず(時には自虐的に)キレまくる。しかし、あまり暴走し過ぎると相方の中島に逆ギレされ、途端に落ち込むこともあった。暴走すると行う行動の1つに、コント中に他の芸人のネタをパクろうとしたり(『笑いの金メダル』では「パクリン」というキャラクターに扮してひたすら他の芸人のネタをぱくりまくっていた)、スタンドマイクから離れて大声を出したり、スタンドマイクを手に持ち客に突きつけたりする等の芸がある。数多くいる毒舌芸人やキレキャラクターの一人に数えられる。逆に「いじられてキレる」パターンが定着しつつありリアクション芸人に近い芸風になっている。また、出始めた時に比べてキレる頻度はどんどん少なくなって来ており、むしろ真面目で温厚な素を前面に出して、他の芸人が暴走するのを抑える立場になることが多い。特に、CS放送などで所属事務所であるサンミュージック芸人のお目付役として、出演することも少なくない。本当は司会がやりたくて芸能界に入った。そして2006年からテレビ東京で本人初の冠番組『竹山先生。』が放送された。この番組は、2007年3月31日に終了した。バラエティ番組だけでなく、『やじうまプラス』でのコメンテーターとしての出演や、ドラマ・映画での俳優としての出演など、活動の幅も広い。先輩のダチョウ倶楽部・上島竜兵と仲がよく竜兵会にも所属しており、上島と「キレキャラ」「いじられキャラ」の芸風が若干似ている。幼少期、ヴァイオリンを3年間習っていたことがあり、その経験からABCテレビ系『笑いの金メダル』では「バイオリン忍者ター坊」というキャラクターで登場していた時期がある。ネタのパターンは波田陽区の「ギター侍」のパロディで、ネタにした相手を斬るのではなく全て自虐ネタをオチとしている点が異なっており、最後は「残念でござる。ニンニン」で締めくくられていた。大の女性アナウンサー好きとされ、「女子アナマニア」を自称する。「週刊プレイボーイ」に女子アナに関するコラムを連載しているほか、民放キー局のアナウンサー関連のバラエティ番組にはほとんどの番組に出演している。また航空ファンとしても知られ、乗るのも見るのも好きだという。本人のラジオにおける発言をきっかけに航空ファン向け雑誌「月刊エアライン」からアクションがあり、同誌に記事を連載している。競馬ファンとしても知られ、JRAの衛星放送グリーンチャンネルでも、一時レギュラー番組を持っていた。また、一口馬主クラブ「サンデーレーシング」の会員でもあり、ブラックスピネル号に出資。喫煙者である。ター坊ケン坊時代にKBCラジオでラジオデビュー。

出典:wikipedia

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