桜島武町(さくらじまたけちょう Sakurajimatake-Chō)は、鹿児島県鹿児島市の町名。旧大隅国大隅郡桜島郷武村、鹿児島郡西桜島村大字武、鹿児島郡桜島町武。郵便番号は891-1416。人口は554人、世帯数は265世帯(2010年2月末現在)。桜島の北部に所在し、火山扇状地の扇端部に位置する。町域の北東には深谷川を挟んで桜島藤野町、南西に長谷川を挟んで桜島赤生原町がそれぞれ隣接しており、北西には鹿児島湾に面している。主に温州みかんやビワなどを中心とした果樹が生産されている。1949年(昭和24年)には地内から武貝塚が発掘され縄文式土器が出土している。1944年(昭和19年)と1949年(昭和24年)に地内で発掘調査が行われ、縄文期の頃のものと見られる武貝塚が発見された。貝塚の上層からは市来式土器、西平式土器、中層からは上層より古い市来式土器や鐘崎式土器、下層からは指宿式土器、出水式土器が発掘され、他にも動物の骨、磨製石器なども発掘されている。福岡県で主に出土される鐘崎式土器、熊本県で主に出土される西平式土器が発掘されていることから、この頃より九州各地との交流が行われていたとされる。岳という地名は戦国期より見え、大隅国向島のうちであった。天文6年の本田紀伊守宛島津勝久宛行状に記述が見えるのが地名の初見であるとされる。天正元年以降は北郷時久領となった。江戸期には大隅国大隅郡桜島郷(外城)のうちであり、村高は「天保郷帳」では297石余、「旧高旧領取調帳」では350石余で、桜島では最大の石高数であった。このころより、武村と称されるようになった。安永8年の桜島大噴火では噴石や降灰による被害が甚大であり、村民は鹿児島城下に避難した。1889年(明治22年)に町村制が施行されたのに伴い、桜島の西半分の区域より西桜島村が成立し、江戸期の武村は西桜島村の大字「武」となった。1973年(昭和48年)には西桜島村が町制施行し、桜島町の大字となった。2004年(平成16年)に桜島町が鹿児島市に編入され、大字武は鹿児島市の町名「桜島武町」となった。市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる。
出典:wikipedia
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