福山 芳樹(ふくやま よしき、1963年9月14日 - )は、日本のミュージシャン、ギタリスト、作曲家、編曲家。神奈川県鎌倉市出身。血液型はA型。身長172cm。愛称は「福ちゃん」。シャングリラ、ロコスミュージック、スリーナインエンタテインメントを経て、現在はMOJOST所属。幼少の頃よりピアノを習い、その後ギターを覚えたのがきっかけで本格的に音楽への道を目指す。TVアニメ『マクロス7』の主題歌ボーカルに起用されたのをきっかけに数々のオープニング曲やエンディング曲を担当する。学生時代より「他」、「ダルトン興業」、「黄連雀」、「ドクターエロス」、「MYSTY MIND」、「THE MAMMY ROSE」などのバンドで活動する。1988年、幼なじみである古屋敏之と2人で始めたバンド「MAPS」をきっかけに「ハミングバード」を結成。当初はギター2人、ベース、ドラムという4人編成で活動していたが、ギター、ドラムが脱退し、サポートメンバーを含めての活動が続く。1990年「AXIA・ミュージック・オーディション」にて歌部門最優秀賞を受賞し、これをきっかけに1991年5月21にメジャーデビュー。それ以前は、数々のアルバイトや、ヤクルトでトラック配送の仕事をしたり、古屋とともに地図製作会社に勤務しながら音楽活動を続けていた。1992年、サポートドラマーであった麻生祥一郎が正式加入し、ロックトリオバンドとして活動を活発化させる。1994年、バンド活動の中、アニメソングの製作も手がけていた中村裕介の推薦(もちろん製作会社の選考を経て)により、福山単独でTVアニメ『マクロス7』の主題歌、吹き替えボーカルを担当する。放送開始当初、主人公である熱気バサラのボーカルを福山が担当していることは公表されておらず、1995年5月21日、日本青年館で開催されたイベントに、ヒロインであるミレーヌ・ジーナスのボーカルを担当するチエ・カジウラとともに出演。ここで初めて、いわゆる「歌バサラ」であることが公となる。同年6月7日に「FIRE BOMBER」名義でアルバム『LET'S FIRE!!』をリリース。このアルバムは、第10回日本ゴールドディスク大賞、アニメ部門アルバム・オブ・ジ・イヤーを受賞。その後、FIRE BOMBER名義、HUMMING BIRD名義のシングルおよびアルバムを数枚リリースする。2000年5月、渋谷ON AIR EASTでのライブを最後にHUMMING BIRDを解散。その後、ソロとして弾き語りやバンドによるコンサート、ツアーミュージシャン、レコーディングセッション、レコーディングプロデュース等幅広く活動する。2003年3月、「JAM Project」に加入。10月には初のソロアルバム『叫ぶ男の肖像』をリリースし個人活動を活性化。ソロ・JAM Project双方でのライブ活動はアジア、アメリカ、ヨーロッパなどへも広げている。ソロ名義として、TVアニメ『OVERMANキングゲイナー』『武装錬金』『仮面のメイドガイ』、PCゲーム『置き場がない!』『放課後の不適格者』等の数々の作曲・歌唱を担当。2002年、牛島正人とのユニット「WILD VOX」、2008年声優・神奈延年とのユニット「福神」、2012年、てつろうとのユニット「トルバドールギターズ」等を結成し、ソロの他にも様々な形での音楽活動を展開している。2011年5月、デビュー20周年ツアーを行う。最終日の5月22日、Shibuya O-EASTでの公演には古屋が参加し、一夜限りのHUMMING BIRD再結成となった。また、このツアーからESP製のバサラギター(2代目)が使用された。2013年2月11日の大阪城ホール、2月24日の横浜アリーナで開催されたJAM Projectの公演「THE MONSTER'S PARTY」にて、実際のステージでは初のドラム演奏を披露する。事前にランティスから電子ドラムを借り、麻生によるレクチャーを受けて特訓。サージェント・ペパー風の衣装を纏い、満員の観衆を前に演奏を行った。2014年11月1日、所属事務所をスリーナインから、旧知の仲である寒河江康隆が設立したMOJOSTに移籍。2015年3月18日、ランティスよりアルバム『マグノリア』を発表。5歳から10歳までピアノを習い、耳コピでアニメの主題歌や映画音楽を弾いていた。ギターは11歳の誕生日に買ってもらい、音大に通っていたいとこの姉に基本的な押さえ方を教わり、あとは独学である。12歳の時、病院の待合室のテレビでビートルズの映画『レット・イット・ビー』を観てロックに目覚める。その後フィルムコンサートに行き指の動きを観察、家に帰ってチョーキングを試すといった方法で上達。アマチュア時代はほとんどのバンドでギタリストとして参加。ボーカリストになるつもりはなく、あくまでギタリストになりたかったという。高校受験の際、公立高校一本に絞り、滑り止めの私立校を受験しない代わりにエレキギターとアンプを買ってもらうことを親に確約させ、県立高校に合格する。こうして初めて手に入れたエレキギターがGRECO・GO-1000であり、GUYATONE-ZIP200というアンプ込みで10万円であった。1984年、桜美林大学経済学部に入学。軽音楽部にも入部したものの、初期以降はあまり大学へは通わず、アルバイトやバンド活動に時間を費やしたという。1986年には大学を除籍(退学届けを提出せずに辞めたため)となる。1988年8月、アルバイト先(レンタルビデオ店)の先輩であり、大学時代から交際していた恭子さんと結婚した。愛用しているギターのフェンダー・ストラトキャスターは1972年製で1983年に購入。アンプはデビュー当時から一貫してVOX AC-30を使用している。ソロアルバムの多くで、ドラム以外のほとんどの楽器を自ら演奏し、作曲・編曲もほとんど自ら制作している。唯一作詞だけは妻である福山恭子が担当している。動物好きでペットを絶やしたことがなく、一時期は猫を7匹同時に飼っており、雑誌『猫の手帖』にて特集されたこともある。また、チワワを飼っていたことから自宅スタジオの名称を「アップルヘッドスタジオ」と名づけた。HUMMING BIRD時代からの代表曲である「ねここしゃん」を筆頭に、飼っている、または過去に飼っていたペットがタイトルや歌詞に登場する楽曲が多数ある。視力は低く、日常では眼鏡を、ステージに立つ際はコンタクトレンズを使用していることが多い。2008年3月2日、JAM Projectのツアー「No Border」東京公演にて、ステージで転倒し機材に激突。右鎖骨を粉砕骨折するもアンコールの最後までステージに立ち続け、終演後救急車で搬送される。同ツアーの残りの公演にも負傷のまま参加した。このときの骨折、および手術、リハビリ、また同時期に製作していた「複眼」における苦労話は、しばしばライブ中のMCで笑い話として登場することとなる。2012年6月9日、トルバドールギターズのツアー中に大阪公演終了後の夜にマネージャーに頭痛を訴え、病院へ救急搬送。くも膜下出血で緊急手術、そのまま入院となり生死を彷徨う。奇跡的に後遺症もなく7月2日には退院。9月1日、ツアー「Sings FIRE BOMBER 〜A Tribute to Nekki Basara〜」の福岡公演でステージに復帰、現在も活動を続けている。ソロ活動開始以降のバンド編成は概ね固定されており、ドラム・麻生祥一郎、ベース・てつろう、キーボード・横田昭、ボーカル&ギター福山芳樹の4人という構成が主である。初代キーボーディストである今井隼が、ユニット「Antique Toy」としてメジャーデビューするのを機にバンドを脱退。後任として、HIDEこと鈴木英利が2代目鍵盤担当として加入したが、在籍期間は短く、バンドメンバーとして活動したのは実質2005年に東京、大阪、名古屋で開催されたツアー「Fire Bomber 2005 〜A Tribute to Nekki Basara〜」のみである。HIDEの脱退理由については詳しく語られていない。その後、一時期トリオでの活動期間を経て、2007年、アルバム『YELLOW HOUSE』の製作およびツアーから横田が3代目鍵盤担当として加入し、現在に至る。バンドのメンバーを称して「福山バンド」「F-BAND」と呼ばれているが正式な名称は特に定められていない。同期・半オケを導入した演奏を好まず、あくまでも生演奏に拘っている。2003年3月より活動、JAM Projectの項を参照のこと
出典:wikipedia
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