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藤原敏男

藤原 敏男(ふじわら としお、1948年3月3日 - )は、日本のキックボクサー。岩手県宮古市田老鉱山出身。外国人として初めてムエタイの頂点・ラジャダムナン王者となった。その戦いぶりはキックの荒鷲と呼ばれるほど激しい攻撃力を持ち、一時代を築いた強豪である。ムエタイ現役王者をノンタイトル戦で現地バンコクでKO勝ちなど何度も勝利していることから、タイ人以外のムエタイ王者としての実績は文句なしにトップである。身長168cm、体重61kg、血液型A型。引退後は「藤原スポーツジム」で後進の育成や、「ジャパン・マーシャルアーツ・ディレクターズ(JMD)」の理事長をしている。高校時代はテニス部に所属し、卒業後に上京し中央工学校の夜間部で設計の勉強を始める。アルバイトで牛乳配達をするが、配達区域に目白ジムがあった。その縁で目白ジムを見学しているうちにキックボクシングに興味を抱き、1969年7月に目白ジムへ入門した。黒崎健時の指導を受け、目白ジムに住み込みでキックボクシングに専念し始めると、1日10時間年中休みなしの練習漬けの毎日を送った。同年10月1日にプロデビュー。坂井田佳央と対戦しパンチで2RKO勝ち。しかし、タイ人選手相手に立て続けにKO負けしたことで、本格的にキックボクシングに取り組み始める。1971年11月5日、全日本キックボクシング協会の初代王者決定トーナメントで玉城良光に判定勝ちし優勝。初代ライト級王座を獲得し、新格闘術に転向するまで防衛し続けた。1972年4月でのタイ遠征を皮切りに、ムエタイの殿堂ラジャダムナン、ルンピニー両スタジアムで本場ムエタイ戦士と対戦。1974年3月、キックボクシングに転向していた元プロボクシング世界フェザー級王者西城正三と対戦。西城は転向後、16試合15勝1引き分け13KOと連勝街道を突っ走っていた。世紀の一戦とマスメディアも煽り立てたこの試合は、1Rから西城がパンチ中心で攻めるのに対し、藤原はパンチ・蹴りと上下に散らし、バランス良く攻める。2Rから藤原の攻めにスピードが乗りヒットし始めると、西城の攻めは空振りが目立ち始める。3Rに入り、西城が一方的に攻められる状態になり、KOなるかの直前に西城陣営からタオルが投げ込まれ、試合を棄権。藤原のTKO勝ちとなった。同年11月26日、東京体育館でBBTVライト級タイトルマッチでジャイディ・ピサラヌンチャン(ラジャダムナン・ライト級王者)と対戦したが4度のダウンを喫し、判定負けした。1975年、左脛を28針縫う手術し引退を囁かれたが、復帰を果たす。このとき45日間入院したが、退院して3日後、皇居マラソンをやり、5キロメートルを23分ぐらいで走った。決して速いタイムではないが、28針縫って48日間も寝ていた体で走りきる常識では考えられないことをやり遂げた。1977年4月7日、タイのラジャダムナン・スタジアムでチャラポン・ソータイ(ライト級王者)と対戦。1Rで藤原が右肘打ちを出し、お互いがもつれあいになり、両者倒れた。右肘打ちがリングに倒れる前か後かで判断が分かれたが、ムエタイはダウン以外でも倒されるのはマイナス評価を受ける競技であり、倒れる方が悪いと判断され、藤原はムエタイの歴史上初めて現役王者を破るという快挙を為し遂げ、外国人として初偉業を成し遂げた。1978年3月8日、後楽園ホールでモンサワン・ルークチェンマイに4RKO勝ちし、ラジャダムナン・スタジアムライト級王座を獲得し、ムエタイ史上初の外国人王者となった。同年6月7日、シープレイー・ガイソンポップ(ルンピニー&ラジャダムナンライト級1位:タイ)と対戦し判定負け。黒崎健時や日本のマスメディアは、タイ側のホームタウンディシジョン判定であると主張している。1979年10月30日、シープレイー・ガイソンポップ(ルンピニー&ラジャダムナンライト級統一王者)と王座決定戦を行い7RKO勝ちし、黒崎健時が興した「新格闘術」の世界ライト級王者になる。同年には梶原一騎総指揮の映画にも出演している。また、梶原原作の劇画「四角いジャングル」にも重要人物として頻繁に登場した。1983年2月に引退し、その後、長い間キックボクシングには関わらなかったが、1997年に「藤原スポーツジム」を設立し、指導を始める。2010年に発足される立ち技系格闘技のコミッション組織「ジャパン・マーシャルアーツ・ディレクターズ(JMD)」の理事長に就任した。黒崎健時は次のように評している。リングを降りた藤原は、東北人らしい寡黙で真面目な性格である。その一方で佐山聡はと藤原がリングの上でも路上でも強かったことを証言している。そのほかにも新宿で10人倒したとか、銀座で言い争いになって6人倒したとか逸話があり、その話の続きでもっとも藤原は、佐山の方が喧嘩っ早いと言っている。藤原はオールラウンドプレーヤーであり、パンチ・キックともあらゆる面において優れていた。ただ、攻め方が変則的であった。独特なリズムを持ち、前へ横へと軽快なフットワークを用い、相手の虚を突いて一気に中に飛び込んで攻撃していくタイプである。中に入ってくるかと思えば横へと移動し、横へ動くかと思うといきなり飛び込んでくるので、対戦相手にとっては非常に掴まえにくく、やりにくい。ヒット・アンド・アウェータイプの選手は、一度掴まえれば脆さが露見する場合が多いのだが、藤原は打ち合い蹴り合いに関しても、決して引けをとらない。藤原もこの独特のフットワークを自分のものにする以前は、真正面から、それも強引にパンチ・キックで勝負してきた。その基礎がしっかりしていてこそ、初めてこの変則的な攻めが成功していた。堂々と一歩も下がらず攻防する中でパンチ・キックを繰り出す。どちらが得意かといえばキックだろう。藤原の回し蹴りは、腰の回転を充分に使ったまるでムチのような力強いシャープな蹴りである。右・左と伸びのある強力なキックを連続して攻撃していくときなど、ダイナミックこの上ない。藤原が強力な蹴り技を身につけたのも、打倒ムエタイを目指し、強力なタイ人の蹴りと互角に戦えるよう鍛えていったからにほかならない。毎日1時間ぶっ通しでサンドバッグを蹴り続け、また大きなタイヤでスネを鍛えたり、宇都宮から東京まで100キロメートルの道を走るなど、超人的な鍛錬を積み重ねたのである。藤原の師、黒崎健時の命により「手(パンチ)を使ってはならぬ」という、蹴りだけの試合も行ったことがある。常に蹴りの間合いでだけで戦えるものではない。相手も必死で攻撃してくるのだから、パンチの距離に入ってきた時など、手を使えない闘いほど大変なものはない。藤原は蹴って、蹴って、蹴りまくった。結果は4RKO勝ち。「この試合ほど疲れた試合はなかった」と藤原は語る。だが、このような試合をこなしてこそ、藤原の強力な、なおかつバランスの良いキックが完成していったのである。キックのパワーを身につけた藤原は、タイのチャンピオンクラスを倒すには、正確な、パワーあるパンチを身につけなければならないことに行き詰る。今度は徹底的にパンチを練習し、一発で相手を仕留めるスピード・パワー・タイミングと三拍子揃った強力なパンチをマスターして一発KO勝ちを続ける。全日本ライト級タイトルマッチで鈴木勝幸と戦ったとき、鈴木に追い込まれながらも右アッパーカット一発で、逆転KO勝ちを収めた強力なワンパンチは印象に深い。見た目は八方破れ的な攻撃方法だが、藤原なりに計算を立てた上での変則的な方法である。独特のステップを用い、相手のリズムを崩して強引に自分のリズムで試合を運ぶ。相手の中へ飛び込み、引っかき回しては攻め、また引っかき回しては攻めるのである。一度藤原の術中にハマってしまうと、相手はどう攻めていいのか、いつ攻めていいのかわからず、藤原に触ることもできずに、ただパンチとキックに耐える一方という試合展開になる。また、藤原は、以上3つの基本パターンを複合的に何通りにも組み合わせ、スピードの変化に伴う攻撃を生み出し、そしてその底に潜む無限な力強い精神力が大試合で常に感動を呼んでいた。朝の練習昼の練習(11時〜15時まで自主トレ)夜の練習(18時〜23時まで)当時ボクシング世界王者のガッツ石松が「キックはシャモの喧嘩だ」と馬鹿にした発言をした。これに藤原は激怒し、ガッツとの対戦を熱望したこともある。それも「キックなしルールで構わない」と言い切り、ガッツを逆に挑発した。黒崎健時と舟木昭太郎の話では、と、結局ガッツ側は藤原の挑戦を受けずにこの騒動は終わった。藤原敏男と同時代に活躍したベニー・ユキーデとの対戦は何度も関係者でマッチメイクが交渉されたが、ユキーデ陣営の肘打ち、膝蹴りの禁止要望が強く、このことがネックとなり、ついに対戦は実現しなかった。黒崎健時は同じ目白ジムの岡尾国光が既にユキーデ陣営の主張する条件で試合したのだから、今度はこちらの条件で試合すべきだと主張したがユキーデ陣営は拒否し続けた。ユキーデはムエタイの選手と1試合行っているが「その時に肘、膝の攻撃防御に苦労したトラウマがあるのではないか」という関係者の話や、ゴング格闘技の編集長である舟木昭太郎も「藤原君とやらせようとしたけど、最終的に逃げてしまった。黒崎道場にユキーデとユキーデの兄貴が見学に来て、黒崎師範は『スパーリングやる』って声かけたんだけど、藤原君が蹴るのを見てたら、兄貴が『もう帰ろう』と言い出した(笑)。黒崎師範は木刀持って立ってるしね」と証言している。子供はタレントの藤原倫己(元・韓国アイドルグループA'st1(エースタイル)メンバー)プロキックボクシング(ムエタイ含む): 141戦 126勝 99KO 13敗 2引き分け

出典:wikipedia

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