伊豆箱根バス株式会社(いずはこねバス、 )は神奈川県小田原市、静岡県三島市、沼津市を中心に路線バス事業を展開する伊豆箱根鉄道の子会社である。同社のバスはライオンズカラーとなっている。伊豆箱根鉄道のバス事業は、駿豆鉄道が1928年(昭和3年)に長岡自動車及び古奈自動車を合併したことから始まる。その後、太平洋戦争中なども伊豆箱根周辺の事業者を合併し、あるいは自社での路線の拡充を図っていく。戦後になると、伊豆箱根地域の支配を巡り東急と西武の争いが起きるが、駿豆鉄道は箱根に関してはその当事者となっていた。事の発端は駿豆鉄道が1947年(昭和22年)に小田原 - 小涌谷間の路線バス開設を申請したことにある。このいざこざは箱根山戦争や第026回国会 運輸委員会 第34号に詳しい経緯が載っているため、詳細は省略する。その後、モータリゼーションの発展、箱根の観光地としての地位低下などによりバス事業の兼業が非常に厳しくなり、1990年代に入ると、1989年(平成元年)に設立した子会社の伊豆箱根自動車に路線を移管する動きが見え始めるようになる。また、グループ内での事業整理も行われるようになり、その結果、伊豆下田バスが営業を終了し、路線を小田急系の南伊豆東海バスに移管することとなった。そして、2006年(平成18年)10月には、直営で残っていた路線も伊豆箱根自動車に移管している。伊豆箱根鉄道のバス事業は、現在では分社化された伊豆箱根バスが担当している。営業範囲は箱根地区をメインとして、沼津、修善寺、熱海、湯河原、小田原に路線を伸ばす。以下の営業所を持ち、乗合バス事業と貸切バス事業を中心に行っている。"一般路線については各営業所記事を参照。"高速バスは1路線を運行している。首都圏から苗場スキー場へのアクセスを狙った季節限定路線。西武観光バスとの共同運行で、伊豆箱根バスは2014年末から加わり小田原発着便を担当、小田原発苗場行きは夜行便として運行する。。毎年3月20日 - 11月29日までの季節運行で1日2往復運行されていた。もともとはJR東海バスの親会社であるJR東海の新幹線を補完する目的で、新幹線からでは乗り換えとなる観光地へ直行する輸送手段としてJR東海バスと共同運行の形で開設された路線で、運賃は東名ハイウェイバスに準じた設定とされている。似たコンセプトでのちにJR東海バス・東海バス共同で伊豆スパー号も開設されている。しかし、名古屋 - 箱根の所要時間が約4時間半と時間がかかりすぎることから、乗客数は低迷した。途中停留所の変更するなどされるも功を奏せず、JR東海バスが撤退。その後も伊豆箱根鉄道単独での運行が続けられたが乗客数は増加することはなく、1996年の運行を最後に運行を終了した。名古屋地区から「関東の奥座敷」と呼ばれる観光地への直行便という路線設定は、近年は同様の条件の高速バス路線が各地で登場しており、時間にゆとりのある利用者層に受け入れられている路線も多いが、当時としては画期的な試みであった。しかし、当時の利用者には受け入れられなかった模様である。使用車両は、基本的に4列シート34人乗りのスーパーハイデッカーで、伊豆箱根鉄道では西工車体の日産ディーゼル・スペースウイングを使用していた。なお、当路線廃止後この車両は日東交通に売却された。1980年頃までは日野車・三菱車も導入していたが、この後の新規導入はグループ各社同様、ほとんどが日産ディーゼル車になった(ごく一部の路線車で三菱ふそう・エアロミディの導入例はある)。1990年以降は低床車両を中心に西武バスからの移籍車も多くなった。1998年(平成10年)、西武バスがいすゞ車の導入再開後は各社から導入している。2007年(平成19年)頃から尿素SCRを搭載した日産ディーゼル・スペースランナーRAが導入された。2008年(平成20年)には、小田原地区に同じく尿素SCRを搭載した三菱ふそう・エアロスターのOEM供給車であるスペースランナー-Aが導入された。なお、湯河原営業所閉鎖に伴い湯河原所属だった車両が熱海営業所に転籍している。車両番号(社号)については西武バス#車号を参照。また2扉の車両については、前乗り前降り制度の小田原営業所・熱海営業所の車両は後側の扉は常時使用しない。後乗り前降り制度の三島営業所の車両のみ後側の扉も常時使用する。
出典:wikipedia
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