


天津灘 福一(あまつなだ ふくいち、1932年8月2日 - 2001年3月28日)は、1950年代後半から1960年代初めにかけて活躍した、大相撲力士である。本名は田村 福一(たむら ふくいち)→田 福喜(でん ふくき)。二所ノ関部屋に所属していた。現役時代の体格は183cm、100kg。得意手は左四つ、寄り、下手投げなど。最高位は西前頭18枚目(1958年7月場所)。佐賀県小城郡牛津町(現・同県小城市牛津町)出身。18歳の時上京し、二所ノ関部屋に入門。1950年9月場所で初土俵を踏んだ。当初の四股名は、本名と同じ「田村」。左四つからの吊り寄りを得意とし、闘志溢れる相撲を取った。3歳年下の羽子錦徳三郎(高島部屋→友綱部屋。後、前頭10枚目まで昇進)とは、所属する一門は違っていたが、親友同士であった。その後、1957年3月場所で十両に昇進し、翌年5月場所で新入幕を果たした。しかし幕内では苦戦し、僅か3場所務めただけで、再度十両に逆戻り。以降はずっと十両にあったが、下位で大負けして幕下陥落が避けられなくなった1961年9月場所を以って、29歳で廃業した。廃業後、弟弟子である大鵬の実姉と結婚し、大阪市で寿司料理店を営んだ。しかし、程無くして店を閉じ離別。その後は在日韓国人であったこともあり単身大韓民国へ渡り、同国の首都・ソウル市で日本料理の店を経営し、現地の女性と再婚したという。2001年3月28日早朝、肝不全のため韓国・永川市内の病院で逝去。68歳没。
出典:wikipedia
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