


ブッチ・ミラー(Butch Miller、本名:Robert Miller、1944年10月21日 - )は、ニュージーランド・オークランド出身の元プロレスラー。相棒ルーク・ウィリアムスとのタッグチーム(ザ・ブッシュワッカーズ、ザ・シープハーダーズ、ザ・キウイズ)での活動で知られる。1964年、スティーブ・リッカードらが運営していたNWAニュージーランド(後のオールスター・プロレスリング)にてデビュー。本名のボブ・ミラー("Bob Miller")をリングネームに、ブルーノ・ベッカーとのコンビで活動した。以降、リングネームを度々変更し、1973年1月には「オーストラリア・マットに突如出現した謎の覆面レスラー」という触れ込みで、マスクマンのザ・タイガー("The Tiger")に変身して新日本プロレスに初来日、アントニオ猪木ともシングルマッチで対戦した。日本遠征後、ニック・カーター("Nick Carter")の名義で北米に進出し、スチュ・ハートの主宰するカナダ・カルガリーのスタンピード・レスリングにて、同郷のスウィート・ウィリアムことルーク・ウィリアムスとザ・キウイズ("The Kiwis")を結成。1974年9月には揃って国際プロレスに参戦し、9月16日に館山にてラッシャー木村&グレート草津のIWA世界タッグ王座に挑戦。10月3日には岡山にて、バロン・フォン・ラシクと組んで木村&草津に再挑戦している。シリーズ中は木村、草津、アニマル浜口との金網デスマッチも行われた。"以下、詳細は「ザ・ブッシュワッカーズ」を参照"1979年5月、リングネームをボブ・ミラーに戻してウィリアムスと共に全日本プロレスに来日。同年よりチーム名をザ・シープハーダーズ("The Sheepherders")に改め、ヒールのタッグチームとして各地を転戦、プエルトリコのWWCではアブドーラ・ザ・ブッチャーとも共闘している。1982年から1983年にかけては一時的にコンビを解消し、単独でニュージーランドに帰国していたが、1984年からはウィリアムスとシープハーダーズを再結成。様々に変更していた自身のリングネームも、復帰後はブッチ・ミラー("Butch Miller")に定着させた。以後、各テリトリーのローカル・タッグ王座を再三奪取し、日本では「タッグ泥棒」なる異名を付けられた。1987年2月には新日本プロレスに来日、IWGPタッグ王座の決定リーグ戦に出場している。1988年末、チーム名をブッチ&ルークのザ・ブッシュワッカーズ("The Bushwhackers")に変更し、ルークとは従兄弟同士という設定でWWFに登場。WWFではコミック・リリーフを担当するベビーフェイスのベテラン・チームとして売り出され、そのコミカルなキャラクターで子供ファンの人気を集めた。1990年12月には、当時WWFと提携していたSWSに来日している。以降、WWFには1996年まで長期間に渡って在籍し、退団後もブッシュワッカーズ名義でルークと共にインディー団体を転戦した。2001年4月1日に開催された『レッスルマニアX-Seven』のギミック・バトルロイヤルに出場後、同年9月に引退して母国のニュージーランドに帰国。2008年6月11日のWWEのオークランド公演では、同じくニュージーランド出身であるWWEプロデューサーのトニー・ガレアと共にMVPのトーク・コーナー「VIPラウンジ」に登場、ヒールのホスト役MVPを蹴散らし、往年の「ブッシュワッカー・ウォーク」を披露して現地の観客の喝采を浴びた。ニュージーランドでは首都ウェリントンのプロレス団体 " のコミッショナーを務めつつ、レスリング・ウェブサイト "NZPWI" のコラムニストとしても活動した。2015年、ルーク・ウィリアムスとのザ・ブッシュワッカーズでWWE殿堂に迎えられた(インダクターは、かつてNWAフロリダ地区で彼らのマネージャーを務めていたジョニー・エースことジョン・ロウリネイティス)。式典では杖をつきながらも、往時と変わらぬパフォーマンスを見せて会場を沸かせた。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。