吉川 大幾(よしかわ だいき、1992年8月21日 - )は、読売ジャイアンツに所属するプロ野球選手(内野手)。大阪府大阪市天王寺区出身。小学校からソフトボールを始め、6年時に助っ人として野球の試合に出場し、中学ではナガセタイガースボーイズに所属し投手兼遊撃手として野球をプレー。PL学園高等学校進学後は1年秋から1番・中堅手のポジションを獲得し、2年夏には大阪大会で1大会5本塁打をマーク、2年春夏の甲子園出場に貢献。2年秋からは主将に就任し、遊撃手に転向。2010年のドラフト会議で中日ドラゴンズから2位指名を受け入団。背番号は同じPL学園の先輩で同じ内野手で尚且つ憧れの人物でもある立浪和義が付けていた3を継承することとなった。ルーキーイヤーであるから春季キャンプを一軍練習地である北谷公園野球場で経験。辻発彦総合コーチから「高校時代の俺よりも上手い」と言われていた。ファームでは遊撃手としてプレーしたが、126打席で打率.190と苦しんだ。フェニックスリーグからは二塁手にも挑戦する。からはスイッチヒッターに挑戦する。7月12日には投打を「右投げ右打ち」から「右投げ両打ち」に変更し、セントラル・リーグに届け出たと発表された。9月11日に一軍初昇格。9月13日の横浜DeNAベイスターズ戦で代打としてプロ初出場を果たし、篠原貴行から勝ち越し左前適時打を放ってプロ初打席で初安打と初打点をマークした。中日時代は打てなさ過ぎた上に立浪の番号を付けていたため、試合中には「立浪の番号を返せ」と観客席から辛辣なヤジが飛んで来たこともあった。、10月30日に球団(落合GM)から戦力外通告を受けた。「練習態度が悪かった事などが谷繁元信兼任監督の逆鱗に触れ、中日をクビになった」とも囁かれたが、東京スポーツのインタビューに対しては「気を抜いてやったことは一切ないです」などと、これを否定する発言をしている。尚、吉川は戦力外通告を受けるとは思っていなかったのか、落合からは打撃指導をして貰えるための呼び出しだと当初は思っていた事をバース・デイで告白している。その後11月14日、読売ジャイアンツと契約を結んだ。年俸550万円で、背番号は68。50メートル走5秒9、遠投115メートルの俊足・強肩であり、バッティングでは抜群のリストの強さを誇るバランスのとれた素材。長打力もあり、広角に打てる、将来の立浪2世と呼ばれていた。高めを打つのが得意で、中学3年時に野球塾で個別指導を受けた村上隆行からは「インハイを打てるバッターになれ」と言われていた。
出典:wikipedia
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