ケニウィック (Kennewick) はアメリカ合衆国ワシントン州ベントン郡の都市である。コロンビア川南西に位置し、その対岸にはパスコがある。また、コロンビア川との南の合流点である。トリシティズと呼ばれるハンフォード・サイト近郊の中規模な都市圏のうち最も人口の多い都市である。トライシティズにはケニウィックの他にパスコとリッチランドが属している。ワシントン州財務管理局による2011年4月1日の統計によると、人口は推定76,224人である。北緯46度12分13秒、西経119度9分33秒 (46.203475, -119.15927)に位置している。アメリカ合衆国統計局によると、総面積63 km² (24.3 mi²) である。このうち59.4 km² (22.9 mi²) が陸地であり、3.6 km² (1.4 mi²) (5.67%) が水地である。ケニウィックはステップ気候(ケッペンの気候区分"BSk")にあり、かろうじて砂漠気候から脱している。冬は肌寒いが、軽い降雨を伴う程度である。夏は暑く、非常に乾燥している。カスケード山脈の雨陰にあるため、降雪は珍しく軽微であり、降水量はスポケーンの半分以下、アストリアの8分の1以下である。2010年の国勢調査推計による人口統計データ先史時代、古人類のひとつであるケネウィック人が生活していた。遺骨が1996年にコロンビアのほとりから発掘され、先住民族であるにも関わらずコーカソイドの特徴を持っているため、年代の特定が注目されている(一説によると、9,300年前のものと言われている)。「ケニウィック」という名前は、ネイティブ言語の「草原(grassy place)」に由来すると考えられている。冬の気候が穏やかであることから「冬の楽園(winter paradise)」とも呼ばれている。ネイティブの少女の笑い声 "Tehe" が由来とも言われている。1880年代、蒸気船や鉄道がコロンビア川沿いに接続され、開拓民たちからケニウィックの名が知られるようになった。1887年、ノーザン・パシフィック鉄道によりケニウィックとパスコをつなぐ一時的な鉄道橋が建造された。しかしその冬、コロンビア川の氷に耐えきれず陥落した。翌年、頑丈な鉄道橋がつくられた。1894年から1931年まで、コロンビア川にケーブルフェリーが運航されており、ミネアポリスからタコマへの貨物輸送に利用されていた。1890年代、ノーザン・パシフィック灌漑会社(Northern Pacific Irrigation Company)がケニウィック高地での農業のために水路とポンプを導入し、地域に灌漑をもたらした。信頼性の高い水源を得たことにより、果樹園やブドウ園が成長し、イチゴがこの地の特産物となった。1904年2月5日、ケニウィックが正式に設立された。1912年、ベントン群の群庁所在地をプロッサーからケニウィックへ移動しようと入札があったが失敗した。産業の成長を見込んでいる2番目の都市としてフォーブス誌に紹介された。記事によると、パシフィック・ノースウェスト国立研究所や地域の農地による採用者の増加を見込んでいる、という。パスコにがある。パスコ(写真左手)からケニウィック(写真右手)に架かるケーブルブリッジによりコロンビア川を横断できる。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。