小山 雄輝(こやま ゆうき、1988年12月5日 - )は、愛知県知多市出身の読売ジャイアンツに所属するプロ野球選手(投手)。大府高時代は1年夏からベンチ入りするも甲子園出場は無し。天理大学では2年次の春に遊撃手へコンバートされるが、同年夏に就任した中村良二監督の下で投手とし再起。3年次の春は抑えとして一部リーグ復帰に貢献。4年次には中村監督が招いた山崎慎太郎臨時コーチと投球フォーム改造に取り組み、エースとして初のベストナインに輝いた。本格派の右腕として巨人、阪神、広島など複数球団の注目を集め、2010年のプロ野球ドラフト会議にて読売ジャイアンツから4位指名を受ける。天理大からは初のドラフト指名選手となった。11月に契約金4500万円、年俸720万円で仮契約し、背番号は94に決まった。4月29日に一軍初昇格。翌4月30日の横浜戦でプロ初登板し、先発として4回を2失点に抑える。5月7日の中日戦で二度目の先発登板をするも、5回途中に1失点で降板し勝敗つかず。三度目の先発となった5月14日の広島戦でも5回をもたずにマウンドを降りた。翌日に一軍登録を抹消され、残りのシーズンはファームで過ごした。は春先に「第二の二軍」を経験した後、イースタン・リーグで先発投手として防御率1点台後半と成長を見せる。先発して初めて5イニングを投げきった8月8日の阪神戦では勝敗がつかなかったが、8月31日の横浜戦で7回を3安打無失点に抑え、通算7度目の先発にしてプロ入り初勝利を挙げた。11月に開催されたアジアシリーズでは初戦のパース・ヒート戦に先発し、6回途中1失点で勝負はつかなかった。は7月14日の中日戦でシーズン初先発し、6回1失点と好投。ローテーションの谷間で5回の先発機会を得たが、勝ち星は挙げられなかった。ポストシーズンは中継ぎ要員としてベンチ入り。日本シリーズ第3戦では序盤にノックアウトされた先発の杉内俊哉に代わって登板し、3回1/3を無失点に抑えた。は、5月に初登板初勝利を挙げると、6月8日の千葉ロッテ戦ではプロ初完投勝利 を挙げるなど交流戦で3勝を挙げチームの交流戦優勝に貢献する。そのままシーズン最後までローテ入りし自己最多の6勝をマークした。主催ゲームでは負けなしだったが、クライマックスシリーズは3連敗を喫して後がなくなり第4戦に先発したが、初回にマット・マートンに3ラン、福留孝介にソロ本塁打を浴びていきなり4失点、2回も、西岡剛に2ラン本塁打を浴び、2回途中6失点で降板となり、そのままチームは敗れクライマックスシリーズ敗退となった。オフの11月7日に、「日本プロ野球80周年記念試合」の阪神・巨人連合に阪神の梅野隆太郎と共に追加メンバーとして選出された。長身からオーバースローで投げ下ろす最速180km/hのストレートを軸とし、カーブで緩急をつけ、フォークを決め球とする。フォークは、カウントを取るスプリット系と握りが深い決め球になるフォークと2種類を投げ分ける。2013年のオフにはカットボールを習得し、春季キャンプでは同年にFA移籍してきた大竹寛からシュートを伝授された。スパイクには、人に感謝する気持ちを忘れないようにと、右足には父、左足には母の名前から一文字ずつ取った漢字が刺しゅうされている。
出典:wikipedia
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