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水口栄二

水口 栄二(みずぐち えいじ、1969年1月9日 - )は、愛媛県出身の野球指導者。元プロ野球選手(内野手)。愛媛県立松山商業高等学校(松山商)3年生時代の1986年に主将として出場した第68回全国高等学校野球選手権大会で、1大会における安打最多(19安打)を記録。また、現役選手時代には日本プロ野球歴代7位の通算279犠打を記録。そのうち大阪近鉄バファローズに在籍した14年間では、同球団史上最多の通算261犠打を記録。1997年にシーズン最高記録の42犠打を樹立したほか、2001年・2004年にもパシフィック・リーグの最多犠打を達成している。松山商業高校から早稲田大学人間科学部スポーツ科学科に進学。松山商時代の1986年には、主将としてチームを夏の甲子園で準優勝に導いた。水口自身も、前年の大会で佐藤勝実(宇部商業高校)が記録した大会最多安打記録(15安打)を大幅に更新する19安打を放つと共に、同じく前年の大会で清原和博(PL学園)が記録した大会最多塁打記録(27塁打)にも並んだ。早稲田大学では、1年生から硬式野球部で遊撃手のレギュラーを獲得。4年生になったには、第80代主将として、チームを15シーズン振りのリーグ優勝に導いた。東京六大学野球のリーグ戦では、通算で92試合出場。339打数91安打、6本塁打、27打点、打率.268という記録を残す一方で、ベストナインを4回獲得した。1990年末のプロ野球ドラフト会議で、近鉄バファローズから2位指名を受けて入団(尚、社会人経由ではない早稲田大学としての指名野手は1979年の岡田彰布以来である)。近畿大学呉工学部からドラフト3位で指名された松山商時代の同級生・佐野重樹と、再びチームメートになった。近鉄に入団して初めて迎えたキャンプで、当時チームの主砲であったラルフ・ブライアント、鈴木貴久らが打撃練習で外野スタンドに次々と打球を放り込んでいく姿を見てショックを受け、「場違いな世界に来てしまった。自分のような非力なバッターがプロでやっていけるんだろうか」と近鉄に入団したことを後悔したという。1年目のから、猛打の近鉄打線の中で小技のできる内野手として重宝され、代走や守備固めで68試合に出場した。だが、、も、二塁の大石大二郎、遊撃の吉田剛のサポート役としての起用が多く、レギュラーを奪うまでには至らなかった。に吉田に代わり遊撃手のレギュラーを獲得し、打率.272の活躍で初の100試合出場を達成した。翌も2番・遊撃手に定着した。シーズン中盤から大石の衰えにより二塁手へコンバートされ、自己最多の8本塁打を放った。同年はオールスターゲームに出場。以後、近鉄バファローズが消滅するまでの9年間、正二塁手であり続けた。しかしは開幕戦で太もも負傷、8月のぎっくり腰などで1軍と2軍を行き来する状況で、正二塁手を高須洋介に譲り、本人は30試合の出場にとどまってしまう。はそれまで1番だった大村直之が前年からの不振を引きずり、春先は武藤孝司も不振だったことに加え、水口自身が好調だったため大村に代わり1番を務めた。6月中旬までは3割をキープしていたがその後は不振になり、そのままシーズンを終える。後半戦は武藤の怪我もあり、12試合遊撃手で先発出場している。2001年、大阪近鉄バファローズの12年ぶりの優勝に、不動の2番・セカンドとして貢献した。ファウルで粘るいやらしいバッティングが持ち味だが、僅差の2位で迎えた9月17日の対西武戦での松坂大輔からの決勝打や、ヤクルトスワローズとの日本シリーズ第2戦での島田直也からの同点3ランなど時に目を見張るような活躍を見せた。とは100試合未満の出場に終わった。は3年ぶりに規定打席に到達した。打率も.293と好調だった。オフの分配ドラフトを経てオリックス・バファローズに移籍。近鉄出身者としては数少ない仰木彬監督時代を知る選手でチームの融和に努めた。は平野恵一・塩崎真らとの併用で起用された。この年から二塁手だけでなく三塁手としても起用されるようになる。8月30日の対西武戦で1500試合出場を達成した。7月2日、三輪隆バッテリーコーチ(同じ1969年生だが、水口の方が早生まれのため学年が一つ上)に怒声を上げた。この日の対西武戦における二度のバッテリーミスに関しての三輪の指摘が投手陣にのみ向けられたのに対し、チーム内においてチームリーダー的な存在である水口が、投手陣だけでは無く捕手にもミスを指摘すべきであると不満を爆発させたものと思われる(その時の捕手は的山哲也)。この年から一塁手としても起用されるようになる。は前年より出場機会が減ったこともあり、9月29日、現役引退を表明。打撃コーチ就任が発表された。10月2日、京セラドーム大阪でのレギュラーシーズン最終戦である福岡ソフトバンクホークス戦の6回裏に代打として登場し、プロ最終打席を迎える。結果は三塁ゴロだった。試合後、引退セレモニーが行われた。現役最終年は52試合の出場で幕を閉じた。からは、オリックスに残って一軍打撃コーチを担当していた。しかしには、公式戦開幕直後から一軍で打撃不振が続いたことから、大島公一と入れ替わる恰好でシーズン途中で二軍打撃コーチへ降格。そのまま一軍へ復帰することなく、シーズン終了後の同年10月6日付で球団からコーチ職の解任を通告された。オリックスを退団したからは、西宮市で、小学4年生から中学3年生までを対象にした有料会員制の野球教室「水口栄二の野球心(みずぐちえいじのやきゅうしん)」を開講。少年野球チームや個人への出張指導にも乗り出している。

出典:wikipedia

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