千賀 滉大(せんが こうだい、1993年1月30日 - )は、福岡ソフトバンクホークスに所属する愛知県蒲郡市出身のプロ野球選手(投手)。実父が岩城滉一のファンであることから、出生時に「滉大」と命名。小学校2年生から三谷東若葉、4年生からは北部サニーボーイズに所属した。蒲郡市立中部中学校時代には、軟式野球部で三塁手としてプレー。愛知県立蒲郡高等学校への進学後に投手へ転向した。蒲郡高校では、1年時から公式戦に登板すると、2年時からはエースとしてチームを牽引。2年秋と3年春は故障などで公式戦に登板しなかったが、3年時の夏に全国高等学校野球選手権愛知大会へ出場。3回戦で敗退した。2010年の育成ドラフト会議で、福岡ソフトバンクホークスからの4巡目指名を受けて入団。「アマ球界に詳しい」という愛知県のスポーツショップ経営者からの薦めで、当時のスカウト・小川一夫が千賀の獲得を決めたという。この年から二軍監督に就任した小川の下で、もっぱら三軍戦に登板。ウエスタン・リーグ公式戦への登板機会はなかったが、シーズン終了後のみやざきフェニックスリーグで二軍戦デビューを果たすと、4試合の登板で通算3回1/3イニングを無失点に抑えた。若手選手主体のB組に参加した春季キャンプの紅白戦で好成績を残したことから、キャンプ終盤に一軍へ抜擢。しかし、読売ジャイアンツ(巨人)とのオープン戦(3月9日)登板中に左足首をひねって緊急降板を余儀なくされたため、開幕を二軍で迎えた。ウエスタン・リーグ公式戦で開幕から先発ローテーションに入るほど好調だったことを受けて、4月23日に支配下選手契約へ移行するとともに、背番号を「21」に変更した。同月30日にプロ入り後初の出場選手登録を果たすと、同日の対千葉ロッテマリーンズ戦(QVCマリンフィールド)に先発投手として一軍デビュー。しかし、レギュラーシーズン全体では、一軍公式戦2試合の登板(オール先発)で0勝1敗という成績に終わった。その一方で、ウエスタン・リーグでは、9月20日の対オリックス・バファローズ戦で9回1死まで無安打無得点と好投。シーズン通算では、18試合の先発登板でリーグ最多の108イニングを投げるとともに、最優秀防御率(1.33)のタイトルを獲得した。また、7勝(リーグ2位タイ)、勝率.700(同3位)、83奪三振(同2位)という成績で、チームのリーグ優勝に貢献した。その一方で、シーズン終了後に右肩痛を発症したため、秋季キャンプに参加しなかった。先発からセットアッパーに転向した岩嵜翔と交換する格好で、背番号を「21」から「41」に変更。1月の自主トレーニング中から投球フォームの改良へ積極的に取り組んだ末に、中継ぎ要員として自身初の開幕一軍入りを果たした。3月31日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦で一軍初救援を経験すると、4月3日の対北海道日本ハムファイターズ戦(福岡ヤフオク!ドーム)から6月21日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦(郡山総合運動場開成山野球場)まで、セットアッパーとして27登板試合連続無失点を達成。この間には、4月11日の対オリックス戦(福岡ヤフオク!ドーム)で一軍初ホールド、5月12日の対埼玉西武ライオンズ戦(熊本県・藤崎台県営野球場)で一軍初勝利を挙げている。初めてクローザーに起用された6月26日対北海道日本ハムファイターズ戦(東京ドーム)では、延長10回裏に一塁手・中村晃のタイムリーエラーで自責点0ながらサヨナラ負けを喫した一方で、救援投手による公式戦連続無失点イニング(34回3分の1)のパシフィック・リーグタイ記録を樹立。この試合から4登板試合連続で敗戦投手になったことから、7月4日に出場選手登録を抹消されたが、同月14日にセットアッパーとして一軍へ復帰した。パシフィック・リーグの監督推薦選手として初めて出場したオールスターゲームでは、第2戦(明治神宮野球場)の4回裏から2番手として初登板。2イニングを無失点・(クリーンナップから4者連続を含む)5奪三振と好投したことから、敢闘選手賞を受賞した。リーグ戦の再開後は、7月26日の対日本ハム戦(福岡ヤフオク!ドーム)でクローザーとして一軍初セーブを挙げたものの、8月以降の登板では救援失敗が相次いだ。さらに、9月4日の日本ハム戦(東京ドーム)では、5回裏に7球を投げたところで左脇腹に痛みを訴えて緊急降板。翌5日の診察で左腹斜筋の肉離れが判明したため、同日に出場選手登録を再び抹消されると、そのままシーズンを終えた。シーズン終了後の12月9日には、推定年俸3,300万円(408パーセント増)で契約を更改する一方で、球団フロントに対して先発への再転向を訴えている。春季キャンプのスタートを主力選手中心のA組で迎えたが、調整不足で早々にB組へと降格。オープン戦では、6試合の登板で2セーブ、防御率1.50(6イニング1失点)という好成績を残した。一軍でのロングリリーフを求める首脳陣の判断で2年連続の開幕一軍を逸したが、4月4日にシーズン初の出場選手登録。登録後は、点差とは無関係の局面での救援登板が続いた。5月23日の対阪神タイガース戦(福岡ヤフオク!ドーム)で自身1年振りの勝利を挙げたが、右肩に違和感が生じたことから、6月15日に登録を抹消。抹消後の検査では「疲労」と診断されたものの、結果としてシーズン中の実戦復帰には至らず、12月下旬に投球練習を再開した。前年発症した右肩痛のリハビリを経て、春季キャンプ前の自主トレーニングから、先発への再転向を視野に調整。ウエスタン・リーグ公式戦でも開幕から先発で好投を続けていたが、一軍先発陣の層が厚いことなどから、シーズン初の一軍昇格は8月18日にまで持ち越された。同日の対オリックス・バファローズ戦(京セラドーム大阪)で一軍公式戦3年振りの先発登板を果たすと、7回を被安打4の無失点と好投。一軍公式戦では自身3年振り、一軍の先発では自身初の勝利を挙げた。また、ウエスタン・リーグでは、公式戦16試合に登板。規定投球回数に達しなかったものの、9勝2敗、2完投、96奪三振、防御率2.00という好成績で、リーグ史上初の4連覇に貢献した。一軍公式戦では4試合の登板(先発3試合)で2勝1敗という成績を残したが、チームのリーグ連覇で迎えたポストシーズンでは、ロングリリーフ要員として起用。千葉ロッテマリーンズとのクライマックスシリーズ ファイナルステージでは、第1戦(10月15日)および第3戦(同月17日、いずれも福岡ヤフオク!ドーム)の救援でピンチを完璧に凌いだことによって、チームを日本シリーズ進出に導いた。東京ヤクルトスワローズとの日本シリーズでは、10月27日の第3戦で、1点リードの5回裏2死1塁から2番手投手としてシリーズデビュー。山田哲人から逆転の2点本塁打(シリーズ史上初の3打席連続本塁打)を浴びて敗戦投手になったが、翌28日の第4戦(いずれも神宮)では、2点リードの7回裏からの登板で2イニングを完璧に抑えた。なお、シーズン終了後の12月26日には、自身と同じ年齢の一般女性と結婚したことを発表している。一軍の先発ローテーションの一角を担うべく、公式戦開幕直後の3月30日にシーズン初の出場選手登録を果たすと、当日の対西武戦(ヤフオクドーム)でシーズン初勝利。この試合以降も、4月14日の対西武戦(埼玉県営大宮公園野球場)で一軍初の完投勝利を挙げるなど、オール先発で8連勝を記録した。8月6日の対日本ハム戦(ヤフオクドーム)でシーズン初黒星を喫したものの、同月20日の対日本ハム戦(札幌ドーム)でシーズン10勝目に到達。NPB育成ドラフト出身投手のオール先発によるシーズン10勝と、パ・リーグの育成ドラフト出身投手によるシーズン10勝は、いずれも初めてであった。9月3日の対楽天戦(コボスタ宮城)では、自身2度目の完投でシーズン12勝目を挙げたことによって、NPBの育成ドラフト出身投手による一軍公式戦でのシーズン最多勝利記録を達成している。オフの10月18日に「侍ジャパン 野球オランダ代表 野球メキシコ代表 強化試合」の日本代表に選出されたことが発表された。スリークォーターから投げるストレートは力強く、2013年にリリーフとして起用された際には平均球速約149km/h、最速156km/h。かつての野田浩司を彷彿させる落差の大きいフォーク(通称「お化けフォーク」)、縦のスライダーで空振りを奪う。ストレートについては、高校時代に最速144km/hを記録。プロ1年目には、基礎体力の養成を優先した結果、1年間で最速記録を152km/hにまで伸ばした。2年目には、当時の先輩投手・近田怜王の勧めで、スポーツトレーナーの鴻江寿治が主宰する合同自主トレーニングへ近田、チェン・ウェイン、吉見一起、上野由岐子などと共に参加。鴻江から身体の使い方を学んだことをきっかけに、低めへのストレートの伸びを大幅に向上させた。地元球団である中日ドラゴンズのスカウトは、ソフトバンク入団後に二軍での千賀の投球を視察した際に「愛知にこんな選手がいたなんて…」と悔しがった。高校時代には浅めに握るスプリットフィンガード・ファストボールを投げていたが、スライダー回転していたため人差し指を縫い目にかける工夫をした。制球難に苦しんでいた千賀は2012年1月の自主トレで球界屈指のコントロールを誇る吉見に積極的にアドバイスを求め、親指の使い方を教わり「20球に1球しかまともに落ちなかったフォーク」が毎回真下に落ちる完成度の高いフォークへ変わった。救援投手として起用され始めた2013年のレギュラーシーズンでは、一軍公式戦でチームトップの51試合に登板。同点の局面で登板した7試合のうち、5度救援に失敗した。その一方で、僅差でのリードを背負って登板した18試合では、17試合を無失点で凌いでいた。当時は直球とフォークを主体に投球を組み立てていたが、2015年の先発再転向後は、スライダーを配球に加えることで投球の幅と安定感を増している。
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