『唐獅子株式会社』(からじしかぶしきがいしゃ)は、小林信彦が『別冊文藝春秋』1977年春号に発表した短編小説。またその号から同誌に続けて10号連載された連作短編シリーズ名。また、これを原作とした日本映画である。1978年文藝春秋刊行の同名の単行本『唐獅子株式会社』(第79回直木賞候補)にはシリーズ4作を他の短編とあわせた形で収録。同年同社から刊行の単行本『唐獅子惑星戦争』に同様にシリーズ3作を収録。1979年同社から刊行された単行本『唐獅子超人伝説』には、同様にシリーズ3作収録。1981年刊行の同名の新潮文庫版には全10作を収録し、初めてシリーズ作品だけで構成された書籍が刊行された。なお、上記のシリーズの続編として新潮社から1982年に『唐獅子源氏物語』として刊行されたシリーズは、1980年から1982年にかけて『週刊サンケイ』及び『小説新潮』に7作の短編が掲載されたものであり、そのまま新潮文庫となっている。2016年にフリースタイルから刊行予定の『唐獅子株式会社(全)』にはシリーズ全作が収録される予定である。天尾完次プロデューサー(当時)が岡田茂東映社長(当時)に、東映の主だった監督の名前を挙げたが、どの監督の名前を出しても首を縦に振らないから、ヤケになって「曽根中生はどうだ」と言ったら「よしそれで行こう」と曽根の監督起用が決まった。天尾は曽根監督の『“BLOW THE NIGHT!”夜をぶっとばせ』(1983年)を評価していた。天尾が曽根にオファーを出したときは、横山やすし主演の他、キャスティングは全部決まっていたという。曽根の前に監督に前田陽一や長谷川和彦、岡本喜八、山本晋也らの名前があがり、また渡瀬恒彦が主演したいと名乗りをあげたがいずれも実現しなかった。構成に笠原和夫が入っているのは、話を無茶苦茶にすると評判の悪い曽根に「直してくれるなよ」と天尾が曽根を牽制するため。曽根は「これ言うと身も蓋もないけど桂千穂の脚本が悪いね。私がそれを直す時間がなかったんですよ。横山やすしのスケジュールがびっしり詰まっていましたし、丹波哲郎、伊東四朗、みんな分刻みのスケジュールでね」などと話しているクレジットにチャンバラトリオの名前があり、脚本に横山やすしと刑務所で絡む長い件があったが、くだらないと曽根が全部オミットし撮影もしなかったと後年自身で語っている。ただし、原作者の「天才伝説。横山やすし」には、週刊誌依頼の撮影見学でこの場面に遭遇したとあり、檻ごしに見えるフィルターが装着されたカメラ、横山と結城哲也が撮影の合間にかわす雑談など、かなり細かく記述されている。『新唐獅子株式会社』として公開。監督の前田陽一の遺作である。前田の久々の劇場映画であったが、クランクイン1週間後になって入院し死去した。その後の現場は、前田に師事していた南部英夫・長濱英孝両監督が引継ぎ、無事完成・公開された。
出典:wikipedia
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