暴力装置(ぼうりょくそうち)とは、国家権力によって組織化され、制度化された暴力の様態を意味する社会学用語。通常、軍隊や警察の持つ実行力へ言及する際に用いられる。現状において国際政治における戦争も各国内における犯罪も根絶されていない以上、個々の市民から暴力を没収して一元管理することは国家の安定した成立のために不可欠であり、そのために国家には法に基づいた実力行使を許された機関と構成員が必要である。これが「暴力装置」である。一方、市民や外国人が国家や地方自治体の意志に関係なく(警察力の規制を逃れて)暴力を恣意的に行使できる状態が、失敗国家に見られる典型的特徴である。「暴力装置」という言葉は、政治学や社会学において国家の物理的強制機能を指す用語だが、あくまで法学・政治学上の用語であり、一般的には「軍隊」及び「警察」(もしくは「治安機関/治安組織」)と呼び、より専門的な用語としては「法執行機関」と呼ぶ。軍隊や警察の他に、法に基づいた実力行使が許されている機関、例えば日本では海上保安庁、入国管理局や国税庁査察部、アメリカ合衆国ならアルコール・タバコ・火器及び爆発物取締局や連邦保安官も暴力装置、かつ法執行機関である。国家を機械や装置に例える表現は、過去に共産主義思想家や革命家によって行われてきた。カール・マルクスは、著書『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』においてナポレオンの革命によって完成された国家を「Maschine」(装置)として例えている。また、ロシア革命を主導したウラジーミル・レーニンは、著書『国家と革命』の中で「чиновничьего и военного аппарата」(官僚・軍事装置)という言葉を用いた。これらを受け、日本の左翼理論家・運動家だった神山茂夫(1905-1974)がマルクス、レーニン、スターリンらの革命的国家理論の理解のための総括の中で「暴力装置」という語を用いた。以降、日本では安保闘争を通じて自衛隊を違憲とする立場の左翼の活動家などにより「暴力装置」という表現が使われてきた。「暴力装置」という語は法執行機関による公権力の濫用について批判的に言及する際にも用いられるため、政治家が不用意に使用すると問題視される場合がある。2010年11月18日に開催された参議院予算委員会にて、当時の民主党政権における現職の内閣官房長官であった仙谷由人は、「暴力装置でもある自衛隊、ある種の軍事組織だから特段の政治的な中立性が確保されなければならない」と述べたが、自民党などからの猛抗議を受け、「実力組織と言い換える。自衛隊の皆さんには謝罪する」と撤回して謝罪した。また仙谷は、2005年10月03日に早稲田大学の大隈塾にて講演した際、「憲法に自衛隊が存在することの根拠を書」くべきとの文脈で以下のように述べた。2009年03月30日に開催された民間のシンポジウムにて、当時の自民党・公明党政権における現職の農林水産大臣であった石破茂(防衛大臣・防衛庁長官を複数回に渡って務めた安保・防衛のエキスパートとして知られる)は、「国家の定義というのは、警察と軍隊という暴力装置を合法的に所有するというのが国家の1つの定義」と述べ、「暴力装置」という用語を使用して警察や軍隊などを説明した。なお、このシンポジウムには、民主党の当時の副代表であった岡田克也ら複数のパネリストも参加していたが、この現職の大臣である石破が警察や軍隊を「暴力装置」と表現した点について、特に誰からも問題視されなかった。また石破は、遡ること2006年に清谷信一との共著で出版された『軍事を知らずして平和を語るな』(KKベストセラーズ、ISBN 4584189676)においても以下のように述べていた。これらの例は、国家や警察・海上保安庁や軍隊・自衛隊を指すという点で、定義的に極めて正確であり、その実態を端的に表現した文脈で使用されたものである。が、発言者の立ち位置や「暴力」という語感から誤解を招くことも有り得るため、特に学術的でない場で用いる際には、注意が必要である。また、2010年12月3日の閣議で菅内閣は、「憲法の下で認められた、自衛のための実力組織である自衛隊を表現する言葉としては不適切だ」との内容を含む答弁書を決定した。
出典:wikipedia
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