ビジャ・バビエラ(スペイン語:Villa Baviera)とはチリ共和国マウレ州リナレス県にあるドイツ系移民を中心とした集落。パラル市街地から35キロメートル南東、北岸とチリ中心部から離れた地域にある。かつてはコロニア・ディグニダ(スペイン語:Colonia Dignidad、尊厳のコロニー、尊厳の居留区とも)として知られた。1961年に元ナチス党員パウル・シェーファー率いるドイツ人移民のグループが設立。コロニーのフルネームは尊厳慈善および教育協会(Sociedad Benefactora y Educacional Dignidad、英語:Dignity Charitable and Educational Society)で、移民自体はこれに先駆けること1950年代半ばから始まった。2002年の国勢調査によると、同地の人口は198人。最大で300人程度のドイツ人およびチリ人が137平方キロメートルの土地に居住していた。コロニーの主たる経済活動は農業であったが、学校や無料の病院、2本の滑走路の他レストランや発電所さえ存在した。ただ、コロニーは秘密主義を貫き、有刺鉄線のフェンスや探照灯、望楼で囲まれ、戦車を含む兵器を隠し持っていたという。一般的にはカルトあるいは「無害な変わり者」の集団と評されていたが、近年に入りコロニーの不穏な歴史に関する事実が白日の下に晒されつつある。米中央情報局(CIA)並びにサイモン・ヴィーゼンタールは、かつてアウシュヴィッツ強制収容所にて様々な人体実験を行い「死の天使」として恐れられた医師ヨーゼフ・メンゲレがコロニー内にいたことを明らかにした。アウグスト・ピノチェトの以後、コロニア・ディグニダは拷問施設として用いられた。1991年、チリ真実と和解委員会は秘密警察である(DINA)に捕まった少なからぬ人々がコロニア・ディグニダへ連行され、そのうち幾人かは拷問を受け、秘密警察のエージェント以外にもこうした行為に加担した住人がいた」と結論付けた。コロニーからの離脱者の中には、パウル・シェーファーが絶対的権力を握るカルトと表現する者がおり、住民は決してコロニーを離れることが許されず、性により厳格に区別されたと主張する。テレビや電話、カレンダーは禁じられ、住民はバイエルンの農民の服を身に纏い、ドイツの民謡を歌いながら働いていた。セックスも禁じられ、性欲を抑える薬の服用を強要された住民もいた。専ら女児(時には男性にも)に対し鎮静作用のある薬が投与された。殴打や拷問といった形での躾は日常的に行われた。コロニア・ディグニダの創設者かつ初代指導者(「永遠のおじさん」)であったパウル・シェーファーは、第二次世界大戦後にチリへ逃れた元空軍衛生兵であった。シェーファーは2人の男児に対する性的虐待に関する告発を受けた後、1961年に西ドイツを離れた。1997年5月20日にはチリへ逃亡し、コロニーの児童26人に対する性的虐待の告発を捜査していた当局に追われる身となる。2005年3月アルゼンチンで逮捕、チリへ身柄を引き渡された(なお、シェーファーはロシア出身のユダヤ系アメリカ人数学者が1985年に失踪した件でも指名手配中であった)。シェーファーはその後懲役20年の刑に服していたが、2010年4月24日、心臓病のためサンティアゴの国立刑務所で死去。。副司令官のハルトムート・ホップ博士(Hartmut Hopp)を含むコロニア・ディグニダッドの22人のメンバーも児童への性的虐待を幇助していたことが発覚した。2005年6月から7月にかけて、チリ警察はコロニー内部あるいは付近に兵器の隠し場所2か所を発見した。コロニー内部にあった1つ目の隠し場所には機関銃や自動小銃、ロケット砲の他大量の弾薬が入った3つのコンテナを含み、中には40年前に製造されたものもあった。地下からは戦車すら見つかった。この隠し場所は、これまでチリの民間所有で発見されたものとしては最大の兵器庫と言われる。コロニーが運営していたレストランの外にあった2つ目の隠し場所には、ロケット砲や手榴弾が発見された。2005年1月、当時アメリカ合衆国で証人保護プログラムの下暮らしていた元CIA局員は、インターポールチリ支部の職員に対し、DINAとコロニア・ディグニダとの間の関係を認めた。また、タウンリーはコロニア・ディグニダおよび陸軍生物兵器研究所についての情報も明かした。同研究所はタウンリーが勤務していたDINAの研究所を前身としており、前述の2研究所に関してコロニア・ディグニダで政治犯へ人体実験を行っていた証拠も提示した。2005年現在も同地にコロニーが存在するものの、その実態は以前と異なると現在の指導者らは主張する。現在の指導者はペーター・ミュラーであるが、ミュラーはコロニーの近代化に努め、住民に大学へ学びに離れることを許し、コロニーをツーリズムに開放している。2005年8月26日、チリ当局が元指導者らへの捜査の一環として資産を管理するためコロニーに入った。なおコミュニティの管理は国の任命した弁護士が行っていた。2006年4月にはコロニーの元メンバーが、40年にわたる児童への性的虐待やその他人権侵害について正式に謝罪、赦しを乞うた。チリの大手新聞エル・メルクリオに掲載された1ページ大の書簡において、元メンバーはパウル・シェーファーが彼らの心身を支配し、彼らの子供たちを虐待していたと述べた。
出典:wikipedia
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