シュパイアー(標準, アレマン語:Spayre)は、ドイツ中南部の都市。ラインラント=プファルツ州南東部に属する。街の人口は約5万人(2003年)である。ローマ帝国時代に建設された。かつては舞台ドイツ語の発音に基づいてシュパイエルと呼ばれた。シュパイヤーの表記も用いられる。フランケン地域のライン川の左岸に位置している。近隣の都市としては、約15キロ北東にハイデルベルク、20キロ北にマンハイム、35キロ南にカールスルーエが位置している。また、アレマン人の定住地域が南部付近にあった。住民構成は高地ドイツ語のうち上部ドイツ語に属する南フランケン語(上部フランケン語)を使用するフランケン人が大部分を占める。4世紀には司教座が置かれていた。1030年には、当時の神聖ローマ皇帝であるコンラート2世によって、シュパイアー大聖堂(シュパイエル大聖堂)の建設が始められた。ザーリアー朝の中心都市であった。13世紀末、神聖ローマ帝国内の自由都市となった。宗教改革に際しては、1526年にこの地で帝国議会が開催された(第1回シュパイアー帝国議会)。結論はルター派に有利なもので、事実上各領邦に宗派の選択権を認めていた。ここに領邦教会体制の起源をみることもできる。しかし、1529年に開かれた第2回シュパイアー帝国議会では、こうした諸権利が再び否定され、新教派諸侯の猛抗議を招いた。これがプロテスタントという語の起源とされる。1688年から1689年にかけて起こったプファルツ継承戦争で、街はほぼ完全に破壊された。街の復興は1698年頃から始まった。フランス革命からナポレオン戦争の時期は、フランスの支配下に置かれた。19世紀前半、バイエルン王国の支配下に入った。第二次世界大戦後、ラインラント=プファルツ州の一部となり現在へと至る。シュパイアー大聖堂は、ロマネスク建築の代表的な聖堂である。建設を始めた皇帝コンラート2世らが埋葬されている。また、ユネスコの世界遺産に登録されている。行政専門の大学院であるシュパイアー行政大学院の所在地でもある。
出典:wikipedia
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