LINEスタンプ制作代行サービス・LINEスタンプの作り方!

お電話でのお問い合わせ:03-6869-8600

stampfactory大百科事典

藤原継業

藤原 継業(ふじわら の つぐなり、宝亀10年(779年) - 承和9年7月5日(842年8月14日))は、平安時代初期の公卿。名は嗣業または緒業とも表記する。藤原式家、参議・藤原百川の三男。母は伊勢大津の娘。淳和天皇の外叔父。官位は従三位・伊予権守。父・百川は光仁・桓武両天皇を皇嗣に擁立した功臣であったことから、兄・藤原緒嗣とともに桓武天皇に信任されて順調に昇進する。延暦19年(800年)内舎人より抜擢され従五位下・侍従に叙任、延暦23年(804年)には正五位上に昇叙されている。またこの間、大学頭・左兵衛佐を歴任するとともに、常陸介・信濃介・信濃守などの地方官も兼官した。大同元年(806年)4月には兄・緒嗣とともに、桓武天皇より賜与された200戸の封戸を朝廷に返上しようとしたが、この封戸は桓武天皇が特別に賞して賜与したものであるとして、皇太子・安殿親王(のち平城天皇)は返上を許可しなかった。平城朝においては、兵部大輔・左京大夫・大和守を歴任し、大同3年(808年)従四位下に叙せられる。嵯峨朝では大同5年(810年)従四位上に叙せられたのち、近江守・兵部大輔・神祇伯・伊予権守を歴任する。しかし、伊予権守の任を終えて帰京後は朝廷への出仕をしなかった。弘仁14年(823年)淳和天皇が即位するとその外戚として正四位下に、天長3年(826年)には従三位に昇叙され公卿に列す。その後も官職に就くことはなく、承和9年(842年)高橋里の邸宅で没した。最終官位は散位従三位。性格は素直で、容姿や身のこなしが優れていた。また、射を好み、琴歌も得意としていた。晩年は邸宅について顧みることがなく、門戸を修理することもなかったという。

出典:wikipedia

LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。