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ボーイング707

ボーイング707(Boeing 707)は、アメリカのボーイング社が開発した大型ジェット旅客機。1950年代初頭に原型機の開発が開始され、1958年に路線就航した。ダグラス DC-8やコンベア880(CV880)と並び、第1世代ジェット旅客機を代表する機種であり、ボーイングの707シリーズの始まりでもある。派生形のボーイング720も開発された。707の原型機は367-80である。第二次世界大戦後に完成した爆撃機、B-47で大型ジェット機の基本型を確立したボーイングは、アメリカ空軍初の大型ジェット輸送機として採用される事を見込んで、1940年代後半から自社資金でジェット輸送機の開発に着手し、1954年に原型機367-80(ダッシュ80)を初飛行させた。パイオニアにつきものの初期トラブルを克服した後、東西冷戦下における急激なジェット戦闘機の普及に伴い当時需要が切迫していた空中給油機仕様のKC-135として先ず大量発注を受けた。ボーイングは、367-80を開発中の1952年4月に、367-80の胴体直径を6インチ(15cm)拡大した旅客型の707の開発を開始した。なおこれはボーイングとしてはプロペラ機である377以来の大型旅客機、かつ初めてのジェット旅客機の開発となったが、これは航空会社からの発注も受けていないいわば見切り発車であった。しかし、ファン・トリップ率いるパンアメリカン航空は、即座に20機を正式発注した。パンアメリカン航空はイギリスのデ・ハビランド・DH.106 コメット Mk.1を発注していたものの、コメット連続墜落事故を受けて生産が中止していたために代替機となるジェット旅客機の早期導入を希望していたのであった。また、初期のコメット(Mk.1/2/3)は航続距離が短く、乗客数もダグラスDC-6やDC-7C、ロッキード コンステレーション等の従来のプロペラ機と同等かそれ以下であったが、その一方で高速性のみならず快適性もジェット機はプロペラ機の比ではない事が明らかになり、航空会社からは、過渡的なターボプロップ機よりむしろ、本格的なジェット旅客機の登場が待たれるようになっていた。乗客数も巡航速度も標準的なプロペラ機の約2倍という、初期のコメットに比べ乗客数も巡航速度も大幅に多い707は、コメットMk.1 の事故調査で得られた教訓を採り入れ入念な安全対策が図られる傍ら、アドバイザーとして(多分に宣伝効果を狙って)チャールズ・リンドバーグを招聘し、初めから大西洋無着陸横断が可能な仕様で設計され、デビュー前から圧倒的な人気を誇り、パンアメリカン航空の正式発注を皮切りにアメリカン航空やエールフランス、ヴァリグ・ブラジル航空など世界各国の航空会社から多数の受注を受けた。またアメリカ政府に対する影響力を擁するボーイングが、FAAに対する政治力を発揮して、対策改良型コメット Mk.4 に対する耐空証明再発行を先延ばしし続けさせたとも言われており、その間に十分な開発期間が確保された。しかしながら最初に発注したパンアメリカン航空は、ボーイングが大型旅客機の開発経験が少ないこと、さらに直近に開発した大型旅客機の377が問題が多い機材であったこともあり、万が一開発に失敗した時の「保険」として、ライバルのダグラス DC-8も25機発注していた。その後は順調に開発が進み、デ・ハビランド DH.106 コメットMk.1 の初就航に遅れること6年、ソ連のツポレフTu-104の就航(1956年9月1日)に遅れること2年の1958年10月26日に、パンアメリカン航空のニューヨーク(アイドルワイルド国際空港)-パリ(オルリー空港)線に就航した。より小型で航続距離も少ないデ・ハビランド DH.106 コメットやTu-104には後れを取ったものの、ライバルのダグラスDC-8に先立つこと1年弱、コンベア880に先立つこと1年であった。デ・ハビランド DH.106 コメットやツポレフTu-104、シュド・カラベル等のヨーロッパ勢に先行された707だったが、その後の運用と競争では大きくリードした。1958年10月4日にコメット Mk.4 が大西洋路線にようやく再就航した時には、707の進空は間近の情勢であって、実際に世界の殆どの航空会社は、第1世代ジェット機の改良型であるコメットMk.4ではなく、707やDC-8などの第2世代ジェット機を選択した。パンアメリカン航空に次いでトランスワールド航空や英国海外航空、ノースウェスト航空などにも導入され、その多くが太平洋や大西洋横断路線、アメリカ大陸横断路線などの長距離かつ需要の大きい路線に投入され、その結果、1950年代に至るまでクイーン・メリーやユナイテッド・ステーツなどの豪華客船が大きなシェアを占めていた大西洋横断航路や、同じく貨客船(アメリカン・プレジデント・ライン、氷川丸、あるぜんちな丸等)が大きなシェアを占めていた太平洋横断定期航路は終止符を打たれることになった。707の就航当時に懸念された燃費も旺盛な旅客需要で相殺されることが分かり、さらに改良型が相次いで投入されたことで燃費も向上し、707は1970年に就航した大型長距離用機のボーイング747から中型短距離用機材のボーイング737に至る、ボーイングのジェット旅客機のラインナップの中核としてその後も順調に受注数を伸ばした。さらに派生機種で中・短距離向けのボーイング720が開発されたほか、機首構造はボーイング727やボーイング737型機にも流用された。なお長胴型が相次いで開発されたダグラスDC-8とは異なり、主脚が短いことやより大型のボーイング747が存在したことから長胴型は開発されなかった。1991年に生産終了(民間型はボーイング767型機の生産本格化に伴い1982年に生産終了)されるまでの33年間に、軍用型を含めると1,010機が製造される当時のベストセラー機となった。大型ジェット旅客機の処女作にしてベストセラーになった707は、それまで旅客機分野における存在感が希薄であったボーイングを、世界のジェット旅客機販売における半分以上のシェアを占めるまでに成長させる原動力となった。1980年代後半頃より、老朽化や欧米や日本などの先進諸国を中心とした騒音規制の強化の影響を受けて多くが引退した。しかし使い勝手の良いサイズや信頼性の高さから、エンジンや航法装置を中心とした幾度かの近代化改修を経て、初号機の就航から50年以上を経過した現在も数十機が貨物型やプライベートジェット仕様に改装され利用されている。エンジンを高バイパス比、低騒音型のCFM56に換装する計画は試作のみに終わり実現しなかったが、これは同系列の軍用機であるE-3やKC-135などに採り入れられた。他にはアメリカ空軍やブラジル空軍、イラン空軍を始めとする世界中の空軍、政府で軍用型や軍用型への改修機が使用されている。これら軍用型にはエンジンを低騒音対策型に換装したアップデート版も含まれる。最初に作られ、パンアメリカン航空に納入された707が、プラット・アンド・ホイットニー(P&W)のターボジェットエンジン「JT3C」型を搭載した-120である。当初、707では操舵に油圧式ではなく人力による操縦装置を採用していた。既にボーイングではB-47型爆撃機において油圧式の操縦装置を採用しており、技術的には後退ともみられるが、油圧式の採用は安全性を確保するために装置の二重化や三重化などが必要となることから、旅客機という商品においては人力式のほうが保守性・信頼性とも優れており、コスト的にも有利と考えられたからである。しかし、実際に航空会社への引渡しが開始されると、操縦訓練での事故が多発した。片側のエンジンが2つ停止した状態では、必要な操舵力を人力では賄えなかったのである。また、垂直尾翼の大きさが不足気味で、ダッチロール(尻を振るような横揺れ現象)が発生する事象も指摘された。垂直尾翼と方向舵の面積を拡大することで改善可能であったが、そのようにすると人力操舵では舵効き不足がさらに顕著になる。その後、これらの欠点は油圧式操縦装置の採用と垂直尾翼・方向舵の面積拡大により改良され、その知識は後の-320の設計時でも活かされた。燃費が悪く航続距離が短かったため、大西洋横断飛行を行う場合はアイルランドのシャノンやカナダのガンダー、グースベイなどに給油のため1、2回着陸せねばならず、せっかくのスピードを存分に生かすことができなかった。変種として、当時から長距離路線を多く運航していたオーストラリアのカンタス航空の要望により、航続距離延長を目的に胴体を短縮したタイプ「-138」がある。後にエンジンをJT3Dターボファンエンジンに換装され、他社に転籍した後も1980年代初頭まで活躍した。-120の機体に「JT3C」型エンジンのパワーアップ版の「JT4A」型を搭載したのが-220である。燃費効率が悪く航空会社からの評判が悪かったため、わずか5機がブラニフ航空に納入されたにとどまった。-220の胴体と翼を延長し搭載量を増した発展型で、燃料搭載量が増加し航続距離が延びたことを誇示するために「Intercontinental(インターコンチネンタル=大陸間飛行)」の愛称が付けられた。-320にP&W製のターボファンエンジン「JT3D-3B」型を搭載したのが-320Bである。ターボファン化により燃費が大幅に向上し航続距離が伸びたため、東京-モスクワ間ノンストップ飛行や、偏西風などの天候条件が揃い搭載量の制限を行えば太平洋無着陸飛行も可能になった。旅客型が-320B、貨客混載型(純貨物型も)が-320Cである。後に、より強力なJT3D-7を搭載するタイプも登場した。-320型をベースに、イギリス製のターボファンエンジン、ロールス・ロイス・コンウェイ「Mk.508」型を搭載したのが-420である。コメット4に代わる長距離用機材として開発されていたものの、開発が遅延していたイギリス製のビッカース VC-10やコメットの代替機を欲していた英国海外航空(現在のブリティッシュ・エアウェイズ)の依頼によって開発され、主に英国海外航空やブリティッシュ・カレドニアン航空などイギリスとイギリス連邦諸国の航空会社で使用された。なお、英国海外航空では、イギリス製のロールス・ロイスエンジンであることを誇示するために、広告などにおいて、「ボーイング707」ではなく、「ロールス・ロイス707」と表記されていた。当時まだターボプロップ機やレシプロ機が主流を占めていた短中距離用への就航を狙って開発されたバージョンで、-120の胴体を2.54m縮め、少なくなったペイロードと燃料搭載量に対応して軽量化したものである。主翼前縁内側の形状を変更して、空力も改善されている。後に「JT3D」型エンジンに換装されたB720Bも登場した。同様のコンセプトで開発されたコンベアのCV-880や同CV-990などと競合し、イースタン航空、ウエスタン航空などに導入されたが、まもなく同規模のキャパシティを持つ727やダグラス DC-9等の本格的な短中距離向けジェット機が開発されたため、少数の生産で終わった。アジアでは大韓航空が使用し、日本路線にも投入された。アメリカ空軍の軍用機として下記のような機体が製作された。他にもイスラエル空軍やオーストラリア空軍、イラン空軍(イラン革命前に購入)やブラジル空軍など、世界中の空軍や政府で使用されている。よく混同されるがKC-135とC-135は707の原型機である367-80をベースにしており、胴体の直径もやや小さいなど、厳密には707とは別の機種である。中華人民共和国の上海航空機製造会社が、中国民航(CAAC)にあった707を無断で分解調査し、デッドコピーした模造機Y-10「上海」を1970年代に製作(エンジンは707のスペアを使用)した。2機(うち1機は構造試験機)が製造され飛行にも成功したが、これまでに先進国のコピー機しか製造したことがない技術力不足が顕わになっただけで、量産には至らなかった。日本航空は国際線用のジェット旅客機としてダグラス DC-8を選択したため、ボーイング707を導入しなかったが、日本にはパンアメリカン航空など、多くの日本国外の航空会社が日本路線にボーイング707を就航させ、1990年代まで定期就航していた。また、東京オリンピック開催時には、多くのボーイング707が特別機として乗り入れたほか、現在に至るまで多くの機材が政府専用機として乗り入れている。なお、エールフランスが日本航空とともに東京国際空港 - オルリー空港(パリ)間に共同運航便を運航していたことから、1960年代前半に、エールフランスのボーイング707に日本航空のロゴを入れ、客室乗務員を乗務させ同路線を運航していた。

出典:wikipedia

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