ラ・マシア・デ・カン・プラネス(La Masia de Can Planes カタルーニャ語発音:ラ・マジーア・ダ・カン・プラーナス)またはラ・マシア(La Masia、 ラ・マジーアは、スペイン・バルセロナのレス・コルツ地区にあるFCバルセロナの旧選手寮であり、FCバルセロナの下部組織の総称でもある。La Masiaという言葉は「カタルーニャ地方の農家」を意味し、練習場の名称としても使用される。この選手寮はFCバルセロナのホームスタジアムであるカンプ・ノウに隣接して建っている。この項では建物としてのラ・マシアをラ・マシア寮と呼び、下部組織としてのラ・マシアを単にラ・マシアと呼んで区別する。ラ・マシア寮の建物は田舎風の住宅として1702年に建てられたが、1957年のカンプ・ノウの落成式の際に建て替えられ、クラブの本部を置くために拡張された。クラブの規模が徐々に拡大されるにつれて、クラブの本部としては手狭になり、1979年10月20日に下部組織の若い選手が生活するための選手寮に変えられた。開所から30年で500人以上の選手がラ・マシアに在籍したが、その半数はカタルーニャ州出身であり、残りの半数はスペインのその他の地域出身である。スペイン国外出身選手もおり、15人はカメルーン出身、7人はブラジル出身、5人はセネガル出身、3人はアルゼンチン出身である。在籍した500人のうち約10%がトップチームに昇格を果たしている。世界で最も優れた下部組織のひとつとして称賛されており、2010年のFIFAバロンドール投票では最終候補の3人(MFシャビ、MFアンドレス・イニエスタ、FWリオネル・メッシ)をすべてラ・マシア出身選手で占めるという偉業を成し遂げた。2011年6月30日をもって閉鎖され、32年間の歴史に幕を閉じた。現在ラ・マシア寮として使われている建物は1702年に田舎風住宅として建てられ、1954年にFCバルセロナによって買い取られた。当初は作業場として使われていたが、カンプ・ノウが1957年9月24日に落成し、ラ・マシアは閉鎖された。FCバルセロナのエンリク・リャウデット会長時代に拡張改築され、1966年9月26日にクラブ事務所として使用が再開された。クラブの規模が大きくなるにつれて増えた職員を抱えきれなくなり、1979年にホセ・ルイス・ヌニェス会長によってバルセロナ市外出身選手のための選手寮に建て替えられ、オリオル・トルトが管理人に任命された。下部組織寮を建築するというアイデアはAFCアヤックスの下部組織を理想とするヨハン・クライフによってもたらされたものだった。ラ・マシア寮の最初の卒業生には1988年にトップチームデビューしたMFギジェルモ・アモールなどがおり、彼はトップチームでリーグ戦311試合に出場した。2年後にはGKカルレス・ブスケやMFジョゼップ・グアルディオラがトップチームに昇格した。この3名はトータル・フットボールの哲学を持っていたクライフ監督の下でトップチームデビューした。グアルディオラはクライフのチームの中で重要な役割を果たし、ラ・マシアに在籍していたMFシャビ、MFアンドレス・イニエスタ、MFセスク・ファブレガスなどに大きな影響を与えた。3シーズンの間グアルディオラの代役を務めたシャビは「彼の代役としての強い期待とプレッシャーを感じ、他クラブへの移籍を考えたこともあった」と述べた。2007年5月にFCバルセロナBがテルセーラ・ディビシオン(4部)に降格したため、FCバルセロナCは消滅している。混乱のさなかにあったFCバルセロナBの監督にグアルディオラが就任すると、彼はチームの改革に着手し、チーム強化のために21歳を超える選手のFCバルセロナB在籍も可能にした。選手たちを若手で構成される"pearls"(真珠)とより成熟した選手で構成される"backbone"(背骨)に分け、21歳から26歳の選手で構成される"backbone"の選手たちには最大で2年間の猶予を与えて成長を見守った。チーム改革後、グアルディオラはより良い練習施設の必要性をジョアン・ラポルタ会長に訴え、下部組織の練習は広大な敷地を持つシウター・エスポルティーバ・ジョアン・ガンペールに移った。FCバルセロナBは2007-08シーズン終了時にセグンダ・ディビシオンB(3部)昇格を果たし、2009-10シーズン終了時にセグンダ・ディビシオン(2部)昇格を果たした。2010-11シーズンにセグンダ・ディビシオンに在籍したリザーブチームはビジャレアルCF B(ビジャレアルCFのBチーム)とFCバルセロナBだけであった。下部組織出身者を多数擁してのFCバルセロナBの躍進はラ・マシアの名声をさらに高め、デイリー・テレグラフ紙は「ラ・マシアは優れた下部組織として名高いAFCアヤックスの下部組織に取って代わる存在である」と伝えた。才能の宝庫としてのラ・マシアの成功と名声は、セスク・ファブレガス、FWリオネル・メッシ、DFジェラール・ピケ、FWペドロ・ロドリゲスらの1987年生組に象徴される。2000年にはトップチームのルイス・ファン・ハール監督が11人ものラ・マシア出身選手をトップチームに加え、スター性に欠けるチームだとして人々に嘲笑されたが、2008-09シーズンには8人のラ・マシア出身選手を擁してUEFAチャンピオンズリーグ優勝を果たした。2009年にはメッシがラ・マシア出身選手として初めてバロンドールとFIFA最優秀選手賞を受賞し、同じくラ・マシアの卒業生であるシャビとイニエスタがトップ5にランクインした。2010年にはスペイン代表が2010 FIFAワールドカップで優勝を果たしたが、このうちの8人はFCバルセロナ出身であり、7人がラ・マシア出身選手であった。スペイン代表のスタメンにはピケ、カルレス・プジョル、イニエスタ、シャビ、セルヒオ・ブスケ、ペドロの6人が名を連ね、FIFAワールドカップ決勝における単一クラブからの最多人数記録を更新した。ロイターはスペイン代表のFIFAワールドカップでの成功にラ・マシアの存在が大きく影響しており、その他の要因としては経済の発展と幸運が挙げられることを示した。ドイツ代表のヨアヒム・レーヴ監督はFIFAワールドカップ決勝後に「スペイン代表のパスを中心としたプレースタイルはFCバルセロナのそれとそっくりだ。どうやっても彼らには勝てない。ボール回しの際には強い自信と冷静さを兼ね備えている」と述べ、両者に通じる部分があることを指し示した。2010年のFIFAバロンドール投票の最終候補3人(シャビ、イニエスタ、メッシ)はすべてラ・マシア出身者で占められたが、同賞の最終候補3人が同一チームの選手で占められた例は過去に2度しかなく、3人すべてが同一チームの下部組織出身者なのは史上初の快挙だった。2011年6月30日にラ・マシアは閉鎖され、選手寮としての役割を終えた。ラ・マシアに代わり、オリオル・トルト育成センターが新たな選手寮となった。ラ・マシア寮は70人以上を収容することができ、約60人の選手が暮らしている。そのうちの50人ほどはスタジアムに隣接した主棟で暮らしており、残りの10人ほどはカンプ・ノウの中にある別棟で暮らしている。13歳以上の選手のうち、ラ・マシア寮で生活する選手は40%ほどであり、それ以外の選手は自宅などで暮らしている。ラ・マシア寮に入ることができるのは13歳以上と定められており、ラ・マシアの12歳以下の選手はカタルーニャ州出身者であるか、家族とともに移住してきたスペイン国外出身選手である。ラ・マシアはヨーロッパでもっとも贅沢な下部組織のひとつであり、ラ・マシア寮の運営などに年間500万ユーロの費用がかけられている。下部組織の最年少者は6歳であり、毎年1000人以上の6歳から8歳の選手が入学試験を受け、そのうちの上位約200人の選手が入学を許される。トレーニングウェア、スパイク、タオルなどはクラブから支給され、私立学校の学費もクラブが負担する。多くのスカウトが有望株の発掘に努めており、カタルーニャ州に15人、残りのスペイン全土に15人、海外に10人のスカウトが配置されている。スカウティングにかかる費用を軽減するために地元の15クラブと契約しており、有望選手を定期的に下部組織の練習に呼び寄せている。その見返りとして地元クラブに金銭的な援助をし、指導法や技術アドバイスなども与えている。海外の有望選手を発掘するために、メキシコとエジプトに計6つのサッカースクールを設立し、専用の学校も建設して学校教育と練習を行っている。ラ・マシアのFCバルセロナB以下の12のカテゴリーには300人以上の選手が在籍しており、20人以上のコーチ(いずれも元プロサッカー選手)が指導に当たっている。コーチ以外にも医師、カウンセラー、栄養士、料理人、理学療法士など50人以上の専門職員が働いている。FCバルセロナBはトップチームと同じ4-3-3フォーメーションを採用している。プロチームであるFCバルセロナBは午前と午後に練習し、フベニールA以下のカテゴリーは学校での勉強を終えた夕方以降に練習する。基本的にはカデッテAまでは飛び級でプレーすることはなく、同年齢の選手たちとプレーする。かつてテクニカル・ディレクターを務めていたペップ・セグーラは成功の秘訣を「プレーの哲学」だと表現し、「クラブの頂点から底辺までひとつの哲学だけがあり、ひとつのメンタリティだけがある」と述べた。この哲学はヨハン・クライフを擁したオランダ代表が具現化させたトータル・フットボールとスペインの伝統的なプレースタイルであるワンタッチプレー(ティキ・タカ)を組み合わせて形成されている。ラ・マシアでは選手のテクニックに焦点が当てられ、細かなパス交換能力が必要不可欠とされている。しばしば持ち出されるFCバルセロナの成功理由のひとつに、パス&ムーブの哲学の継続と傾倒がある。グアルディオラは中盤の深い位置からゲームメイクを行う選手(いわゆる「4番」の選手)の先駆けであり、シャビやイニエスタがその後継者である。トップチームでは中盤の前目の位置で起用されるシャビやイニエスタであっても、ラ・マシアでは中盤の底の位置で起用されることが多かった。またボールだけでなく選手たち自身も流動的に動きまわることで、ポジションに縛られない自由なプレーが心がけられている。欧州サッカー連盟のミシェル・プラティニ会長は「FCバルセロナは、試合に勝ちさえすればよいわけではないという私の哲学を象徴している」と述べてFCバルセロナのスタイルを称賛した。また2010年のFIFAバロンドールでは受賞したリオネル・メッシをはじめシャビ、イニエスタと最終候補3人をラ・マシア出身者で独占したが、シャビはこのことを「カンテラと、クラブの哲学の勝利」と表現した。FCバルセロナのトップチームを含む各国トップリーグでリーグ戦50試合以上に出場したラ・マシア出身選手のリストである。すべての選手の情報はリーガ・エスパニョーラの公式ウェブサイトによる。
出典:wikipedia
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