ドローニング・モード・ランド ()は、南極にある地域の名称。英語名でクイーン・モード・ランド()とも記される。東経44度38分から西経20度にかけての範囲で、ノルウェーによって領有が主張されている。この地名はノルウェーのモード王妃を記念して名付けられたものである。各国の南極観測基地が置かれており、昭和基地やみずほ基地など日本の基地もこの領域にある。本項ではノルウェーの南極探検年表を付す。面積はおよそ250万平方kmにおよぶ広大な南極氷床である。東経44度38分にある末端と、西経20度にある末端をその境界とする。当初、ロアール・アムンセンによって「ドローニング・モード・ランド」と名付けられた地域は東経37度から東経50度の範囲であったが、1939年にノルウェーが「ドローニング・モード・ランド」の名の下に領有を主張した地域は西経20度から東経44度38分にかけての範囲となっており、範囲が大きく広がるとともに東端が西へ移動している。西経20度より西はコーツランド(イギリスが主張するイギリス領南極地域の一部)、東経44度38分より東はエンダービーランド(オーストラリアが主張するオーストラリア南極領土の一部)と呼ばれる。ドローニング・モード・ランドの海岸地帯は5つの地域に分けられている。それぞれの地域は内陸のどの範囲まで広がっているかは定まっていないが、南極点までの扇形の範囲にまで延長する可能性はある。西から順に次のようになる。この領域は1939年1月14日にノルウェーによって領有が主張されており、同国はここを自国の「属領」とみなしている。ノルウェーは南極地域ではこの他に、南極半島近傍のピョートル1世島についても領有権を主張している。ノルウェーは、イギリス、オーストラリア、ニュージーランド、フランスと、それぞれの主張する地域を重ならないように調整したうえで相互に領有権を承認しているものの、その他の国々には同国の主張は認められていない。また、ノルウェーも締約している南極条約によって、南極地域における領土主権、請求権は凍結されている。他国の南極領土が南極点を頂点とし南緯60度線などを外周とする扇型であるのに対し、ノルウェーは公式には南限と北限を定めていない。これが、南極に対する領土権主張を図にしたときにノルウェー領部分だけ形が異なる理由である。この地域を最初に訪れたのは、1930年に南極の地図作成のために一帯を探検した飛行家・極地探検家のヒャルマー・リーセル=ラルセン(Hjalmar Riiser-Larsen)だった。ロアール・アムンセンはこれ以前にノルウェーのモード王妃を記念して、東経37度から東経50度までの範囲にドローニング・モード・ランドと名付けており、さらに南極点を取り巻く高原地帯に、ノルウェー王ホーコン7世を記念してホーコン7世高原と名付けていた。リーセル=ラルセンの飛行と探検により判明した海岸線はドローニング・モード・ランドに組み込まれ、後にノルウェーが領有を宣言することになった。ノルウェーのドローニング・モード・ランドに対する主張は、オーストラリア、フランス、ニュージーランド、イギリスが承認した時期がある 。一方、ノルウェーの領有宣言の直後、ドローニング・モード・ランドの一部をノイシュヴァーベンラント(ニュー・スウェイビア)と名付けて領有を模索していたナチス・ドイツが反発し、直後にドイツも南極領土を主張するに至った。第二次世界大戦中はドイツ軍の船がこの海域に出没しノルウェーの捕鯨船を拿捕するなどしている。ノルウェーは恒久基地であるトロール基地(Troll research station、72°00′43.5″S 2°31′56″E)、および夏季のみの基地であるトール基地(Tor research station、71°53′20″S 05°09′30″E)の二つの南極観測基地を所有しており、いずれもドローニング・モード・ランドにある。ドローニング・モード・ランドにはノルウェー以外にも、南アフリカ、ロシア、日本(昭和基地、みずほ基地、ドームふじ基地、あすか基地)、ドイツ、ベルギー、スウェーデン、フィンランド、インドの基地がある。Alpinist Magazine Climbing Notes-First Ascents in Queen Maud Land
出典:wikipedia
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