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七宝焼き

七宝焼(しっぽうやき)とは金属工芸の一種で伝統工芸技法のひとつ。金、銀、銅、鉄、青銅などの金属製の下地の上に釉薬(ゆうやく:クリスタル、鉱物質の微粉末を水とフノリでペースト状にしたもの)を乗せたものを摂氏800度前後の高温で焼成することによって、融けた釉薬によるガラス様あるいはエナメル様の美しい彩色を施すもの。日本国内では、鉄に釉薬を施したものを、主に琺瑯(ほうろう)と呼ぶ。中国では琺瑯(ほうろう/読み:ファーラン)という。英語では、enamel(エナメル)という。七宝焼の名称の由来には、宝石を材料にして作られるためという説と、桃山時代前後に法華経の七宝ほどに美しい焼き物であるとしてつけられたという説がある。紀元前の中近東で技法が生まれ、シルクロードを通って、中国に伝わり、さらに日本にも伝わったというのが通説である。日本においては明治時代の一時期に爆発的に技術が発展し欧米に盛んに輸出された。特に京都の並河靖之、東京の濤川惣助、尾張の七宝家らの作品が非常に高い評価を得て高額で取引されたが、社会情勢の変化により急速にその技術は失われた。ブローチやペンダントなどの比較的小さな装身具から巨大な壺まで、さまざまな作品が作られる。大きなものには専用の窯が必要になるが、小さなものなら家庭用の電気炉や、電子レンジを用いたマイクロウェーブキルンでも作成できるため、現在では趣味として楽しむ人も多い。 壺、香炉、鍔、印籠、額、皿、 菊花章、桐花章、旭日章、瑞宝章、文化勲章、宝冠章、 ブローチ、ペンダント、イヤリング、ネックレス、指輪、チョーカー、ループタイ、カフス、タイピン、帯留め、バッジ、、 家具、取手、燭台、額、釘隠し、、 屋内/屋外壁材、タイル材、看板、表札、、 シャンデリア、スタンド、屋外照明、ペンダント照明、、 時計、宗教器具(ロザリオ)、玉座、自動車装飾(カーエンブレム)、電子機器装飾(エンブレム、マウス)、、日本最古のものは奈良県明日香村の牽牛子塚古墳より出土した「七宝亀甲形座金具」であり、奈良時代には正倉院宝物の「黄金瑠璃鈿背十二稜鏡」(おうごんるりでんはいじゅうにりょうきょう)、平安時代には平等院鳳凰堂の扉の七宝鐶(かん)がある。その後、室町時代になると多くの七宝に関する記録が残っており、桃山時代頃に七宝が日本で作られるようになったと推定される。桃山末期から江戸時代初めには、小堀遠州により登用された嘉長が桂離宮、曼殊院、修学院離宮や大徳寺の襖の引手や釘隠しを泥七宝で製作して京七宝を発展させた。嘉長は伊予(現在の愛媛県)松山の生まれの金工で、京都の堀川油小路に住んでいたと伝えられている。次に、京都の金工師、平田彦四朗道仁(どうにん)(1591-1646)が「花雲文七宝鐔」(つば)に代表される作品を残している平田一派は江戸時代に幕府御抱え七宝師となり江戸で平田七宝として刀剣などの装飾を行った。平田派は1895(明治二十八)年に政府賞勲局の御用達として勲賞の製作に従事した11代目就之まで続いた。江戸中期には京都で高槻七宝が7代続き、同じく京都の吉田屋がこの頃から明治時代まで七宝の製作を続けることになる。また、加賀七宝や近江七宝など京都以外でも独自の七宝が製作された。幕末天保(1830-44)のころには尾張の梶常吉(カジツネキチ)(1803-83)が活躍、七宝焼と呼ばれる。そして、その弟子の塚本貝助(1828-97)や、無線七宝を考案し日本画の画面を七宝で再現した東京の濤川惣助(1847-1910)、有線七宝で日本画の筆致を生かした繊細な七宝を製作した京都の並河靖之(1845-1927)などが、明治初年来日したドイツ人学者のワグネル(1830-92)が開発した透明釉薬の技術を取り入れ七宝の技術は飛躍的に発展した。そして、名古屋の安藤七宝の創始者である安藤重兵衛(1876-1953)や京都の錦雲軒稲葉の創始者である初代稲葉七穂(1851 - 1931)らにより盛況を呈した。西洋の七宝は紀元前から存在することが知られており、シャンルヴェの技法はケルト人の遺品に見られる。その後、東ローマ帝国でクロワゾネの技法が登場し、12世紀~15世紀ごろまでにはフランスのリモージュなどの産地でロンドボス、バスタイユといった様々な技法が見られるようになった。中国大陸では、元(1271~1368年)の時代頃から七宝技法が盛んになり、中国渡来の品が日本にも入ってくるようになった。特に、続く明の時代、景泰年間 (1450~1457) に作られた有線七宝は評価が高く、現在でも中国七宝を景泰藍と呼ぶ所以となっている。景泰藍は日本ではあまり例を見ない青銅を素地として用いていており、釉薬には日本の泥七宝に似た不透明な釉薬が用いられ、特に青(藍)の色が好まれた。また、青銅に施釉した釉薬が崩れ落ちないように細かな植線が全体にはり巡らされた。七宝の技法は釉薬や器胎の種類など材料の違いと、線付けの有無など製作方法の違いにより大別できる。 胎を鋳造や彫るなどにより凹ませた部分に七宝を施す技法。凹面に直接釉薬を入れる方法と凹面と同じ形の胎に七宝を施しはめ込む方法などがある。江戸中期頃までの作品はこの手法を用いたものが多く見られる古来の技法。凹面の内部に有線を施すものもあるが、全く植線をせず金属の凹みに直接釉薬を入れたものに関しては西洋のシャンルヴェの技法に近い技法である。 リボン状の薄い金属線で模様をつける技法。象嵌七宝よりも細かい図柄を表現できるが、植線の手間のかかる手法である。日本では、古くは桂離宮松琴亭(1620~1625に構築)の二の間戸袋の引手(銅製巻貝形を有線にして、不透明の白色や肌色釉を施したもの)に見られる技法である。有線七宝としては明治時代の並河靖之の作品の評価が高い。西洋のクロワゾネの技法の和訳と考えても差し支えないが、特に並河靖之の作に見られる植線技術は西洋のクロワゾネと比べても卓越した技である。 七宝釉の間に金属線の仕切りをつけない技法。本格的な無線七宝は濤川惣助が考案したものである。単に無線七宝とえば、特に「濤川惣助の作における無線七宝」を意味し、釉より低い高さの植線を行う『忍び針』、あるいは、焼く前に植線を抜き取る『抜き針』といった特殊な植線技法(有線七宝の一種と呼んでも差し支えない)なども駆使して、植線を見せない画を作り上げる技法の総称である。一方で、西洋のシャンルヴェのように植線の無い七宝という意味では日本でも江戸時代にも見られ、近年のフリット法(フリット釉を並べて焼き付けたもの)のようなものも無線の七宝の一種といえる。 鉄、銅、銀、金などの金属を胎として用いる通常の技法。 ガラスを胎として用いる技法。金属胎を基本とする七宝の定義から外れた技法。大正時代名古屋の恒川愛三郎(1879~1946)により発明されたが、当時は、わずかな試作品が作られただけであった。 陶器・磁器の表面に有線七宝あるいは無線七宝を併用して釉薬を施したもの。明治前期に盛んであったが、製作後時を経るに従い表面に亀裂を生じるため、しだいに行われなくなった。名古屋の吉田直重により発明されたと伝えられる。一時期は京都の京焼や清水焼の陶芸家らも手がけた。 胎の一部を切り透かしにして透明釉を施す、あるいは、銅胎の一部を切り透かしにして透明釉を施し、他の銅素地の部分には通常の七宝を施す技法。下地に彫金などを施すと、透けて、図案が浮き彫りされる。西洋のプリカジュールの技法の和名と考えて差し支えない。明治末期以降にはアールヌーヴォーなどの影響を受け、ルネ・ラリックに代表される宝飾作家が、当該技法を用いた宝飾品を製作した。日本の七宝家らも、この潮流に乗って透胎七宝や後述の省胎七宝を手がけており、ウォルターズ美術館には、濤川惣助の作といわれる銀製の透胎七宝が所蔵されている。 銅胎に銀線で模様をつけ七宝釉を焼き付けた後、素地を酸で腐食させて表面の七宝部分だけを残す技法。フランスで十二世紀から十三世紀にかけて、よく使われた技法である。日本では明治後期にフランス製品を手本に、名古屋の安藤重兵衛が川出柴太郎の協力のもとに完成させたという。日本では胎を溶かす技法を特に省胎七宝と呼び、透胎七宝と区別するが、このような技法の区別はヨーロッパやロシアではあまり見られない。 泥七宝独特の釉薬(多くは不透明の釉薬)を用いて焼いた平安時代ないし桃山末期から見られる古来の技法。透明な釉薬は西洋では東ローマ時代から見られるが、東洋では不透明な釉薬を用いたものが多い。それら、ワグネルにより透明釉薬が発達する以前の七宝器や釉薬を、総じて泥七宝と呼ぶ。あるいは、日本では古来にも平田七宝のように透明感のある作もあるため、それらを区別して、単に泥七宝と呼ぶにふさわしい濁りのある釉薬を用いた作を泥七宝と呼ぶ場合もある。また、初期の尾張七宝の釉薬のことを泥七宝と呼ぶ場合や、京都では鋳造器に七宝を入れたものを泥七宝と呼んでおり、その定義は定まっていない。 銀箔や金箔を金属素地の上にはって、七宝釉薬を焼き付けたもの。 金属胎七宝のひとつとも見られるが、七宝の大作などを制作するために、基板となる金属板を糸鋸で数十から数百のパーツに切断し、裏表に七宝釉を焼成した後、表面の図案に合わせ、元の形に貼り合わせる技法。以下では、主にヨーロッパのアンティーク・ジュエリーに見られるエナメルの技法について述べる。あらかじめ単色で焼き付けたエナメルを下地とし、その上に、筆を使ってさらにエナメル画を描き、焼き付ける技法。人物や植物を描いたミニアチュールが例として挙げられる。金などの立体像の表面全体に、エナメルを施す技法。ルネサンス期のジュエリーなどに多く例を見ることができる。エナメルの半透性を生かし、土台の金属に刻まれた彫刻模様(ギヨシェ)を見せる技法。金属に施された彫刻が主眼となるので、使用されるエナメルは単色。ピーター・カール・ファベルジェの作品に、この技法を使用したものが多い。土台の金属を彫りこんで、できたくぼみをエナメルで埋めて装飾する技法。初期の頃は、輪郭線の部分をライン状に彫りこんでいた。技術の発達につれて、逆に、面になる部分を彫りこんでエナメルで装飾し、彫り残した金属部分を輪郭線とするようになった。土台となる金属の上に、さらに金属線を貼り付けて輪郭線を描き、できた枠内をエナメルで埋めて装飾する技法。シャンルヴェよりさらに細かい表現が可能になる。日本の有線七宝はここに属する。薄い金属箔の上に、クロワゾネとほぼ同じ工程でエナメルを焼き付け、その後に薬品処理によって箔を取り除く技法。省胎七宝とも呼ばれる。金属枠のみによって支えられたエナメルは光を透過するので、ステンドグラスのような効果を得られる。アールヌーボー期のジュエリーに好んで使用された。美しいが非常に繊細で、衝撃に弱い。1997年の映画『タイタニック』に登場したヒロインの蝶の櫛には、この技法が使用されていると思われる。

出典:wikipedia

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