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幸福の科学

幸福の科学(こうふくのかがく、)は、日本発祥の宗教団体。世界100カ国以上に会員組織がある。世界通称として「"Happy Science"」を使用。関連団体に日本国外の宗教法人56の他、幸福の科学出版、幸福実現党、幸福の科学学園などがある。本尊は主エル・カンターレ。根本経典は『仏説・正心法語』。創始者・総裁である大川隆法の代表作『太陽の法』をはじめ、歴史上の人物や政治家、著名人などの霊言を含む多数の出版物による布教スタイルが特徴である。1991年ごろから実施された大規模な広告キャンペーンや写真週刊誌『フライデー』の記事に虚偽の内容があると主張して出版元の講談社などへ実施した抗議行動で広く知られるようになった。幸福の科学は、大川隆法が1986年10月6日に、設立した新宗教である。幸福の科学によれば、仏法真理の流布による人類幸福化を掲げている。発足以前の1985年から、イエス・キリストや孔子などの歴史上の偉人・宗教家などが大川隆法の口を通じて語ると主張し、(チャネリング)という内容の書籍(霊言集)を多数出版している。最初の「霊言集」である『日蓮の霊言』のなかで用いられている「幸福科学」という言葉は、1年後の1986年に団体の名称の基となった。その後1987年には『太陽の法』『黄金の法』『永遠の法』が出版された。桃山学院大学社会学部教授の沼田健哉は、書籍読者から数多くの信者が集まった、と述べ、また秋谷航平は、短期間で日本国内の全国組織ができあがった、と述べている。1991年3月6日に宗教法人となった。この1991年は、講談社フライデーへの抗議行動と共にマスコミで盛り上がったことも相まって、年末には「チャネリング」が流行語大賞にノミネートされ、特別部門特別賞を受賞した。1994年からは日本国外の法人設立と支部展開が行われる。1996年以降は会員制度の変更や運営方針の転換が行われた。2009年には、宗教政党の設立と、学校法人の設立が行われた。2007年ごろから、大川隆法の英語説法による海外講演会が世界各地で行われている。その後、ブラジル(2010年11月)、インド・ネパール(2011年3月)、フィリピン・香港(2011年5月)、マレーシア・シンガポール(2011年9月)、スリランカ(2011年11月)、ウガンダ(2012年6月)、シドニー(2012年10月)などで行われている。幸福の科学の発表では数千人数万人の規模だと報告している。幸福の科学によれば、インド・ネパールの講演では7紙のマスコミに紹介され、アフリカ・ウガンダの講演では、4紙のマスコミに紹介された、と報告している。現在のところ、大川の著作は30言語以上に翻訳され、世界各国で出版されている。1981年、東京大学法学部を卒業した大川隆法は、総合商社トーメン(現豊田通商)に在職の傍ら、上記「霊言集」などを出版しながら教団設立の準備をしていた。1986年7月15日に退社後、具体的な団体設立の計画に着手。10月6日に任意団体として教団を設立した。その設立直前から、根本経典『正心法語』や基本書という宗教理論書『太陽の法』など短期間に多数の執筆を行い、これを機に書籍出版活動を活発に行った。これらの書籍が書店を通して日本各地に流通し、また入会する会員が増え、組織の全国展開へとつながった。1988年5月には関西支部が開所し、日本各地に支部展開が始まる。1991年3月7日に宗教法人格を取得した。「幸福の科学」の英語名は 2008年2月までは The Institute for Research in Human Happiness であり、頭字語の "IRH" である略称を使用していた。ローマ字表記の Kofuku-no-Kagaku や Kōfuku-no-Kagaku 等も用いられる。2008年2月から、世界通称として英語による正式名称を "Happy Science" とした。これは、世界伝道において、解りやすい名称にしたとされている。宗教法人「幸福の科学」では、大川隆法が多数の法話で説いた「仏法真理」を教義とし、仏法真理の探究・学習・伝道を通じての「この世とあの世を貫く幸福」と地上ユートピアの建設を目指しているとする。修行の実践については、現代の四正道として「愛・知・反省・発展」を提唱している。人間は神の子・仏の子であることを自覚した上で他者へ愛を与え、真理を探求し、自分の心を見つめ直し、社会全体を向上させる心構えを持つことを現世の「魂修行」とする。また、世界観として多元宇宙論を展開し、三次元世界(この世)は根源神に近づくための「魂の修行の場所」とされている。これらの教義は伝統宗教とのつながりが弱く、先行する新宗教である生長の家とGLAの影響を強く受けている。宗教法人「幸福の科学」の本尊は、霊天上界に存在するとされる、至高神 エル・カンターレ("El Cantare")である。1986年10月の教団発足当時、寺社における寺務や社務所に相当する支部や本部を総括する「総合本部」は、東京都杉並区西荻南に事務所を設け設立した。1987年6月13日に杉並区松庵へ移転して一時的に「東京本部」とした後、1988年4月16日に西荻窪駅前のビル(右 写真1)杉並区西萩南へ移転して再び「総合本部」とした。その後、総合本部は、1989年12月20日に千代田区の紀尾井町ビル(右 写真2)4階に移転後、1996年4月1日には自己資産ビルとしての品川区平塚の総合本部ビル(右 写真3)に移転、1999年10月31日には現状の品川区東五反田の新総合本部ビルに移転している。また、1996年7月10日には、総本山・宇都宮正心館(後に「総本山・正心館」に改称)が竣工され、8月に開山した。1999年10月までの一時期、総合本部の一部の機能をこの宇都宮に移転したことがあった。教団組織は、総裁である大川隆法に代表される。組織の分類では、会内で婦人部の総称として位置づけられている「女性部」。「青年部」「学生部」「中堅部」「親子の会」その他に、壮年部的な位置づけにあたる「百歳まで生きる会」(1997年3月発足)などがある。地方本部、支部、拠点、布教所などが日本国内・世界各地にあり、「支部精舎」と呼ばれる施設も数多く建立されている。国内の支部および支部精舎の所在地は、公式ホームページ内の「お近くの幸福の科学」等で公表されている。研修・礼拝施設は「精舎」と呼ばれている。日本国内にある主な精舎は下記の通り。上記以外の研修施設の歴史としては、1988年9月に幸福の科学研修ホール(東京都杉並区西荻南)を開設、1990年12月16日に四国研修道場(鳴門市、現・四国正心館の境内地内)を竣工、1991年8月1日には幸福の科学研修センター(東京都中野区弥生町)を開設した。1996年5月8日には、東京道場(旧東京正心館)を品川区大崎に開設したが、その後、総合本部ビルと呼ばれていた品川区平塚の施設へ移転し、戸越精舎として主に首都圏を中心に住む学生の会員が利用する研修施設となった。大川の出身地である四国・徳島は「聖地」とされ、生誕地の徳島県吉野川市川島町には、参拝施設「川島特別支部」がある。鳴門市の聖地・四国正心館境内には、父で名誉顧問・善川三朗(本名:中川忠義、故人)を偲ぶ「善川三朗記念堂」がある。その他の宗教施設としては、2006年4月15日、総本山・那須精舎(栃木県那須郡那須町)の境内に、「総本山・那須精舎付属 来世幸福園」が開園した。来世幸福園の中心には「大ストゥーパ」が建立され、幸福の科学の信仰の象徴となっている。「大ストゥーパ」の周辺には、3つの納骨堂(「在家菩薩堂」「三帰誓願堂」「涅槃堂」)が建立されている。2011年5月には、聖地・四国正心館の隣接地にも「来世幸福園」が開園した。2005年9月には、2005年日本国際博覧会(愛知万博「愛・地球博」)のネパール館で展示された貴重な文化遺産である(ハラティ・マタ寺院の復元物)を購入し、総本山・正心館の境内に建立された「ネパール釈尊館」の中に移設している。館内には寺院のほかに、釈尊への信仰に基づいた仏教美術の数々が展示されており、一般公開されている。2015年に千葉県に「幸福の科学大学(仮称)」を開学することを計画し、準備を進めていた。しかし、2014年10月、文部科学省の大学設置審議会は、同大学の設置を認めないことを文部科学大臣に答申した。さらに文部科学省は、「審査の過程で認可を強要するような不適切な行為があった」として、今後最長5年間にわたって、学校法人幸福の科学学園による大学の設置を認めない方針を決定した。。これに対し、幸福の科学側は引き続き文科省に抗議を行うとともに幸福の科学大学を私塾として開設し、ハッピー・サイエンス・ユニバーシティとの名称で開校した。1990年7月『太陽の法』の英訳版『"The Laws of the Sun"』の発刊以降、海外在住の会員が増加し、1994年1月1日に海外初の法人として「幸福の科学USA (Kofuku-no-kagaku,U.S.A.)」が設立され、ニューヨーク支部の開所となる。続いてロサンゼルス支部、ハワイ支部などが開所される。同年さらにブラジルには、サンパウロ支部、イギリスのロンドンには、ヨーロッパ支部など各地で現地法人が設立される。海外の精舎・支部精舎ほか世界120か国に支部・会員組織がある。(2014年4月現在)2009年5月、宗教法人 幸福の科学の外部組織として「幸福実現党」の設立により、組織として「幸福の科学グループ」を呼称するようになった。これにより、大川隆法は肩書きを「幸福の科学総裁」から「幸福の科学グループ創始者兼総裁」へと変更している。2009年の発表では、全世界80か国に1100万人の信者・会員がいる。2010年の発表では、86か国に1200万人とされる。教団の刊行物によれば、1986年11月23日に東京都の日暮里酒販会館で開催された幸福の科学発足記念座談会に集った人数は87名であった。創設初期から入会試験制度があり、幸福の科学の書籍10冊を読み、入会願書に読書感想等を記入するものであり、合格率は4割程度であった。(入会試験は次第に簡略化され1994年頃に廃止された。)1987年3月8日の発足記念第1回講演会「幸福の原理」の聴講者は約400名であった。1989年4月に会の方針として伝道活動が許可されて「誌友会員」制度が発足した。これは入会試験の無い会員で従来の会員を「正会員」とした。1989年11月26日に全国20会場で実施された「第1回全国統一神理学検定試験」の受験者数が2209人。1990年7月には7万7千人とした。1991年7月には会員数が150万人に達したとされている。信者数が1000万人を突破したと公表されたのは1995年7月である。1996年に会員制度が変わり、以前の「正会員」「誌友会員」を統合し「会員」とされるようになった。2007年には新たな入会制度が導入され、入会申し込みの手続きで会員になれるように簡略化された「入会者」会員ができた。支部や精舎において開催される。代表的な祭典は下記のとおり。特に御生誕祭とエル・カンターレ祭は二大祭典とされる。1986年教団設立当初は、霊言集の刊行などによる「霊知識」「霊的人生観」の普及を中心とした啓蒙活動が展開され、信仰に関することが説かれることはあまりなかった。後に、教団内で組織ができるようになるが、多くの会員は入会する前に持っていた信仰に従い、会を指導(支援)しているとされた「高級霊」(例:日蓮宗系の人は日蓮、浄土真宗系の人は親鸞)などを信仰していた。1989年からは、「三宝帰依」など信仰心について説かれるようになり、1990年「信仰と愛」「信仰と伝道」の法話が説かれ、1990年からは組織的な伝道活動が開始されるようになった。また、宗教法人となった1991年には、東京ドームでの「御生誕祭」7月15日に、大川隆法による「エル・カンターレ宣言」があり、信仰の中心がエル・カンターレに集約される基準点となった。1992年12月には、会員でも代理本尊の一つである「家庭御本尊」を安置することが可能となった。1994年4月10日には、大川隆法により「方便の時代は終わった」と宣言され、根本経典や基本書の『太陽の法』が改訂され、教団の運営体制の整備が進むとともに、エル・カンターレ信仰、三宝帰依を中心とする信仰へと移行し、1994年6月からは三帰誓願式が始まっている。1996年10月6日には、会員制度を変更して、「正会員」と「誌友会員」の名称を「会員」とした。1998年「エル・カンターレへの祈り」を制定し、研修施設「正心館・精舎」等で使用していたが、2010年に三帰誓願した信者まで下賜し「エル・カンターレへの祈り」で信仰を深めるようになった。幸福の科学では、単純な一神教信仰ではなく、またフラットな形の多神教でもない。「多様な価値観を包摂しながらも、融合させ調和させてゆく」という立場をとっている。「霊天上界には、神格、つまり高級神霊としての格を持った人が大勢いる」とし、「神は一人だけ、あと他は全部間違いだ」という考えは明らかに事実に反するとしている。またその「格」の高低の違いについても「どれだけ多様な人々を救い・導きうるか」によって格付けが成されるとしている。そして至高神エル・カンターレの教えによって世界の宗教間の対立問題は解決し、お互いの融和をもたらすことになるとしている。現代社会に適応し、かつ、人類の豊かな未来を開いてゆくための宗教として、新しい手法を「発展の原理」として投入し、イノベーション型の組織・信仰となっている。1991年9月、幸福の科学会員らは写真週刊誌『フライデー』などに掲載された教団を批判する記事に抗議し、講談社に対するデモ行進や電話・ファクスによる抗議を実施した。9月6日には「講談社フライデー全国被害者の会」(会長・景山民夫、副会長・小川知子)が結成され、以後教団・大川隆法・幸福の科学出版および会員らは「精神的公害訴訟」と銘打った裁判など数多くの訴訟を提起し講談社と対立した(講談社フライデー事件)。教団はこの一連の活動を、9月15日に開催された講演会法話に因んで「希望の革命」と称している。この事件を機に、外国の報道機関を含め、テレビ、新聞、雑誌などからの取材や対談に応じることとなり、1991年10月27日のテレビ朝日の番組(サンデープロジェクト)内では、教祖・大川隆法への公開インタビューが生放送で放映された。講談社側と争った裁判にて、講談社刊行雑誌の一部の記事内容と抗議行動の双方に違法性が認められた。裁判の結果、勝訴の件数・賠償金の合計額で幸福の科学側の勝利といえる。1995年フランス国民議会「アラン・ジュスト報告書」に「セクト」として記載されていたが、1999年の認定リストには記載されていない。1994年には、誰でも手に取れる一般週刊誌等にも猥褻なヌード写真等が数多く掲載されていることにつき、問題を提起し、ヘア・ヌード反対運動として 同年11月に「マスコミ倫理研究会」を発足し、東京・渋谷(11月26日)や大阪・御堂筋(12月4日)でデモ行進を行なうなど、啓蒙活動を行なった。1995年1月17日の阪神・淡路大震災では、地震発生当日から21日までに阪神地方に35ヵ所の救援拠点を設け、1月19日から炊き出しを始めてカレーなど1日あたり3万食を提供し、全国からの救援物資を届け、医師ボランティアによる医療活動のほか、特設浴場を開くなどした。1995年2月28日に発生したオウム真理教による目黒公証人役場事務長仮谷清志さん拉致事件では、拉致の現場目撃者が幸福の科学会員だったこともあり、幸福の科学は、オウム真理教による犯行であることを行政や報道機関、政治家などに訴え、事件の早期解決を求めた。これが一連のオウム教犯罪の捜査の突破口になったと幸福の科学は主張している。同年3月18日に東京都内などでオウム糾弾デモや街宣活動なども展開、破壊活動防止法適用を支持した。1995年当時、幸福の科学が邪教として教団名をあげて糾弾した宗教団体には、オウム真理教のほかには、天台宗、創価学会、世界基督教統一神霊協会、阿含宗、コスモメイト(現・ワールドメイト)、真如苑、真光系諸教団などがある。良い宗教として生長の家(ただし教義の一部について批判している)、立正佼成会などの名前を機関誌等で取り上げている。その他、新宗教や新新宗教のほとんどは邪教であるとしている。また、宗教の正邪を明確にしたのは「宗教界の自浄は宗教団体の責任」との考えであるという。1995年、幸福の科学が理想とする「哲人政治家」として、自由民主党の三塚博代議士を推薦するなど、積極的に政治に提言した。幸福の科学は政治に関しては「徳治主義的民主主義」を理想としており、思想的にはアメリカの共和党やイギリスの保守党に近い思想を持つとしている。1995年の御生誕祭(1995年7月10日、東京ドーム)で、幸福の科学政権の樹立を目指すとして三塚を推薦することを発表するなどしたが、8月には『三塚博総理大臣待望論』(小川空城編、幸福の科学出版)が刊行され、8月8日に日比谷公園の野外音楽堂で出版記念フェスティバルが開催された。幸福の科学は、一貫して、宗教の立場から「霊的人生観」(宗教的真実を基礎におく人生観)を説いており、無宗教や唯物論・無神論を批判している。1997年から雑誌「ザ・リバティ」誌上で、脳死問題や臓器移植問題が宗教的真実を全く知らないで議論されているとして、問題点を指摘し、宗教的観点から解説している。霊的真実では「脳死」とされる段階では、まだ死んでいないとして、この段階で臓器移植を行うと、本人は生体解剖されているのと同様の痛みと心理的混乱を引き起こし、死後の世界への魂に重大な傷を負わせてしまうとしている。また臓器移植を受けた患者は、死亡した臓器提供者の魂の憑依を受ける確率が高くなり、人格の豹変などの危険があるとしている。1998年からは、毎年増え続ける自殺者を減らすべく、雑誌「ザ・リバティ」誌上で「自殺防止キャンペーン」を開始、この運動は現在も継続しており、Web上や、全国で会員有志が街頭などでも「自殺者を減らそう」キャンペーンを展開している。2001年、元信者が献金を強要されたとして提起していた裁判(幸福の科学が「強制献金捏造訴訟」と呼称するもの。強制の事実はないとして元信者側が敗訴)の関連で、虚偽の内容と知りつつ裁判を提起したとして、その弁護士山口広らを訴えた裁判(悪質な弁護士業務の逸脱行為として提訴)にて、威嚇目的のスラップ訴訟とされ幸福の科学側が敗訴。

出典:wikipedia

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