AC長野パルセイロ(エーシーながのパルセイロ)は、日本の長野県北信地方(詳細後述)をホームタウンとする、日本プロサッカーリーグ (Jリーグ) に加盟するサッカークラブである。1990年創設の長野エルザサッカークラブが前身。2007年より商標登録の関係から一般公募で選ばれた「AC長野パルセイロ」に名称を変更した。ACはAthletic Clubの略、「パルセイロ」はポルトガル語で「パートナー」の意味であり、地域社会とクラブがパートナーとして共生する「地域密着協働型スポーツクラブ」を目指すことを意味している。運営会社は株式会社長野パルセイロ・アスレチッククラブである。クラブカラーのオレンジは長野県旗の色であり、紺色と共に長野県国体選抜チームのユニフォームカラーでもある。クラブエンブレムは旧称の「エルザ」に由来する雌ライオンに、長野のシンボルであるリンゴの花を対で組み合わせて「パートナー」の意味を表している。ホームスタジアムは南長野運動公園総合球技場で、2014年シーズンは同球技場が改築中であったため、暫定的に佐久総合運動公園陸上競技場を使用した(詳細は#スタジアムを参照)。練習場は千曲川リバーフロントスポーツガーデン、千曲市サッカー場である。ホームタウンは準加盟承認時は長野市1市であった が、Jリーグに入会した2013年11月に長野地域・北信地域にある4市と埴科郡・上高井郡・下高井郡・上水内郡・下水内郡の10町村を加えた15市町村(長野市、須坂市、中野市、飯山市、千曲市、坂城町、小布施町、高山村、山ノ内町、木島平村、野沢温泉村、信濃町、飯綱町、小川村、栄村)に変更している。2016年6月には佐久市も追加され、16市町村となった。マスコットキャラクターはライオンをモチーフとした「ライオー」「パルル」「ライト」「パルパパ博士」で、デザインは長野市出身でイナズマイレブンシリーズなどで知られる宮尾佳和が手がけた。 2015年11月23日にメインキャラクターであるライオーだけが立体化してお披露目された。他の三名は翌2016年1月にビジュアルが公開されたが、2016年6月現在立体化はされていない。1990年、長野県立長野南高校サッカー部OBを中心に長野エルザサッカークラブとして発足し、同年の長野県北信リーグ、長野県地域リーグ決勝大会を優勝。長野県リーグ昇格入替戦も勝ちあがり、長野県リーグへ昇格した。エルザは1996年に長野県リーグで優勝し、北信越フットボールリーグに昇格した。北信越リーグでは松本、金沢、JAPANサッカーカレッジ(JSC)らと争い、2002年に初優勝。全国地域サッカーリーグ決勝大会(以下「地決」)に初出場している。2004年には全国社会人サッカー選手権大会(以下「全社」)、天皇杯に初出場するが、いずれも初戦で敗れた。2005年、支援組織としてAthle-naganoが発足した。2006年にはチームフロント内の「長期的視野に立ち、地元出身者を活かし、高いレベルの指導者により、選手を育成しながらJを目指したい」という考えから、イラン代表元監督のヴァルデイル・バドゥ・ヴィエイラが監督に就任。要田勇一、貞富信宏の2人のプロ契約選手の獲得や、天然芝グラウンド(千曲川リバーフロントスポーツガーデン)への練習拠点の移転、クラブハウスの設置、更には選手が半日就労後に行う2部練習の体制等を発表するなど、ヴィエイラの方針に則った練習環境の整備が行われた。2007年1月15日に運営組織を株式会社化。また商標登録の関係から新たなクラブ名を公募し、名称を長野エルザサッカークラブからAC長野パルセイロへ改称。2008年2月には長野市、千曲市、須坂市、中野市の4市や競技団体など30団体で構成するホームタウンながの推進協議会が発足した。クラブは2008年の北信越リーグおよび第44回全社で優勝するが、第32回地決1次ラウンドで敗退した。翌2009年も北信越リーグではJAPANサッカーカレッジ (JSC) に次ぐ2位で、JFL昇格はならず。ヴィエイラはシーズン終了後に退任した。ヴィエイラの後任には、コーチから薩川了洋が昇格した。2010年シーズンはJSCから移籍してきた諏訪雄大や宇野沢祐次の活躍もあり、北信越リーグを無敗(12勝2分)で制す。9月の鈴木政一(ジュビロ磐田元監督)の強化本部長就任を経て、続く第46回全社、第34回地決をともに準優勝し、同年12月8日に日本フットボールリーグ(JFL)理事会でJFLへの入会が承認された。JFL昇格初年度。リーグ最少失点(27失点)、13試合連続無敗(前期第16節 - 後期第9節(東日本大震災で順延となった8月17日の前期第4節と8月21日の前期第5節も含む))といった記録を残し、SAGAWA SHIGA FCに次ぐ2位の成績を収めた。長野県サッカー選手権大会(天皇杯長野県予選)は準決勝より出場、上田ジェンシャンを破るが決勝で松本にPK戦の末敗れた。2月にJリーグ準加盟の審査を受け、同年7月23日にJリーグ準加盟クラブとして承認された。なお、ホームスタジアムとして登録した南長野運動公園総合球技場がJリーグ規格に満たないため、J2ライセンスの申請を見送っており、J2・JFL入れ替え戦への出場は見送られた。2012年シーズンはV・ファーレン長崎に次ぐ2年連続の2位。第92回天皇杯は県予選決勝から出場、アルティスタ東御を下し8年ぶりに長野県代表として出場(パルセイロに改名後は初)し、2回戦でJ1・コンサドーレ札幌にPK戦で勝利した。シーズン終了後に薩川が監督を退任した。徳島ヴォルティス元監督の美濃部直彦が監督に就任。開幕5連勝でリーグ戦をスタートし、一時3位に後退するも第9節から第32節まで24試合連続無敗(そのうち第26節から第32節まで7連勝)を記録。第26節終了時にカマタマーレ讃岐に代わって首位に浮上し、第32節ブラウブリッツ秋田戦に勝利して初のJFL優勝を決めた。同年11月19日には日本プロサッカーリーグの理事会でJリーグへの入会と、2014年のJ3リーグ参加が承認され、同時にホームタウンを長野市など15市町村に変更した。シーズン途中の8月よりホームスタジアムの南長野が改修工事のために閉鎖され、第24節より佐久陸での開催となった。詳しくはスタジアムの項を参照。第93回天皇杯の2回戦でJ1・名古屋グランパスエイトに勝利。3回戦でJ2・ギラヴァンツ北九州にPK戦で勝利してベスト16に進出した。なお、4回戦はJ1・横浜F・マリノスに延長戦で敗れた。アマチュアチームで最高位の成績となったため、翌年の第94回天皇杯の予選免除権を獲得した。美濃部体制2年目。藤田信、平島崇、堤隆裕、鯨岡佑太、保戸田春彦、木下正貴、小川裕史がチームを去った。補強は、甲府から元日本代表の伊東輝悦、栃木SCから勝又慶典、町田から向慎一を完全移籍で獲得。シーズン途中には山田晃平を長崎から期限付き移籍で獲得した。リーグ戦は2位の成績でJ2・J3入れ替え戦に回ったが、1分1敗の成績でJ2・21位のカマタマーレ讃岐に敗れてJ3残留が決まった。第94回天皇杯は2回戦でJ2・千葉に敗れた。美濃部体制3年目。旗手真也、野澤健一、高野耕平が引退、松尾昇悟、川邊裕紀、田中恵太、下村悠太、畑田真輝、川鍋良祐がチームを去った。補強は、長崎から金久保彩、相模原から菅野哲也、盛岡から土井良太、京都から内野貴志を完全移籍で、岡山から仙石廉を期限付き移籍で獲得。鮫島晃太の期限付き移籍期間が延長され、山田晃平が期限付き移籍から完全移籍に移行した。リーグ戦開幕直前に福岡から光永祐也を期限付き移籍で獲得。リーグ戦開幕後は、パク・ゴンが福岡から、近藤祐介が北九州から、金信泳が釜山アイパークから加入、ムリロ・アルメイダを大分から(7月2日契約解除)、小山内貴哉を札幌から期限付き移籍で獲得した。一方で、吉田実成都が滋賀へ移籍、平岡将豪が沼津、高慶汰が盛岡へ期限付き移籍、井上寛太が退団した。また、8月5日、美濃部監督が健康上の問題を理由に監督を辞任。後任には衛藤元ヘッドコーチが就任した。リーグ戦は、昨年同様昇格争いをしていたが3位に終わり昇格を逃した。第95回天皇杯は2回戦でJ1・神戸に敗れた。シーズン終了後、衛藤が監督を退任した。また、シーズン最終戦にてマスコットキャラクター「ライオー」がお披露目された。監督に福岡のヘッドコーチだった三浦文丈が就任。大橋良隆、諏訪雄大が引退、鮫島晃太、高橋駿太、土井良太、金信泳、向慎一、伊東輝悦、光永祐也、小山内貴哉がチームを去った。補強は、群馬から夛田凌輔、大分から阪田章裕、荒田智之、岐阜から関田寛士、横浜FMから天野貴史、長崎から東浩史、柏から三浦龍輝、松本から塩沢勝吾を完全移籍で、長崎から碓井鉄平、愛媛から渡辺亮太を期限付き移籍で獲得。期限付き移籍から高慶汰、平岡将豪が復帰、仙石廉が期限付き移籍から完全移籍に移行した。ホームスタジアムは南長野運動公園総合球技場である。なお、過去のホームゲーム開催スタジアムはAC長野パルセイロの年度別成績一覧#年度別入場者数を、南長野の改修に関しては南長野運動公園総合球技場#改築工事に至る経緯を参照のこと。2005年に前身の長野エルザジュニアユースとして設立。2013年現在U-15長野県ユースサッカーリーグ・トップ1部に所属し、同年第22回長野県クラブユースサッカー選手権大会(U-15)で優勝した。U-10(小学校3・4年)、U-12(小学校5・6年)世代を対象にパルセイロサッカースクールを、U-6(年中・年長)、U-8(小学校1・2年)を世代を対象に信濃グランセローズと共同で設立したNico Sports Academy(ニコスポーツアカデミー)での指導を行なっている。また上記とは別に、長野市を中心とした北信、東信地域の幼稚園、保育所、小学校などでの指導も行なっている。2008年に中学生のチームを立ち上げ、現在は小学生から社会人までの各チームを有している。
出典:wikipedia
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