コロネル沖海戦は第一次世界大戦においてのドイツ帝国海軍とイギリス海軍との間の海戦。ドイツ帝国は中国の膠州湾(青島)に、日本ではドイツ東洋艦隊として良く知られる巡洋艦戦隊()を置いていた。開戦時、ドイツ東洋艦隊の艦艇は各地に分散していたが、1914年8月12日までにパガン島に装甲巡洋艦「シャルンホルスト」、同「グナイゼナウ」、防護巡洋艦ケーニヒスベルク級「ニュルンベルク」、ドレスデン級「エムデン」が集結していた。東洋艦隊を率いるシュペー中将は南米経由で本国へ戻る事を決め、8月13日にシャルンホルスト、グナイゼナウ、ニュルンベルクを率いてパガン島を離れた。一方、エムデンはインド洋へ向かった。8月22日、ニュルンベルクがホノルルへ向けて派遣された。9月6日、ニュルンベルクが再び合流。9月7日、ニュルンベルクはファニング島にある海底ケーブルの中継局を破壊した。9月14日、シャルンホルストとグナイゼナウはサモアのアピア沖に現れた。9月21日、ドイツ艦隊はボラボラ島に到着。9月22日、シャルンホルストとグナイゼナウはパペーテ沖に現れ、パペーテを砲撃しそこにいたフランスの砲艦「ゼーレ(Zélée)」を沈めた。9月26日から10月3日までドイツ東洋艦隊はマルケサス諸島のヌクヒバ島に留まり、補給を行った。10月12日にドイツ東洋艦隊はイースター島に到着し、そこでエムデンの同型艦である防護巡洋艦ドレスデンが合流した。10月14日には、海戦時メキシコ沖にいた防護巡洋艦ブレーメン級ライプツィヒも合流した。10月18日、ドイツ艦隊はイースター島を離れた。一方、イギリス海軍はクラドック少将麾下の装甲巡洋艦ドレイク級「グッドホープ」、モンマス級「モンマス」、軽巡洋艦「グラスゴー」、前弩級戦艦「カノーパス」、仮装巡洋艦「オトラント」()からなる艦隊をドイツ艦隊捜索に当てていた。11月1日、両艦隊はチリ、コロネル沖で交戦した。イギリスの戦艦カノーパスは低速のため別行動をとっており、海戦には間に合わなかった。16時17分、シャルンホルストがイギリス艦隊の煙を発見した。18時40分に戦端が開かれ、戦闘はすぐに一方的な展開となった。グッドホープは開戦間もなく司令塔付近に被弾して指揮系統を喪失し、19時57分に沈没、クラドック少将も戦死した(最初に被弾した時点で死亡もしくは人事不省に陥っていたと考えられている)。その後モンマスも沈没。グラスゴーは逃走した。なお、オトラントは戦闘に参加していない。この海戦はシュペー艦隊の完全な勝利に終わった。だが、この後シュペー艦隊は1914年12月8日フォークランド沖海戦で巡洋戦艦2隻を含むイギリス艦隊と交戦し壊滅する。
出典:wikipedia
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