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大川隆法

大川 隆法(おおかわ りゅうほう、1956年(昭和31年)7月7日 - )は、日本の宗教家。幸福の科学グループ創始者 兼 総裁。1986年に「幸福の科学」を設立。信者は世界100カ国以上に広がっており、全国・全世界に数多くの宗教施設を建立している。説法回数は2500回を超え、また著作は28言語に翻訳され、公称の発刊点数は国内で2100書を超える。幸福の科学学園の創立者。幸福実現党の創立者兼総裁。ニュースター・プロダクション(株)会長。1956年6月、徳島県麻植郡川島町(現在の吉野川市)に、畜産コンサルタントであった父・善川三朗(本名:中川忠義)と母・君子の次男として生まれる。出生名は「隆」。父親は、日本共産党の活動家からGLAの高橋信次や生長の家のに感銘を受けて転向した。吉野川市立川島中学校、徳島県立城南高等学校を卒業。幼少期の頃は、父から「聖書」や「無門関」について学んでいた。10歳の頃、将来の夢は学者と外交官だったという。一浪の後1976年に東京大学文科一類に入学し政治コースに進む。ハンナ・アーレントの研究論文を作成した時には、教授から「マチューアー(成熟している)」という評価をもらったという。その後、司法試験と国家公務員上級試験を受験したがいずれも不合格となり、また学者の道に進むこともなかった。大川は、司法試験について論文問題に学者的な視点で過去の判例を批判する答案を提出したために合格できなかったとし、大学に残らなかったのは自分が師事すべき教官がいなかったと悟ったためと自らを振り返っている。1981年に法学部を卒業し、総合商社のトーメン(現豊田通商)に入社。翌年1982年8月にニューヨーク本社に研修生として派遣され、その間にベルリッツ語学学校ニューヨーク校を卒業、ニューヨーク市立大学大学院センターで国際金融論を学んだ。大学を卒業して商社マンとして勤める一方、この時期に宗教家としての「霊的覚醒」が始まったとされる。卒業を控えた1981年3月23日に日興との間で「霊道」を開き、その後に日蓮、空海、イエス・キリストと通信した内容を集めて幸福の科学の初期の霊言集が完成したという。1985年からは「大川隆法」の名で父・善川三朗とともに出版活動を始め、入社以来4年間で収録した「霊言」を整理し、初めての著書『日蓮聖人の霊言』(善川三朗編、潮文社)を発刊。その後、『空海の霊言』『キリストの霊言』『天照大神の霊言』『ソクラテスの霊言』『坂本竜馬の霊言』等の著書を出版。1986年7月15日には5年4ヶ月間勤めたトーメンを退社して宗教家としての活動を本格的に開始する。それから1ヶ月後、幸福の科学の根本経典『正心法語』と、幸福の科学の宗教理論の基本書となる『太陽の法』を自動書記と称した方法で記述した。 その後1986年9月『黄金の法』を 自動書記と称した方法で記述。1986年10月6日、幸福の科学の事務所を東京都杉並区西荻窪に開設し、主宰(当時)に就任。11月23日東京の日暮里酒販会館(現・幸福の科学初転法輪記念館)にて、87人の会員未会員らに対して初めての説法を行う(「初転法輪」)。翌年の3月8日には、東京の牛込公会堂にて約400人を集め幸福の科学第1回講演会を開催。演題は「幸福の原理」。このとき、幸福の科学の会員心得である「正しき心の探究」、その具体的展開である基本教義の「愛」「知」「反省」「発展」の「現代的四正道」(幸福の原理)が説く。「救世の三部作」と呼ばれる『太陽の法』『黄金の法』『永遠の法』はこの年に発刊した。1988年4月10日、東京大学英文科を卒業したばかりの木村恭子と結婚、5人の子を儲ける。それまで自著『太陽の法』などで示してきたが、1989年11月に『仏陀再誕』を出版し、1990年10月28日第12回大講演会(於:幕張メッセ)では自身は「仏陀の魂の化身」であると明示し、宗教家としての地位を高めようとした。1989年1月のセミナーでの大川の宣言により幸福の科学は思想・宗教の統合を目指す宗教団体に転換を図ることになり、この頃から(2009年まで)「霊言集」と題する著書の出版は(一時的に)少なくなった。1991年7月15日に東京ドームで行われた大川の「御生誕祭」で、大川は自身が「エル・カンターレ」であると宣言した。この集会はテレビなどで取り上げられて世間に広く知られることになったが、雑誌『フライデー』に自身の批判記事が掲載されることにもなった(講談社フライデー事件)。1994年4月10日に法話「方便の時代は終わった」を説き、根本経典や基本書の改訂を行う。また、「ノストラダムス戦慄の啓示」で初の製作総指揮を務めた。1995年以後、マスコミへの登場は少なくなったが、2009年の幸福実現党の立党以降からは再びマスコミへ多数登場している。2007年からはハワイにて海外初の転法輪説法を行い、海外講演活動を始める。2009年に幸福実現党を創立、党総裁に就任。マスコミに対して講演会の模様を18年ぶりに公開し、結党理由を明らかにした。その後同年8月の第45回衆議院議員総選挙への出馬を表明。一時期は出馬見送りを公表したが、翌日に再度出馬を表明し、落選する結果となった。2010年の年初からは「霊言」を再開し、降霊した大川に教団幹部が質問するという内容を「公開霊言」と称して短期間で書籍化し、年間発刊点数52冊が年間・最多発刊書籍のギネス世界記録に認定された。2010年から離婚協議中であった大川きょう子と2012年に離婚し、同年教団職員の近藤紫央(大川紫央)と再婚した。2016年5月16日大阪市・大阪城ホールで講演会「信仰と繁栄」、同年7月14日さいたまスーパーアリーナで講演会「地球を救う光」などの講演により政治的発言を行っている。大川隆法は、2009年に学校法人幸福の科学学園を設立。翌年2010年4月幸福の科学学園中学校・高等学校(栃木県那須郡)を設立、次いで2013年に幸福の科学学園関西中学校・高等学校(滋賀県大津市)を設立した。2014年には独自の大学設立を行ったが、文部省認可が下りず、この組織を『ハッピー・サイエンス・ユニバーシティ』の名称で私塾として開校した。幸福の科学設立初期、大川は1991年文藝春秋のインタビューにおいて政党の結成は考えていないことを明らかにし、幸福の科学に賛同する政治家を養成したいと語っていた。1995年に行われた「御生誕祭」では、自由民主党の三塚博議員を次期総理大臣に推薦すると公言した。しかし、2009年に幸福実現党を結党して政治進出、衆議院選挙に立候補した。大川は、政治進出のきっかけについて「北朝鮮の核ミサイルや中国の軍拡に対し麻生政権の統治能力の欠如」を挙げ、特定の政党や立候補者を裏から応援する段階は終わったと2009年に述べた。幸福実現党は国政選挙での当選実績はない。ただし2010年5月から12月まで大江康弘参議院議員(当時)が入党していたことがある。都内での選挙では発明家のドクター中松を出馬させている。地方議会選挙では7人の当選者がいる(2016年現在)。毎年7月に大川の生誕(7月7日)を祝う「御生誕祭」、12月に「エル・カンターレ祭」が開催される。2016年8月までに2100書を超える著書が出版されており、28言語(英語、ポルトガル語、ハンガリー語、ロシア語、ブルガリア語、リトアニア語、フランス語、ドイツ語、スペイン語、中国語繁体字、中国語簡体字、韓国語、テルグ語、タミル語、マラティ語、グジャラティ語、ヒンディ語 、ベンガル語、シンハラ語 、タイ語 、インドネシア語、ネパール語、スウェーデン語、トルコ語、 アラビア語、モンゴル語、カンナダ語、 ペルシャ語 ) に翻訳され100ヶ国以上にて刊行、2011年末時点で累計発行部数は公称9000万部以上。「法シリーズ」など著作の多くは印刷部数でミリオンセラーとなっている。1985年から1991年までの間に複数の出版社から多数出版された「霊言集」と呼ばれる書籍は、1994年以降には全て版権を引き上げ、幸福の科学にて1999年3月からそれらの一部を収めた「大川隆法霊言全集」が全50巻+別巻を刊行中である。また、2004年以後「善川三朗の霊言」も1 - 4巻まで発刊された。2011年3月には、「電子書籍154冊セット」が発売された。「法シリーズ」の一覧は下記のとおりで、いずれも幸福の科学出版から刊行されている。幸福の科学では、『太陽の法』『黄金の法』『永遠の法』を基本三法としており、基本教義と世界観を記したものと位置づけている。また、『常勝の法』『成功の法』『希望の法』を、成功理論三部作としている。『幸福の法』は幸福の科学の入門書に位置づけられる。2010年に入り、新たに「公開霊言」シリーズを発刊。シリーズ全体の発刊冊数では、2016年1月に500冊を突破している。著書は、英語(イギリスVer・USA,Ver、インドVer、オーストラリアVer他)、ドイツ語、フランス語、中国語(簡体字・繁体字 台湾・香港)、ロシア語、スペイン語、韓国語、ポルトガル語(ブラジル・ポルトガル)、インドネシア語、ハンガリー語、ブルガリア語、リトアニア語、タイ語、ヒンディー語、タミル語、テルグ語、マラーティー語、グジュラティ語、ネパール語、シンハラ語、タガログ語、ベンガル語、ペルシャ語等、33言語に翻訳されている。幸福の科学によれば、2001年『太陽の法』『常勝思考』等は全世界で1000万部以上が出版されたとしている。1987年より多数の講演会で法話を行い、多数の書籍・テープ・CD・ビデオ・DVDとなって公開されている。特に2007年より、全国各地の支部精舎を巡錫している。国外ではロンドン支部やハワイ支部にて英語で説法を行った。2010年には、229回の説法を行った。著作以外にも、以下の映画作品の製作総指揮を手がける(幸福の科学出版作品とニュースター・プロダクション製作がある)。

出典:wikipedia

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