神奈川県立湘南高等学校(かながわけんりつ しょうなんこうとうがっこう)は、神奈川県藤沢市鵠沼神明五丁目に所在する公立高等学校。1921年、神奈川県立湘南中学として開校。1948年、学制改革により神奈川県立湘南高校と改称、1950年より男女共学となる。生徒の自主性を重んじ、受験や体育選手育成に偏ることなく文武両道を校是とする。部活動加入率は兼部を含めると10割を超え、行事が非常に盛んである。財界、司法、政治、研究、文壇等各界へ多くの人材を輩出している(神奈川県立湘南高等学校の人物一覧参照)。全日制のほか、1948年より定時制も設置されている(通信制は平成19年度をもって神奈川県立横浜平沼高等学校の通信制と統合し、神奈川県立横浜修悠館高等学校に移管)。略称は“湘南”(しょうなん)で、地元で単に“湘南”といえば湘南高校を指す場合も多い。湘南地方には海軍高級士官の子弟が多いため早くから県立中学の設置が待望され、神奈川県下6番目の旧制中学校として神奈川県立湘南中学校が設置された。初代校長は、新潟県女子師範学校(現在の新潟大学教育学部の前身校のひとつ)校長から赴任した赤木愛太郎で、27年間の長きにわたって校長を務めた。戦前は第一高等学校などの難関旧制高等学校などをはじめ、海軍諸学校(海軍兵学校、海軍経理学校、海軍機関学校)や陸軍士官学校にも多数の合格者を輩出した。海軍兵学校の予備校的な存在であったため、戦後は連合国軍最高司令官総司令部により赤木校長は教職を追放される。しかし、構内には赤木校長の像や赤木苑があり、学年ごとに氏の名前にちなむ赤緑藍の3色(赤黄藍(アカギアイ)とする予定だったが、物資不足で黄色の色合いがよく出ず緑に変えられたという)に色分けされる、校内のオブジェのような塔が赤、黄、青の三色になっている、など現在もその影を留めている。1980~90年代の神奈川県公立高校の学区細分化などにより、かつてに比べ進学実績は後退した。しかし2000年以降は、学区制の撤廃や独自入試が導入されるなどの入試改革が漸次進んでいる。2007年に神奈川県教育委員会から「学力向上進学重点校」に指定され、2013年にはこれら学力向上進学重点18校の牽引役たる「アドバンス校」指定を受けた。 野球部は1949年に全国高等学校野球選手権大会で全国優勝した。これ以前はもとより、神奈川の公立高校の全国優勝は2010年現在未達成である。(神奈川県の公立高校として夏の甲子園に出場した5校のうちの一つ)西日本勢が圧倒していた当時、湘南高校の優勝は深紅の大優勝旗が33年ぶりに箱根の山を越える「箱根越え」と言われた。選抜高等学校野球大会には2回出場。サッカー部は1946年に全国優勝、1988年に全国ベスト16。1947年より毎年、筑波大附属高等学校との定期戦を行っている。珍しい部としてフェンシング部があり、1950年代から全国大会に何度も出場する強豪である。吹奏楽部は1952年に全国吹奏楽コンクールで全国優勝。その後1960~70年代にもサッカー部、バスケットボール部、フェンシング部、テニス部、陸上部が全国大会に出場したほか、多くの部が関東大会に出場した。2000年以降ではフェンシング部、水泳部、陸上部インターハイ出場をはじめ、バドミントン部、弓道部、ラグビー部などが関東大会に出場している。文武両道の校是の体現とされる、多彩で大規模な行事は湘南高校の特色である。4月末の陸上記録会に始まり文化祭、合唱コンクール体育祭、駅伝大会と前期にはほぼ毎月1つの行事が催される。特に体育祭は大きな力が注がれ、湘南高校の最大の特色となっている。体育競技のみならず、五十年近い伝統を誇る学年横断のクラス対抗仮装ダンスや、バックボードと呼ばれる畳21畳分の巨大な絵画なども採点の対象とされるため、一般的な「体育祭」とは一線を画し、生徒の多様な創造的才能が生かされる総合的な行事となっている。仮装は、脚本政策から振付、衣装のデザイン・材料染色・縫製、小道具や大道具の材料調達から作成、下級生へのダンス指導など、すべて上級生の計画のもとで行われ、その準備期間は年度初め(2年生から3年生の以降の場合は2年時の体育祭終了時)から行われる。文化祭は定時制と共同で実施される。一部の学級は催し物を開くところもあるが、主に文化部の発表の場となる。埼玉県立浦和高等学校とは交流を行っている。1956年から2002年までは、毎年5月中旬に、「湘南浦和対抗定期戦」(湘南高校では「浦高戦」、浦和高校では「湘南戦」と呼ばれる)として、毎年交互に往来して運動部=対抗戦、文化部=交流会を開催してきた。湘南新宿ライン運行開始によりイベント時に団体電車を走らせることが困難となったことなどを理由に、2002年の第46回を最後に廃止されるに至ったものの、部単位の交流は続いている。前期・後期の2期制で、70分授業を採用している。第2学年まではクラスごと、第3学年から文理の各コース別の授業になる。いわゆる校則は存在せず、規則といえるものはバイク通学の禁止(免許取得は可)程度である。アルバイトも可能。制服は男子は黒の詰襟(ただし、ボタンは学校指定のものを着用)、女子は紺のブレザーが「標準服」と規定されているが、細かな形までは指定されていない。授業の進度が速いために自主学習が求められる。2013年度には神奈川県教育委員会より県立高校教育力向上推進事業Ver.Ⅱのなかで、神奈川県立横浜翠嵐高等学校とともに学力向上進学重点校のアドバンス校指定を受けた。これは県内に18校ある学力向上進学重点校の牽引役として、グローバル人材・次世代リーダー育成をめざすものである。これに先立ち、2013年3月には第1回海外研修旅行を行い、1・2年生の希望者44名がアメリカを訪問した。かつては横浜国立大学附属鎌倉中学校や同附属横浜中学からの入学者が突出して多い時代もあったが、1976年に起きた横浜国立大学附属鎌倉中学校内申書事件以降、同附属中学校からの入学者は激減した。 1981年の学区細分化などにより、全国公立高校トップの進学実績は失われているが、学区制は2005年に廃止され、再び広範囲の中学校から生徒が集まるようになってきており、進学面での復権が注目されている。絶対評価の導入もあり、前期選抜では内申点が満点であっても不合格者が出ている。後期選抜では2007年度入試より自校作成問題を使用(独自入試)しており、内申点に加えて高い学力が要求される。2015年度の大学合格者数(浪人含む)は、東京大学が19名、慶應義塾大学が101名、早稲田大学が201名、明治大学が215名などである。関東圏以外の大学では、京都大学が8名など。入学定員は全日制の約半分であり、規模は大きくなりつつある。新校舎に建て替えた際に全日制と定時制の使用場所を区切ったが、定時制の規模拡大に伴って全日制の教室も一部使用するようになった。4年制であるが、通常よりも早い15時30分からの授業を受けることにより3年間で卒業することも可能。「県立高校改革推進計画」の「後期実施計画」で2009年度(平成21年度)に単位制普通科へ単独改編された。通信制課程は2008年をもって横浜平沼高等学校の同課程と統合され、横浜修悠館高等学校に移管された。以下の記述は、かつての湘南高校通信制の記録である。高校通信教育を実施する特性上、門戸が広く、同校全日制の倍以上の生徒を擁し(後述する少年工科学校からの集団入学を除いても全日制のそれより多い。)、その年齢や職業(平日は仕事をしている生徒もいる。)は様々である。面接授業(スクーリング)は日曜日と火曜日、そして木曜日(木曜日は自習による。)に主に定時制の教室を利用して行われる他、学校周辺のウォーキングや、各種教育・研究施設の見学などといった形で特設スクーリングが行われる。軟式野球部が全国制覇をしているほか、多くの運動部が全国大会で活躍する強豪である。なお、本課程には個人のほか陸上自衛隊少年工科学校の生徒(陸上自衛隊生徒)が集団入学し、授業に際しては本課程の担当教員が少年工科学校のある、武山駐屯地に出向いて授業を行う。そのため、本課程一般入学の生徒と少年工科学校の生徒が同じ教室で授業を受けることはない。校歌に歌われるように、校舎は丘の上に建つ。当初計画では丘の下にあるグラウンド上に新校舎を建築、旧校舎所在地はグラウンドとして整備される予定であったが、卒業生や付近住民からの反対によって、校舎建設地は旧校舎の建っていた丘の上に変更された。校歌は、北原白秋作詞、山田耕筰作曲。名称は「湘友会」。1926年(大正15年)3月4日設立。各地方や海外、クラブ別、企業別の支部も存在する。詳細は神奈川県立湘南高等学校の人物一覧を参照。ここでは特に著名な出身者のみを記す。注釈出典
出典:wikipedia
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