超芸術トマソン(ちょうげいじゅつトマソン)とは、赤瀬川原平らの発見による芸術上の概念。不動産に付属し、まるで展示するかのように美しく保存されている無用の長物。存在がまるで芸術のようでありながら、その役にたたなさ・非実用において芸術よりももっと芸術らしい物を「超芸術」と呼び、その中でも不動産に属するものをトマソンと呼ぶ。その中には、かつては役に立っていたものもあるし、そもそも作った意図が分からないものもある。超芸術を超芸術だと思って作る者(作家)はなく、ただ鑑賞する者だけが存在する。トマソンの語源は、プロ野球・読売ジャイアンツ元選手のゲーリー・トマソンに由来する。トマソンは、元大リーガーとして移籍後1年目はそこそこの活躍を見せたものの、2年目は全くの不発であるにもかかわらず四番打者の位置に据えられ続けた。空振りを見せるために四番に据えられ続けているかのようなその姿が、ちょうど「不動産に付着して(あたかも芸術のように)美しく保存された無用の長物」という概念を指し示すのにぴったりだったため、名称として採用された。固有名詞が名称として採用された理由は、それまでの言葉では説明しがたい新しい概念を持つものだったため、むしろしがらみのない新しい呼び名を必要としたためと考えられる。新しく発見された病名など学術的用語に個人名を付けるのに似ている。トマソン選手の名前の由来と「超芸術トマソン」の概念に関連はない。1972年、赤瀬川原平、南伸坊、松田哲夫が、東京・四谷(新宿区本塩町)の旅館・祥平館脇の道を歩いているときに、上り下りする形態と機能はありながら、上った先には出入り口が無く、降りてくるしかない立派な階段を発見した。しかもその手すりには補修の跡があり、大事に保存されていることがうかがわれた。翌年、赤瀬川原平が、西武池袋線江古田駅でベニヤ板で塞いである使われなくなった出札口(切符売り場の窓口)に気付いた。そのベニヤ板は、長年の銭の出し入れでくぼんだ石の表面にあわせて必要以上に律儀に、微妙な曲線に切断されていた。また、南伸坊が、お茶の水の三楽病院で、きわめて堂々とした造りでありながら、出入り口だけがきっちりとセメントでふさがれた通用門を発見し報告をした。こうした物件は「四谷の純粋階段」「江古田の無用窓口」「お茶の水の無用門」と名付けられ、共通する概念として浮上した「超芸術」=《芸術のように実社会にまるで役に立たないのに芸術のように大事に保存されあたかも美しく展示・呈示されているかのようなたたずまいを持っている、それでありながら作品と思って造った者すらいない点で芸術よりも芸術らしい存在》の例として認識された。「超芸術」の中でも不動産に付着するものをひと言で言い表す愛称、通称、のようなもの、固有名詞として、「トマソン」という名前が与えられた。当時、赤瀬川が講師をしていた美学校「考現学教室」の生徒の議論の中でこの名前が決まった。なお、トマソン選手の三振の記録は132(当時プロ野球歴代4位)で、途中で退団した1982年にはそれを上回るペースだった。この概念が赤瀬川の連載のあった白夜書房の雑誌『写真時代』で1982年に発表され、「考現学教室」の生徒たちの「探査」活動や赤瀬川自身の採集による「物件」の写真が赤瀬川の筆で発表され読者からの物件の報告を誌上で発表解説するというかたちがとられると一つのブームとなり一挙に「トマソン」の概念が広まった。『写真時代』の連載は途中で白夜書房刊の単行本『超芸術トマソン』にまとめられた。この単行本は連載途中までの掲載で、のちに筑摩文庫から文庫版で出る時に全てが収められた。なお赤瀬川の連載は同じく末井昭編集長の雑誌「ウィークエンドスーパー」の連載「自宅でできるルポルタージュ」が雑誌名変更とともにいつのまにか「超芸術トマソン」に代わったものである。トマソンは、一時期ちょっとしたブームとなり、美術や前衛芸術に関心のある学生・若者などに大きな影響を与えた。またトマソンの定義を知らない者の間にまでトマソンという言葉が浸透したという点でも、一種の社会現象と言えるかもしれない。また「超芸術トマソン」単行本の表紙の写真に現れる、谷町という地上げ再開発によって消えた港区の町をめぐるエピソードは、理論としてはトマソンの概念には関係の無い話である。しかし、トマソンがそのような町を愛する視点と関係しているという基調を示していて、トマソンのブームの盛り上がりにも深い影響を与えたと言わざるをえないだろう。また、このような大規模な地上げ再開発が、誰の目をも驚かすもっとも盛んなバブル経済時代の反映も背景としてあった。1983年にトマソン観測センターによる「悶える町並み」という展覧会が新宿のギャラリー612で開かれ、赤瀬川原平の絵画や物件の写真が展示された。その後出版社東京堂後援による東京での「トマソンバスツアー」や赤瀬川原平によるレクチャーが所々で開かれ、またNHKや11PMなどのTV番組で取り上げられ、単行本「超芸術トマソン」が出版されひとつのブームのピークを迎えた。しかし当の赤瀬川やその生徒によるトマソン観測センターは、ブームの盛り上がりによってかえって疲弊してしまい、次第に活動は下火となっていった。そのころ藤森照信らの建築探偵(古い市井の建物の観察・分析・コレクション)、林丈二のマンホールその他路上のもろもろの蒐集、南伸坊のハリガミ採集分析、一木努の建築破片収集などの路上にまつわるコレクションの活動とブッキングされて、筑摩書房から『路上観察学入門』が出版され、それに合わせて1986年、学士会館で路上観察学会の発足式と称したイベントが開催され、記者会見などを行なった。企画したのは筑摩書房の編集者松田哲夫である。路上観察はごく一部でブームとなったが、トマソンのように雑誌投稿や生徒と赤瀬川とのやりとりのようなものは無かったので、「運動」的な盛り上がりは存在しなかった。ファンのような人達は大勢居たが、「天才達」のやる路上観察を市民レベルで愛好するというような、近代の芸術と同じようなヒエラルキーとして受け入れられたのは皮肉である。一方では超芸術トマソンの「写真時代」での赤瀬川と読者投稿のやり取りからヒントを得たと思しき、宝島社の『VOW』を代表とする俗化されたオモシロ投稿写真というジャンルの起源となった。こうして路上観察(学会)の定着と交代するようにしてトマソンは消えて行った。しかし、2012年になるとトマソン観測センターがFacebookを開設、インターネットで物件の報告を受け付けたり、報告された物件をシェアするという形で広く紹介したり、また専用の報告用紙をネットでダウンロード出来る様にしたりと、インターネットと融合した新たな動きを始めている。また物件報告会も年に2回程度開催されている。トマソンは、映画などの分野にも影響を与えていて、映画『機動警察パトレイバー the Movie』において、トマソンの一種である「原爆タイプ」があるシーンに登場し、奇妙なリアリティを与えていたという例がある。またウィリアム・ギブスンの近未来小説『ヴァーチャル・ライト』にも超芸術トマソンが出てきており、そのことは合衆国の野球選手名鑑のサイトのトマソン選手の項目で言及されてもいる。トマソンのような要素を、デザインとして最初から引用し、意図的に織り込んだ建築も散見されるようになったので、今日においてトマソンを探査する際にはこの点に留意し確認する必要がある。ちくま文庫『トマソン大図鑑』による分類。
出典:wikipedia
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