ジャワ沖海戦(ジャワおきかいせん)は第二次世界大戦での日本海軍航空隊と連合軍艦隊との間の海戦。1942年(昭和17年)2月4日、日本軍の偵察機がバリ島の北を航行中の連合軍艦隊を発見した。これは重巡ヒューストン、軽巡マーブルヘッド、デ・ロイテル、トロンプ、駆逐艦7隻からなるカレル・ドールマン少将指揮の連合軍艦隊で、日本軍の上陸船団攻撃に出撃したものであった。この艦隊に対し、日本海軍第十一航空艦隊(司令長官塚原二四三海軍中将)はセレベス島ケンダリー基地航空部隊の一式陸攻36機、九六式陸攻24機にて攻撃した。当時、連合軍艦隊はカンゲアン島南方30浬を速力24ノットで東南に航行していたという。この攻撃でヒューストンは250kg爆弾の命中弾が1発して後部砲塔使用不能、マーブルヘッドは250kg爆弾の命中弾2発と至近弾4発を受け損傷、デ・ロイテルも至近弾で小破した。ドールマン少将は攻撃を断念し引き上げた。日本軍は戦果を過剰に見積もった。連合艦隊に伝達された戦果は、デロイテル型1番艦を撃沈確実、ジャバ型2番艦轟沈、ジャバ型3番艦中破、米重巡2隻撃破、米艦マーブルヘッドのみ無事という内容だった。この海戦後も日本軍の進撃は止まらなかった。2月8日にマカッサル、2月10日-11日にバンゼルマシンに上陸しこれを攻略した。ドールマン少将麾下の艦隊は蘭印方面で再度攻撃を試みていたが、2月15日のガスパル海峡空襲(空母「龍驤」艦載機および基地航空隊の攻撃)によって撃退される。同日、日本軍はシンガポール攻略戦によりシンガポールを占領。2月19日にはサヌール泊地に進入してバリ島上陸を開始し、未明には日本軍が飛行場を占領した。連合軍艦隊はこの後、バリ島沖海戦を経て、日本軍のジャワ島侵攻に際して発生したスラバヤ沖海戦、バタビヤ沖海戦で壊滅することになる。なお、本海戦で損傷したマーブルヘッドはセイロン島へ避退、そのままインド洋・喜望峰・大西洋を経由する大航海の果てに米本国へ生還している。だが日本側は艦型が似ているクレムソン級駆逐艦「ピルスバリー」をマーブルヘッドと誤認しており、高雄型重巡洋艦2隻(愛宕《第二艦隊旗艦》、高雄)による「ピルスバリー」撃沈を『マーブルヘッドを撃沈した』と錯覚していた。
出典:wikipedia
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