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芝田山部屋

芝田山部屋(しばたやまべや)は、日本相撲協会所属で二所ノ関一門の相撲部屋。1991年(平成3年)7月場所に引退した横綱・大乃国は、年寄・大乃国を襲名して放駒部屋の部屋付き親方となった後、1993年3月場所後に年寄・12代芝田山を襲名し、1999年6月に放駒部屋から分家独立して芝田山部屋を創設した。当初は金銭的な理由で山梨県に仮設の部屋を設立していたが、しばらくして現在の東京都杉並区へ部屋を移転した。2008年5月場所にモンゴル出身の大勇武が新十両へ昇進して部屋史上初となる関取が誕生したものの、大勇武は1場所で幕下へ陥落した。2010年5月場所後に大勇武は引退したが、その際に師匠である12代芝田山から暴力を受けた上に髷を切って引退を強要されたとして、大勇武は同年9月6日に12代芝田山に約7000万円の損害賠償を求める民事訴訟を東京地方裁判所に起こすと共に、警察に暴行罪としての被害届を提出した。12代芝田山は同年9月29日に書類送検されたものの、2011年1月に不起訴(起訴猶予)処分となった。大勇武とは2012年12月に東京地方裁判所にて和解が成立している。2013年2月には閉鎖された放駒部屋から所属力士と行司ら12人を引き取った。2014年1月場所にはモンゴル出身の魁が新十両へ昇進し、部屋から史上2人目となる関取が誕生した。2014年1月7日には、芝田山部屋に所属していた20歳代の元力士が、12代芝田山や兄弟子から暴行を受けたことが原因で左目が失明状態となり2012年に引退に追い込まれたとして、2013年12月26日付で12代芝田山と兄弟子および日本相撲協会に対して約6900万円の損害賠償を求める民事訴訟を東京地方裁判所に起こしたことが明らかとなった。2016年3月24日に東京地裁は12代芝田山および兄弟子に対しては元力士へ約3240万円の損害賠償の支払いを命じ、元力士による日本相撲協会への請求は棄却する判決を下した。1931年(昭和6年)3月場所で引退して大坂相撲・高田川部屋の部屋付き親方となっていた年寄・9代白玉(元横綱・宮城山)が、1932年(昭和7年)1月に年寄・6代芝田山を襲名し、同時に高田川部屋から分家独立して芝田山部屋を創設した。しかし、幕内力士を出すこともなく、6代芝田山は1943年11月に死去した。弟子たちは高田川部屋に一時預けられ、最終的には高砂部屋に引き取られた。晩年の弟子からは宮錦が小結へ、嶋錦が幕内へ昇進した。戦後に入り、1952年(昭和27年)5月場所で引退した二所ノ関部屋所属の元幕内・大ノ海が年寄・8代芝田山を襲名し、当時幕内力士であった若乃花など数名の内弟子を連れて二所ノ関部屋から分家独立して芝田山部屋を創設した。その後、1953年9月に8代芝田山は11代花籠を襲名したことに伴い、部屋の名称も花籠部屋と改められた。

出典:wikipedia

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